【第三節 心を揺り動かす決意】

 

 朝が訪れた。時刻は午前9時。人間界で迎える初めての朝だ。しかし私は、目覚めた瞬間目に映った景色に驚いてしまった!今までの朝は、柔らかいベッドの上で見慣れた部屋が寝起きと共に目に入っていたのだが、今は森の木々と朝露とS.U.Nの眩い光が最初に目に映ったからだ。こんな風に外で朝を迎えたのは生まれて初めての体験だった。

「ふわぁぁー……あれっ!?」

 リバレスも目覚めと共に混乱したようだ。その戸惑いの表情が、私の驚きと一致していたのでおかしかった。

「リバレスも驚いたか。私もだ。今まで、ずっと天界でしか朝を迎えたことは無かったからな」

 私は、微笑みながらも少し溜息をついた。

「ルナもなのー!?あははーまだ人間界二日目で慣れてないもんねー」

 彼女は、朝から楽しそうに笑っていた。本当に気楽な奴だ。時々、その性格が羨ましい。

 こうして、私達は談笑しながらも、身支度を整えていった。だが、一つどうしてもやらねばならないことがあった。リバレスはESGを摂取したが、私には食物がない。昨日はフィーネの家で食べさせてもらったのだが、私は、今日の食物でさえ事欠く立場に陥っている。食物を調達しなければならない。ESGを摂取できないとは何と不便なのだろうと、私は『堕天の刑』の辛さをまたも思い知った。

「すまない、リバレス。私は空腹だから、人間の村で食物を手に入れなければ」

 私は苦笑しながら、リバレスにそう言った。

「仕方ないわねーあんまり人間とこれ以上関わりたくなかったけど、ルナの命には代えられないわー!」

 そう言って、彼女は再び私の指輪へと変化した。そして、私は純白の天使服から、持参していた黒色の丈夫な戦闘用の服に着替えた。天使服は人間界では目立ち過ぎるからだ。それに戦闘服は防護効果が高く、弱体化した私の体を保護するためでもある。準備は整った。こうして、私は重い荷物を背負い仕方なくミルドの村へと戻っていったのだった。

 

〜葬列〜

 私は村へと戻る途中何人かの人間と擦れ違ったのだが、その全てが私に奇妙な物を見るような視線を投げかけていた。ある程度は予想していたが、何がそんなに人間と違うのだろうか?この時点では私には全くわからなかった。その後、村に入り大通りの食料店へ向かう途中、私はある集団がこちらに向かって歩いてくるのを見つけた。

「(何かしらねー?)」

 指輪に変化したリバレスにも、その光景は見えているようだ。

「(さあな。私に人間の行動がわかる筈がないだろう。ん?)」

 私はその意志をリバレスに転送した直後、あるものを見つけたので立ち並ぶ建物の間に隠れた!

 

「パパ……パパー!行かないでよー!
今度遊んでくれるって言ったじゃないかー!」

「あぁ……あなた!私と子供を置いていかないで!」

「うぅ……お父さん、お父さぁぁん!」

 

 葬列だった。喪服らしきものを身に着けた人間達が100人ばかり……しかも、女、子供ばかりが棺に納められた無残な亡骸を運んでいるのだ。間違いなく、昨日鉱山で皆殺し……惨殺された人間の親族だ……その遺族達のある者は大声で泣き叫び……またある者は糸の切れた操り人形のような放心状態に……またある者は錯乱状態に陥っている。私が隠れたのは、その中にフィーネの姿があったからだ。彼女とは会いたくなかったから隠れたのだが、彼女もまた深い悲しみに包まれ周りが何も見えていない様子だった。遺族達に、フィーネのような女子供達しかいないのは、恐らく今までにも同じように『男』が『魔』に殺され続けてきたせいだろう。昨日鉱山で見たように、人間は『魔』によって耐え難い苦しみを与えられている。

 

 そして……その悲しみの行進は、ゆっくり……ゆっくりと私の前を通りすぎていったのだった。

 

