【第二節 継承と解放】

 

 僕は、キュアと部下の魔によって断罪の間の入り口までベッドごと運ばれた。漆黒の中に無数の宝石が散りばめられた扉……その奥から重々しい空気が肌を刺すように伝わってくる。皆気付いているのだ。僕がこの中に入れば、エファサタンはたった一人になってしまう事を。そして、二度と父である獄王……フェアロット・ジ・エファサタンの声は聞く事が出来ないという事を。暫くの時間が流れ、やがて獄界全体に響き渡る荘厳な声が聞こえ始めた。

「獄界で生まれし全ての者、同胞達よ……我の言葉を聞くがいい。我は、今日を以ってこの命に別れを告げる。それは、新たなる唯一の獄王フィアレス・ジ・エファサタンに全ての力と記憶を継承するからだ。我は、獄界の維持と繁栄……そして、皆の幸せの為にこの生涯の全てを捧げてきたつもりだ。フィアレスは、まだ幼く……頼りない所も多いが、新たなる獄王として皆で支えてやって欲しい。そして……我は死しても獄界に生きる。生命、魂の恒久的な幸福を祈っている」

 僕は父が許せない。『新生・中界計画』の失敗を容認している父が……だが……

 僕の頬に一筋の涙が伝った。殆ど、一緒の時間を過ごした事の無い父の別れの言葉。たった一人、孤独に生き……その命を全うできる強さ。それを考えると、僕は涙が止まらなかった。世界でたった一人の家族……自分の幸せなど一切考えず、唯獄界の為だけに生きた父親。僕は……エファサタンという身分を何度恨んだ事だろう。普通の家庭のような愛情と、対等に話せる友人を切望し……それが叶わずに、どれだけの涙を流した事だろう。幾多の思考が駆け巡り……僕の体は父の力によって断罪の間へと導かれた。

 

「久し振りだな。フィアレスよ」

「お父さんっ!」

 父は、今まで通り十字架に鎖で繋がれていたが……生きているのが不思議なぐらい疲れ果てた姿になっている!生気を失った真紅の目、痩せこけた肉体……そして、長く美しかった銀の髪は面影も無く白に染まり今にも抜け落ちそうだ……

 そして、明らかな力の低下……僕はこの瞬間全てを悟った。父は……この9年、最後の命を削って獄界を維持し続けていた。こんな状態で、人間界を中界に変える事など出来はしない。もう、力も時間も残されていなかったんだ!

「まずは……その体を動くようにしなければな……苦しかっただろう」

 父は十字架を降り、空間に浮かぶ僕の体に手をかざした。十字架を降りるという事は、二度とその十字架には戻れない。即ち、残された力の全てを子に継承する事を意味する。

「僕は……今までずっと寂しかったです!」

 痛みが消え、体が動くようになって僕はすぐさま父を抱き締めた!

「お前を生み出し、1735年……我はお前を想わぬ日は無かった。しかし……父親らしい事を何一つ出来ずにすまなかったな。こうして、抱き締めてやれるのも最初で最後だろう」

 父もそう言いながら、力を振り絞って僕を抱き締める。初めての抱擁……それは、弱々しい腕に背中を支えられるような感覚だった。

 ずっと僕が切望してきた感覚……とても嬉しかった。でも、それ以上に僕は堪らなく悲しくて、涙で前が見えなくなる!

「泣くのではない。我が息子よ。何も悲しむ必要などないのだ。魂は離れる事になるが、消滅する訳では無い。再び出会える日は必ず来る。そして我の力と記憶は全てお前に継承される。我の考え、意思はお前と共にあるのだ。だから悲しまずに、自分の信じる道を生きよ」

 僕の考えは、全て父にお見通しだったのか……決して僕を咎める訳でもなく、父は僕の自由な未来を認めている。自分は……全てを獄界の為だけに捧げてきたというのに!

「うぅ……お父さん!」

 僕の慟哭の声が大きくなるのと反比例して、父の声は小さく……そして、肉体に宿る力が弱々しくなってくる!そして……

「第23264代……獄王……その名はフェアロット……その力を以って……『闇命(DarkLife)』を行う!」

「待って!僕はもっと話を!」

 僕はそう叫びながら、父の意思と力……そして、記憶の濁流が僕に流れ込んでくるのを感じた!

 僕は……第23265代……獄王。でも、今は何より……目の前にいるフェアロットの息子なんだ!

