【第二節 真紅の歴史】

 

「うぅ……」

 塔から獄界へ転送されて、一体どれだけの時間が流れたのだろう?時間の感覚がわからなかった。

 ここは獄界……俺はそう確信する。想像していた獄界とは違い、見渡す限りが血に染まったような『赤』の世界……大地も岩も、空さえも……それなのに獄界と疑わない理由……それは、この世界そのものから感じる空気が重々しく、体は締め付けられ呼吸するのも苦しかったからだ。

 俺は、そんな赤い熱砂の大地……その真ん中に倒れていた。

「うーん……ルナー、大丈夫?」

 何故か元の姿に戻っているリバレスも目覚めて、俺に問いかける。

「あぁ、大丈夫だけど、この空気は苦しいな」

 蒸しかえるような熱気、そして重圧感。その全てが、異界からの来訪者を拒んでいるように思えた。

「うん……わたしも体が重くて、うまく飛べないのー……あっ!」

 よろめきながら中空を飛んでいるリバレスが何かを見つけたかのように叫んだ。

「熱いわけだ」

 リバレスが見た方向、丁度俺の背の方……そこには、果てしなく広がる溶岩の海があったのだ!俺達は、人間界から下ってきた。ここは、星の最下層にあたるのだろうか?背後には溶岩の海……目の前には、地平線すら見えない真紅の砂漠と岩山……俺は、この広い世界で獄王の所まで辿りつき、フィーネを取り戻さなければならないのだ。先は長いが、やるしかない!

「元の世界に戻れそうも無いし、頑張りましょー!」

 リバレスは元気いっぱいの表情で声を上げる。本当に、こいつは頼りになる。そして、彼女の言う通り元の世界には戻れなさそうだ。周りには、塔も無ければ転送装置らしきものもない。俺達を獄界に連れてきたファングの姿すら無かったからだ。こうして、俺達は決意を固めると共に短く食事を摂った。今後、そんな余裕があるとは限らないからだ。

 

「行くぞ!」

 俺の掛け声と共に、リバレスは指輪の姿に変化した。どうやら、獄界でも神術は使えるようだ。

 指輪になったリバレスをそっと撫でて、俺は光の翼を開いた!俺達は上空200mぐらいまで舞い上がる。

「(何も見えないわねー!)」

 彼女の言うとおり、先は見えなかった。唯、熱砂の砂漠の遥か……遥か向こうの空が段々暗くなっているのが見えただけだった。

「恐らく、ここは獄界の最果て……あの暗闇の中心が獄界の本拠地だろう」

 俺はそう直感し、その方角に飛んでいく事にした。俺がこの姿になって、飛べるようになった事はフィーネを早く見つける為には幸いだった。

「(そうかもねー、急ぎましょー!)」

 リバレスの声よりも早く、俺は全速力で赤い空を切って飛んでいた。

 俺は急いだ……渾身の力で翼を震わせて……しかし、1時間……3時間……6時間経っても一向に風景は変わらなかった。

「(後ろに溶岩の海は見えなくなったけど、見えるのは砂漠と岩山だけねー)」

 俺の心を察知したのだろう。リバレスがそう声をかける。

「仕方ないさ……俺達は誰も入ったことの無い世界にいるんだ。出来る事は、前に進む事だけだ」

 俺も正直不安だったが、今よりも前に前に進む事で心の迷いを振り切った。こうしていく事がフィーネに近付く事なんだ!

 無情にも時間は過ぎ去る。12時間、24時間……そして、空を飛び始めて2日が過ぎた。

「あーっ!」

 急にリバレスが叫ぶ!それもそのはずだ……砂漠が途切れて、何よりも深く暗い闇……漆黒の海が現れたからだ!

「うっ」

 それが目前まで迫った瞬間、俺は砂漠へと落ちた……とてつもない、『何か』に全身を捕われたからだ!

「(ルナー!どうしたのー!?)」

 赤砂の上で身動きすら出来ない俺に、リバレスは心配そうに問いかけた……

「はぁ……はぁ……あの海は危険だ」

 俺は咄嗟に感じたことを呟く……

 

「エファロードォォ」

 

 その時、頭が割れそうな呪いの声が脳裏に響いた!

「うわぁぁ!」

 俺は頭を押さえて転げまわる!

「どうしたのよー!?何があったのー!」

 リバレスが叫ぶ!どうやら……この声は彼女には届いていないらしい。

 

「呪ってやるぅぅぅ……恨んでやるぅぅぅ……
許さないィィ」

 

 未だに声は響く!一体……何の声なんだ。この世の者とは思えない憎しみに満ちた怨みの声……

 エファロードを憎む声……魔だろうか?いや……もしかすると……

「お前は誰なんだ!?」

 俺は必死の思いで立ち上がり、海の方に向かって叫んだ!

