【第七節 深愛】

 

 此処は僕の宮殿。ルナリートとの戦いの後、僕は獄界に戻った。

 凱旋では無く、敗走……。そう思うと痛い、精神が……

 

「ポタッ……ポタッ」

 

 貫かれた胸と、溶かされた左腕の付け根から止め処なく血が滴り落ちる。肉体の痛みも耐え難い……

 血が足元に赤い水溜りを作り、僕は一歩も動けず横になった。朦朧とする意識の中で、叫びに似た声が遠くから聞こえる。

「……フィアレス様っ!どうして!?お願いだからもう傷付かないで!」

 自分の体が僕の血に染まるのも意に介さず、キュアは僕の背骨が軋むぐらいに激しく抱き締めた。

 

「私は、私は、貴方様がこんなに傷付かなければならない世界なんて要らない!」

 深い悲しみが彼女の美しい顔を歪ませている。そんな風にしたのは僕だ。だから……

「キュア……心配しなくて良いよ。次は……絶対勝つ」

 それが獄王としての僕の意味だから。

 

「うぅ……。フィアレス様ぁ……私は、私には貴方が何よりも大切なんです!」

 彼女には、世界よりも何よりも僕が大事か……。僕は……僕の心は?考えが纏まらない。

「……キュア」

 僕はそれだけを口に出し、完全に意識を失った。最後に見たのは、キュアの目から零れ落ちた涙の光だった。憎しみも苦しみも包み込むような穏やかで強い光……

 

〜結び合う魂〜

 一日、一週間、一ヶ月?一体僕はどの位眠っていただろう。左腕は……ほぼ修復している。胸は……痛むけど大丈夫だ。

「うっ」

 目を開きベッドから起き上がろうとすると、声が漏れた。するとすぐに足音が僕の元に駆け寄る。

「フィアレス様!良かった!」

 足音の主はキュア。以前と同じように、僕をずっと看病してくれたのだろう。それにしても……

「キュア。僕の所為でごめん……。やつれたね」

 僕が微笑むと、彼女は僕に背を向けた。肩が震えているのがはっきり解る。

 だが、暫くの沈黙の後、意を決したのか震えが止まった。

 

「……私は、貴方が元気になってくれるなら、何度だって看病します。でも貴方は……傷付いて、苦しんで……自分に課せられた重い責任の為だけに生きようとしています!」

 何も言えない。その通りだからだ。

「……嫌なんです!このままじゃ、いつか貴方はこの世界から失われてしまう!……そうなれば、私が生きる意味なんて無いわ!」

 礼儀を重んじる普段の彼女じゃない。まるで、僕達が子供の頃のような遠慮の無い口調……。僕への思いが一杯で、溢れる感情が抑えられないんだ。

「ずっと、ずっと……私は貴方が……本当は誰よりも優しい心を持った貴方が」

 彼女がそこまで言った時、僕は立ち上がり背中から包み込むようにそっと抱き締めていた。

「それ以上、言わなくていい」

 僕は、はっきりそう言ってキュアの正面に向き直り再び抱き締めた。

 

「キュア、愛してるよ。だから、泣かないで」

 

「フィアレス様……・・・!?」

 自分が言おうとした言葉を僕に言われて驚いたのだろう。

 キュアは僕をこんなに想ってくれて、僕が苦しい時はいつも傍に居てくれた。僕は、獄王で皆に畏れられる存在。孤独に、獄界の為に生涯を終えるべき存在。獄界の魔はそれを獄王として当然の事と受け止め、僕を一人の男として見る事は無い。

 

 なのに、彼女は僕の願いと幸せを第一に考えてくれた!獄界よりも、自分自身よりも僕を想ってくれる。

 まるで闇に射す一筋の光のように、彼女の心は僕を優しく……力強く包み込んだ。

 僕もキュアが大切で仕方が無い。獄界の為……否、彼女と共に幸せに生きたい!

 

 そう想った時、僕の口から自然と言葉が零れたのだ。そして……

「ん!?」

 呆然とするキュアに僕は優しく口付けをした。彼女の顔が見る見るうちに朱に染まる。

「嬉しい……こんなに心の中が一杯の幸せに満たされるのは生まれて初めてです」

 

「私も……ずっと貴方を、永遠に愛し続けます!」

 

 今度は恋人となったキュアが、僕にキスをした。長く……そして、深く。

 魂が絡み合い、結び付く。二つの異なる心が解けて一つのものとなるような感覚だ……

 僕は独りじゃない。此処に……誰かに必要とされて生きている。それを深く実感出来た。

 何と幸せな事だろう。確かに、僕達の心は一つになり此処に存在しているのだ。

 