「お前は……今までのどんな獄王よりも自由を愛し、孤独を憎む。ルナリートとハルメスが、『愛』を命題に生まれたように……だが、今のお前には、獄王の存在意味がわかるだろう。獄界の存続、魂を生み出し転生させる事、そして深獄の封印という重大な責務を」

 そうだ……僕が獄界を存続させなければ、魔の住む場所が無くなる!存続させずに、魔が生きるならば人間界を征服するしかないだろう。

 魂を生み出し、転生……獄王としての記憶を継承した今、初めて理解した事だが『魂』は『魂界』から生まれる。そして、死者の魂も『魂界』に行き、新たなる魂として転生するのだ。

 神と獄王は、魂を扱う事は出来ても無から創り出す事はできない。神と、獄王はその橋渡しが出来るだけなのだ!父がさっき言った、再び出会える日が必ず来るという事は……魂界で再会できるという事。魂界で再会出来なくても、新たなる魂として会う事が出来るという事なのだ。

 僕がもし、魂を魂界から生み出し(橋渡しを行い)転生させる事をやめれば、従来の生命サイクルを狂わせる事になりかねない。ルナリートは天界と共に、魂を扱う事を放棄した。神や獄王の手を加えない、本来あるべき姿へ退行させたのだろう。『魂は魂界に委ねられ、何者も干渉しない』という過去の姿へ。

 深獄……神、獄王の力を以ってしても、滅する事の出来ない強大な悪魂を封印する場所。悪魂……何だかその言葉に僕は引っかかったが、深獄の封印を解けば、神や獄王すらも脅かす者が現れるのは確かだ。だから、獄王はずっと深獄の扉を閉ざしてきた。

 

 僕が自由を求めれば……その代償は計り知れない!僕は動転した!もっと父に進むべき道を示して欲しい!

「お父さん!僕は一体どうすれば!?」

 僕は今にも消えてしまいそうな父に呼びかける!

「……自分の責務を果たした我が望む事は……お前の幸せだけだ。だから……自由に」

 ゆっくり微笑んだと思ったその瞬間……父は黒銀の砂へと姿を変え……僕の腕の中に消えていった。

「お父さぁぁー……ん!」

 僕の叫びは虚しく……誰もいない空間に響き続けた。

 主を失った十字架、暗黒の海、仄かに光る星々……そして、僕。

 皆が偉大なる父の死を悼んでいた。

 

 

 数時間、いや数日が経っただろうか?僕の目から涙が止まったのを認識したのは……

 時は悲しみを風化させる。それはエファロード、エファサタンでも同じだ。記憶は消えなくとも、悲しみを風化させる事が出来るのは、前を向いて生きる為に進化した結果なのだろう。

 

 僕が今出来る事は……自分が後悔しない道を考え……それを実行する事だ。

 僕はそれに気付いてから一人、永劫とも思える時間の中……考えを巡らせる事となる。

 

〜半年後〜

 経過したのは半年。それを知ったのは、僕が断罪の間から出た後キュアに知らされたからだ。思えば、僕はこの10年に近い歳月を『思考』する事で生きてきた。僕は……

「決めたよ、キュア。僕の歩むべき道をね」

 僕の声にキュアは黙って頷く。僕達は今、二人で僕の部屋にいる。僕の決定事項を、最初に彼女に聞いて貰いたかったからだ。

「僕は……戦う事にした。ルナリートを倒し、人間界を獄界のものにする。そうすれば、僕自身が獄界に縛られる事も無くなり自由になれる。そして、魔も光の中で暮らす事が出来るだろう。始めは、ルナリートとの共存も考えた。人間界を半分に分け、魔が住めるようにすればいいんじゃないかって。その場合でも、僕は獄界の維持に力を注ぐ必要が無くなるから」

 僕は落ち着いて話を続ける。その間、キュアは瞬きすらも忘れているかのようにじっと僕の目を見つめていた。

「僕が戦う間、戦いに力を注ぐ為『深獄』の封印に使う力は極力少なくする。また、ESSの生成も中断する。ESSについては、父が残してくれた分で後数百年は大丈夫だろう。そして、魂についての関与は……僕も放棄する。その事によって何か問題が起こるようになれば、その時に対処すれば良いだろう。元々、魂についてはかつての神や獄王は関知していなかったのだから」