 

「貴様らの戦いの所為でェェ……犠牲にぃぃィィ」

 

 貴様ら?犠牲?どうやら、俺の声はほとんど届いていない。だが、思い当たる事は二つある。

 一つは、俺が人間界で殺した魔の怨みの念……そしてもう一つが……

 

「世界がぁぁ……血に染まりィィ……
割れてしまうゥゥ」

 

 俺は激しい頭痛の中で、この声の正体を理解した。この声は、20億年前の大戦の際に犠牲になった者の叫び……血に染まる世界……そして、割れる世界……それは全て20億年前の事実だからだ。

 だが、なぜ俺に叫ぶ?エファロードに?

 そう考えていると、いつの間にか声は消えていった。

「ルナー!?どうしたのー……大丈夫?」

 気付くとリバレスが元の姿に戻り、涙を浮かべて俺の顔を覗きこんでいた。

「あぁ……あの海から、亡者の無念の叫びが聞こえてきただけだ」

 俺は、少しやつれた顔をしてリバレスに返答した。

「亡者!?わたしには、何も聞こえなかったけど、本当に大丈夫なのー!?」

 彼女は余計に心配そうな表情をする。

「大丈夫だ。この海を越えれば……獄王の所に辿り付ける気がする。行こう!」

 本当にそんな気がした。まるで、俺はこの風景をかつて見た事があるかのように……

 この場所は、眼下に海が広がる断崖……そして、砂漠の果て……記憶の中にそんな光景が確かにあるのだ。しかし、俺は余計な考えを捨ててリバレスと共に大海原に飛び立った。ドロドロとした、光の一閃すら通さない暗黒の海……俺は、一刻も早くこの海を越えたかった。天界での話の通り、この海には死者の魂や念が沈んでいる。転生すら出来ない不浄の魂が……

 断崖を飛び立って、また1日が過ぎた……獄界での時間の経過は、時計でしか知る事が出来ない。何故なら、S.U.N(太陽)の光などは無くて……獄界を包む無限の溶岩が、獄界の空を照らしているだけだからだ。時間が経過しても、景色が変わることは無い。

「ついに来たか」

 獄界に来て4日目……今まで、この恐れが実現しなかっただけマシだろう。そう……魔が現れた。数え切れない程の!

「(な……何て数なのー!)」

 リバレスが驚くのも無理はない。空一面を覆い尽くす程の大群……数万はいるかもしれない!

「ここは、魔の世界……それは初めからわかっていただろ?リバレス、フィーネを連れて、生きて帰ろうな!」

 俺は優しく指輪のリバレスを擦った。ここからが、真の戦い。戦いが終わるまでは、リバレスに優しくする事など出来ないからだ。

「(うん、わかったー!絶対に帰りましょーね!)」

 その直後だった!魔の大群が、俺に向かって魔術を一斉放射したのは!

「これは『結界』程度では防げない!」

 魔術の一つ一つの威力は弱くとも……その数は数万!俺は、咄嗟に究極神術を発動させた!

「『光膜』!」

 結界の数千倍の強度を持つ光の膜、それで体の周り半径1mを包んだ!その直後!

「ドゴォォー……ン!」

 魔術の全てが光膜に炸裂する!とてつもない衝撃だ!

 連続魔術を受けて、周りは何も見えない!そんな猛攻撃が5分程も続いただろうか?急に敵の攻撃は止んだ。

「(キャァー!)」

 視界が晴れていくと同時に、リバレスの叫びの正体を知る。何という事だ!

「魔術の猛攻の内に囲まれたな」

 俺は呟く……俺達の周り、前後だけでなく上下も、全て魔だったのだ!

「エファロードを殺して、世界を我々の物にするのだぁぁ!」

 そんな叫びと共に、大軍の総攻撃が始まった!

「ルナー!」

 リバレスが叫ぶ!言いたい事はわかってる!

「俺は前に進む!死にたくない者は、道を空けろ!」

 俺は、声を張り上げて魔に勧告した!それを聞くとは思えないが、こっちも本気だという事を知らせなければならない!俺は、体の周り数cmに光膜を圧縮させて剣を抜いた!これで、俺に対して普通の魔の攻撃は無効だ!

 その後は修羅場だった!力は圧倒的にこちらが上だが、数が多過ぎる!さらに、人間界の魔よりも皆強い!

 それでも俺は剣を振り、炎を操り、光で焦がし……漆黒の海の上で命を削りながら戦い、前へ前へと進んだのだ!

 

 3日……また3日過ぎてしまった。だが、長い長い戦いの果てに、ついに獄界の中枢が見えてきた!

 暗黒の海に浮かぶ巨大な島……直径は100km程だろうか?その中には、高度な文明の街……深い黒色の建造物が、まるで無限に続くように立ち並び、薄赤い光が整然と並んでいた。そして、その街の中心に巨大な宮殿があったのだ!

 しかし……

「リバ……レス……遂に来たぞ」

 もうすぐ獄王と対面出来るというのに、俺の体はもう限界だった。エファロード、そんな強大な力を休みもせずに使い続けたんだ。

「(ルナー!しっかりしてー!後少しじゃない
のー!)」

 リバレスがそう言ったのを聞いたのが最後だった。

「フィーネ、ごめんな」

 

 

 操作を失った俺の体は、ゆっくり……ゆっくりと虚しく……
悲しく堕ちていった。

 

 

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