【第四節 予期せぬ衝突】

 

「やめるんだ!」

 ウィッシュは切り掛かってくる群衆の剣を弾き飛ばし、銃や大砲で攻撃してくる人間を神術で行動不能にする。だが、千を超すであろう群衆は怯む事なく襲い掛かって来る。

「ウィッシュ!」

 群衆とウィッシュの間にリルフィは飛び込み、五十人程の人間を神術で薙ぎ倒した。それでも群衆の勢いは全く衰えない。

「皆さん、一体どうしたのですか!?」

 そう叫ぶリルフィの顔の前にウィッシュは掌を差し出し首を振る。

「駄目だリルフィ、言葉は通じない。倒すか眠らせるしか無いぜ」

 その言葉遣いは昔の……、と言い掛けてやめる。気遣っているような余裕が無いのだ。

「分かった。わたしが全員眠らせる!」

 リルフィがそう言った直後、群衆の中から「赤い影」が凄まじい速度で近付いて来る。神術に集中していたリルフィは一瞬反応が遅れ、大きく目を見開く事しか出来ない。咄嗟にウィッシュはリルフィの前に出た。

「ブシュッ!」

 リルフィの眼前に槍が飛び出た。ウィッシュの胸を貫いて。リルフィは鮮血を顔に浴びながら、自分の感情が反応するよりも早く、ウィッシュの手から大剣を取って「赤い影」を両断する。人の形はしているが、明らかに人ではないその存在は瞬く間に霧となって消えた。

「ウィッシュー!」

 リルフィは叫びながら神術で群衆を一瞬で眠らせた後、ウィッシュに突き刺さった槍を抜き、治癒を始めた。あらゆる傷を治せるエファロードだが、ウィッシュの傷はなかなか塞がらない。これが単なる刺し傷ではないのは明白だった。神術でも魔術でも無いが、「殺す」という強く邪悪な意思のような力が込められている。リルフィが力を第四段階まで引き上げて、その呪いのような力を抑え込む事でようやく傷が治り始めた。

そして、傷が塞がりウィッシュの呼吸が落ち着くまでに一時間もの時間を要した。

 

 群衆がフィグリルを襲撃したのと時を同じくして、フォルティスが治めるヴァリエンテ帝国でも異変が起こった。

 ヴァリエンテには殆ど全ての元魔が暮らしているが、フィグリル皇国を中心とした、「天の月」と交易があるので、少数ではあるがヴァリエンテにも元天使や人間が居る。リルフィとフォルティスが種族間の争いを強く禁じている為、今までに殺人などの大きなトラブルは起こっていない。元天使や人間がリルフィを慕う以上に、元魔のフォルティスへの信頼は厚く、絶対的忠誠と言える程のものである。そもそも、長い歴史の中で獄王に反旗を翻した魔は数える程しかいない。

 一日の仕事を終えたフォルティスは、黒大理石で作られた城のテラスで母であるキュアと夕涼みをしていたが、風音の中に大衆の怒声のようなものが聞こえた気がしたのでテラスから眼下を覗いた。

「これは一体!?」

 フォルティスが驚愕の声を上げる。城門の前とその上空に、一万を超えるであろう魔がひしめきあっていたからだ。今までにフォルティスに断りなく元魔が集結した事など一度もない。そのような無礼が許される筈は無いと知っているからだ。それだけでなく殺気に満ちて、今にも攻めてきそうな様相を呈しているので、フォルティスは自分が幻覚でも見ているのでは無いかと自分を疑った。

「母上、この光景は」

「信じられないけれど、見間違いでは無いわ」

 父が不在であるフォルティスは、母であるキュアに厳しく育てられてきた。全ては彼が強く聡明な統治者になる為であり、彼自身もそれが自分の役目であると幼い頃から理解していた。十八年の歳月で、フォルティスは統治者としての器を備え、キュアは少し老いた。

「僕が行ってきます」

 フォルティスは背中に漆黒の翼を発現させ、テラスの縁に立った。

「私も行くわ」

 キュアもまた翼を開き、息子の隣に立つ。そして二人は群衆の元へ飛んだ。

 降下していく途中、驚くべき事が起こる。

「ゴォォ……!」

 二人は突如炎に包まれたのだ。二人にダメージは無かったが、「攻撃された」という事実に驚愕する。

「何をする!?」

 群衆の前に降り立った二人はそう叫んだが、群衆の目は殺気に満ちているものの、どこか虚ろで声が届いていないようだった。

「フォルティス、下がっていなさい。こう見えても私は、かつてリルフィ・ジ・エファロードの母とも戦った事があるのよ。それに、貴方が手加減無しに戦えば多くの命が失われるでしょう」

 キュアは城内に置いていた大剣を手元に転送させ、戦闘態勢に入った。その直後雪崩のように虚ろな群衆が襲い掛かってくる。

「母上!」

 心配そうに叫ぶフォルティスを余所に、キュアは剣の一振りで十人以上を薙ぎ払う。それと同時に、魔術で周りの魔の動きを止めていく。フォルティスは初めて見る母の強さに身震いした。そして同時に、背中に冷たい汗が流れるのを感じる。

「誰だ!?」

 フォルティスが振り返ると、50mはある城の壁の中央付近で、重力を無視して水平に立っている「赤い魔」を見付けた。フォルティスが剣を抜くのと、赤い魔が壁を蹴って飛んでくるのはほぼ同時だった。

 この赤い魔は元魔とは全く異なった存在で、力も桁外れである。そして、群衆は恐らくこの魔によって操られているのだと直観する。

「ガキンッ!」

 赤い魔の長い爪と、フォルティスの剣が火花を散らす。

「嬉しいよ、僕にとって初めて戦える本当の敵だ」

 赤い魔はそれに何も答えず、連続で爪を繰り出す。フォルティスはそれを全て剣で撥ね退け、炎の魔術で魔の体力を奪う。戦いの最中、フォルティスは一つの確信を得た。

「お前も何者かに操られているだけか」

 機械的に攻撃を繰り出し、言葉にもダメージにも反応を見せない魔に生命が宿っているようには思えなかった。

「もう眠れ!」

 フォルティスはそう叫びながら、膨大な精神エネルギーを注いだ剣を振り下ろす。

「ジュワァァ……。」

 真っ二つになった赤い魔は、溶解し霧となって消えていく。フォルティスの読み通り、この敵は人間でも魔でも生物でも無い存在だったのだ。

「フォルティス! 大丈夫?」

 群衆から殺気が消えて、キュアはフォルティスの元に走り寄った。

「母上、これは重大な脅威です。僕が戦っていた『赤い魔』は、何者かの意思によって生み出された存在です。僕と戦いながら、これだけ多くの群衆を操る力を持つ者を生み出せる何者かがこの世界に居るのです」

 先程まで殺気に満ちていた群衆が、「ドサッ」と音を立てて倒れていく。無理やり力を引き出されていたので、疲労により倒れたのだ。

「フィアレス様……」

 キュアは目を閉じ、無意識にそう呟いていた。

「どうか、私達を守って」

 祈るような気持ちでそう呟き、目を開いて空を仰ぐと其処には「赤い月」があった。

「そんな……」

 沈みかけの夕陽と赤い月が照らすこの世界を、刹那、震える程に冷たい風が吹き抜けた。

 

目次 第五節