 僕はそう言って、軽い頭痛が走るのを覚えた。何故神と獄王は、魂界との橋渡しによる生命の誕生と死に関わるようになったのか?恐らく、稀に現れる『悪魂』を深獄に封印する為に、魂を選別する事が目的だったのだろうが……

 唯、それだけが目的ならばここまで厳密に、魂と関わっただろうか。悪魂を封じるだけならば、転生で生まれてきた後に倒して封じれば良いだろうと思う。だが、その事に関する記憶は継承されていない。……というよりは、欠けていると言った方が正確だろう。その理由は、暫く後になってから知る事となる。

「承知しました。魂界への関与は放棄、獄界の維持及び深獄の封印については最低限の力で行うという事ですね。そして……出来るだけ多くの力をルナリートとの戦いに使う」

 彼女は至極冷静にそう言った。しかし、僕を見つめる目に薄く涙が浮かんでいるのを僕は見逃さなかった。僕が再び戦いに出る事を止めたくて仕方無いのだろう。

「キュア……そんなに心配しなくていいよ、死にはしないから。必ず勝って、人間界を『魔だけの理想郷』に変えてみせる」

 そこで彼女は僕から目を逸らした。強い決意を持った僕を正視する事が出来なくなったのだ。

「はい、お待ちしています」

「エファサタン、エファロードは相容れないものなんだ。二つの存在が生まれた時から……いや、お互いを別個の存在として意識できるようになってから。僕は、自由に……幸せに生きているルナリートが憎い。憎しみと羨望で胸が張り裂けそうだ。でも、戦う事を決めた一番の要因は、僕という存在を構成する記憶、魂がそうする事を望んでいるからだ。だから、獄界の為に……そして僕という存在をこの星の真理とする為に戦うんだ」

「うぅ……フィアレス様」

 我慢出来なくなったのだろう。彼女から嗚咽が漏れ出した。

「だから、心配いらないよ。僕は第23265代獄王だ。平和の中で安穏に暮らしているルナリート如きに負けたりしない」

 僕はそう言って、心の底から僕の身を案じてくれるキュアを抱き締めた。恋愛感情……ではないと思う。唯、僕の事をそこまで想ってくれる者が悲しんでいるのを少しでも和らげたかったからだ。

 かつて、僕はルナリートに対して「愛ってよくわからないけど大事なの?」と訊いた事がある。その時、ルナリートは躊躇いなく「当たり前だ」と答えた。自分を心から想ってくれる者に対して、自分も大切に想う事が愛だと言うのであれば、ルナリートの意見は間違っていない。僕は今ではそう思える。

「フィアレス様ぁぁ!」

 僕は彼女が落ち着くまで、髪と背中を擦りながら抱き締め続けた。

 その後、僕は獄界の魔に今後の方針を伝えた。人間界を魔の世界にする、それは獄界に生きる者全ての悲願である。かつての神が中界を人間界に変えた時から……否、魔が獄界に生まれた時からかもしれない。獄界を埋める無限の溶岩の明かりではない、S.U.Nの光を浴びたいと願い続けていたのだ。だから、僕の考えを聞いた魔は皆歓喜の声を上げてそれを受け入れた。

 

 そして、僕は半年後に単身で人間界に行く事を決めた。人間界と獄界を繋ぐ『獄界への道』はハルメスによって破壊され、通常の魔は人間界に行く事は出来ない。正確には、獄界から人間界へ『転送』できる程の力を持つのは僕しかいないという事だ。それに、僕以外の者が行った所で神を継承したルナリートの前では戦力にならないのは明白だ。何より……キュア達、自分の同胞を傷付けたくは無い。

 

 半年間僕は自分に、断罪の間での過酷なトレーニングを課した。10年間動かなかった体の動かし方を思い出し、継承した力を使いこなす術を身に付ける為に。魔術、神術、剣の使い方……あらゆる戦闘を、自分の影(力の一部を分け与えた分身)と行った。ルナリートを除いて、対等に戦える相手がいない以上、影と戦う事が一番効率的だからだ。

 

 こうして僕は、殆ど眠らずに精神を集中して自分を鍛え上げた結果、研ぎ澄まされた体の感覚、戦闘センスを獲得し、獄王としての強大な力を使いこなせるようになった。これで、ルナリート……いやエファロードには負けない。確固たる自信を胸に、僕は再び皆の前に姿を現した。

 

 

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