「(人間にも同じように……悲しみの心があるようだな)」

 私は人間に多少の哀れみを感じたと同時に、天使と同じ……いや、他人を想う心はそれ以上であるかもしれないということに驚いた。

「(所詮、紛い物でしょー?)」

 リバレスは、相変わらず全く人間を認めていない。怪訝そうな顔が私の脳裏に浮かんだ。

「(本当に、あれが紛い物なのだろうか?フィーネ達人間のあの悲痛な顔が?)」

「(もー!しっかりしてよールナ!こんな場所は早く離れましょーよ!)」

 怒るリバレスに促され、私は食料店へと向かっていった。だが、私にはどうしてもあの悲しみは偽りに思えなかった。

 

〜人間への疑問〜

 私達は、葬列からだいぶ離れた所にある食品店に着いた。店は、立ち並ぶ民家と同じようなレンガ造りだが入り口の上に大きく『ミルド食品店』と書かれてある。私は、小奇麗にされた店の階段を上り扉を開けた。途端にカランカランと音がする。

「いらっしゃい!何が入り用だい!?」

 中年で小太りの男店主が私に愛想良く声をかけた。

「食料と水が欲しいんだが、どうすればいい?」

 私は店に入ったものの、食料をもらう方法がわからなかった!

「異国の人かい?こんな銀貨で商売してるんだがね」

 そう言って、店主は私に銀の貨幣を見せた。そういえば、人間界では物を得るのに対価を支払わねばならないと本で読んだ事がある。

「これじゃあ駄目か?」

 私は、荷物の中から水を飲む為に持ってきた純金の杯の一つを取り出した。この杯は天界では大した価値はない。

「こりゃ驚いた!純金じゃないか!これを、銀貨に交換するけどいいかい?」

「ああ。頼む」

 すると、店主は袋一杯の銀貨と交換した。

「それで、この銀貨で何と交換できるんだ?」

 私は、これで今日一日くらいの食料になればいいと思っていた。しかし……

「その銀貨を全部食料と交換したら、この店が潰れてしまうよ!まぁ、仮に交換したとしたら1年以上は食べていけるね。でも、それは勘弁してくれよ!」

「……そんな事はしないから、今日一日空腹にならない分ぐらいの食料と交換してくれ」

 私は、この威勢のいい店主とやりとりするのに少し疲れてきた。

「はいよ!いやぁ、あんた金持ちだねぇ!見慣れない服だし、何よりそんな真っ赤な髪の人は初めてだよ!」

「……わかったから、早く食料を渡してくれ!」

 私は一刻も早くここから逃げ出したかった。

「こりゃすまないねー!あんたが今までには無いお客さんだったからつい!それにしても、昨日の鉱山での惨事は知ってるかい?特にフィーネちゃんって子が可哀相なんだよ!フィーネちゃんの父親は唯一の家族だったのに……数年前も」

「もういい!」

 私は、店主が置いた食料を取って急いで店を出た。

「(何であの男は聞きもしないことまで喋るんだ!?)」

 私は少し腹がたっていた。天界には少なくともあんな奴はいない。私はますます人間がわからなくなった。

「さぁねー人間ってわけわかんないわねー」

 リバレスも、少し困惑気味だ。

「私達は、そんな人間と200年も過ごさなければならないんだな」

「……あー!お先真っ暗!って感じよねー」 

 私達は、店主の図々しい態度や強引さに呆れて、これが人間かと思うとこれから先に不安を覚えた。

 

 しかし店主の言葉にフィーネが出てきた事で、昨日今日の出来事が鮮明に蘇ってきた。

 天界から堕ちて怪我をした私を、何の見返りも求めずに
助けた少女……

 昨日、唯一の肉親を失ったばかりの少女が私達に投げかけた
言葉……

 今日も、悲しみに暮れている少女が私を信じると言った
言葉……

 

「あなた達の力が必要なんです!

 あなたを信じて待ってますから!」

 

 人間が……人間如きが……どうして、こんなにも『魔』に脅かされ続ける苦しい世界で強く生きられる。

「……フィーネは……本気で私を信じているんだろうか?」

 私は思わず、思った事を口に出してしまった。しかし、その言葉に、リバレスは過敏に反応した。

「(人間なんて、自分の身すら守れない!言い換えれば自分自身を信じることも出来ないのに、他人を信じることなんて出来はしないわよー!)」

 リバレスは、さっきから私が思いも寄らない事ばかり言うのでまた怒り出した。

「(……私もそう思うが)」

 時刻は正午を回っていた。私は妙に釈然としない気持ちを抱えながら、村の外れの大木の下で食事を取った。

 

目次 続き