「僕は考えを間違っていたんだね」

 蕩ける程の甘い口付けの後、僕は囁いた。

「……えっ、何をですか?」

 火照った顔が僕を見上げる。

「……強固な使命感を持つ僕は、安穏と暮らしているルナリートに負ける筈が無いと思っていた。それは誤りだ」

 急に戦いの話を始めた僕を、彼女は不安気に見つめる。

「愛する者がいて、それを守る為なら……何処までも強くなれるんだ」

 ルナリートがたった一人で獄界に乗り込み、僕達に屈する事が無かったのも、ハルメスが人間界を守る為に自分の命を代償に出来たのも、「愛」する者を守るという、魂に刻まれた強固な思いがあったからだ。

「フィアレス様……私は!」

 彼女は、僕の胸に額を埋めた。同時に強く僕を抱き締める。僕を行かせたくないのだ。戦いが待つ人間界へ。

「キュアの気持ちは解る。僕も自分の心を理解した。だからこそ戦うんだ。僕達二人、そして獄界に「光」溢れる未来を創り出す為に!」

 僕は生まれてから今までずっと、自分がエファサタンと言う事に囚われていた。自分が生きる意味は、獄王としての責務を果たす事であり、自由を求めたとしてもそれは、自己が獄王であるという認識の上での自由だった。

 だが、今は違う。

 

 愛する者を守り、幸せになるという不動の意思を持ち行動する結果が、獄界全体の幸せに繋がるのだ。

 今までのように、「重い責務」とは感じない。自分の意思で未来を切り拓く事が出来るという希望に溢れている。

「ルナリート、人間界と戦う」、それは変わらない。変わらないのに、愛という希望を知る事により心の芯の強さが増した。

 

「ならば、私も共に行きます!私の未来は貴方がいなければ何の意味も持たない。幸せな未来は、これから長い時間をかけて創るもの。その為に、私が出来るのは貴方を守る事だから」

 幼馴染で、今まで幾度となく見てきたキュアの目。その目がこの言葉を発した時、最も強い光を帯びていた。

 僕達は言葉に出さずとも、共に生き共に死ぬ覚悟がある。そして、永遠の魂の結び付きを信じている。

 僕がキュアの立場でも、同じ事を言うだろう。

「わかった。但し、僕の目の届かない所で独りで戦ったりしては駄目だよ」

 その言葉に、彼女は深く頷く。

「僕は今から、獄界全体に今後の方針を伝えないといけないね。そして、僕とキュアの結婚について……エファサタンが初めての配偶者を持つ事についても知って貰おう」

 僕が微笑みながらそう言うと、キュアは再び頬を赤らめた。

「はいっ!」

 ずっと守っていこう。傍で微笑んでくれる彼女を。そして、永遠の幸せを創っていこう。それが、一つの生命としての僕の意味だから。キュアのお陰で魂に刻まれた、温かく力に溢れた生きる意味だから。

 

〜半年間〜

 ルナリートとの約束の半年間、僕達は大忙しだった。

 僕とキュアの婚姻の儀を執り行い、その後は獄界全体の戦力向上を図った。僕達が模範となり、皆自分の大切な者の為に戦う誓いを交わしたのだ。

 必死だった。恋人の為、子供の為、死んでいった友の為……。皆それぞれに大切な者は違う。だが、平和で光溢れる未来を創る為には勝利する他に道は無い。半年後、僕達が負ければ未来永劫僕達の子孫は光を浴びて生きる事は無いだろう。

 ルナリート達に負けを突き付け、人間界を僕達の世界にする。人間達は死にたくないなら、獄界に移り住めばいいだろう。光が届かず、闇の海と溶岩に囲まれた暗き世界に。

 

 ルナリート、人間達が強い理由が解った今、僕達に負ける要素は無い。

 

「フィアレス様」

 決戦前夜、僕とキュアは宮殿の屋上で薄紅く染まった暗黒の海を眺めていた。

「もういい加減、『様』は止してくれよ。僕達は夫婦なんだ」

 そう言って、僕は彼女の短めの黒髪を撫でる。この半年で、幾度撫でた事だろう?

「はい、でも幼馴染の頃から私は貴方を『フィアレス様』と呼んでいたから、なかなか直らなくて」

 照れくさそうに笑った。その一つ一つの仕草が愛しい。

「まぁいいや。先は長いんだし。ところで、何を言おうとしたの?」

 僕が首を傾げると、彼女は無言で自分のお腹を優しく擦った。

「ううん、何でも無いわ。早く戦いが終わって、平和に暮らせる事を祈ってるだけ」

 明日から熾烈な戦いが始まるというのに、彼女の顔には無限に零れ落ちる程の幸せが満ちていた。

 この日も僕は、キュアと共に眠った。眠りというのは、全ての者が最も無防備になる時。そして、最も心が解き放たれる時。その時に、愛する者が傍で一緒に眠ってくれる。それは、この世界でようやく見つけた魂の安住の場所。飛び疲れた翼を休められる唯一の場所なんだ。これは、自分の命よりも尊い。

 獄界に住む全ての者は、この夜を各々自由に過ごした。

 この夜は二度と訪れない。大切な夜を、掛け替えの無い者と共に……

 

 

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