【第四節 反抗の代償】

 

「ドンドンドン!」

 無機質に……荒々しくドアを叩く音で私達は目を覚ました。時刻はまだ午前6時だ。一体何事だろうか?

「んーなぁにー?」

 しかし、リバレスの呑気な声は相変わらずだ。

「此処を開けろ!」

 聞きなれない凄みのある声がドアの向こうから聞こえた。私は急いで着替え、ドアを開けた。

「天使、ルナリートだな!?」

 この天使達には見覚えがある。神官ハーツの親衛隊だ!

「はい、私はルナリートです。私に何か用でしょうか?」

 私は事情が解らなかったので、普段と変わらぬ態度で対処した。神官に昨日見つかった件は見逃された筈だが……

「神官ハーツ様の勅命により、お前を連行する。いいな!?」

 親衛隊は専用の白い甲冑で身を固め、鋭い槍で私を包囲している。此処は大人しくしているのが賢明だろう。

「ちょっと待ってよー!?ルナが何をしたっていうのー!」

 リバレスは、この異常な状況を打破する術を持たなかったが、それでも私を弁護する為に叫んだ。

「黙れ!天翼獣の分際で!神官ハーツ様直属の親衛隊である我々に意見するな!」

 親衛隊は声を荒げてリバレスの言葉を掻き消した。

「さぁ、来てもらおうか?」

 彼等は更に接近し、私の喉元近くに槍を突き付けた。

「はい」

 私はこうして理由も解らぬまま、神官の元へ連行されていった。それには私の身を案じるリバレスも一緒に付いて来た。

 

〜神官室〜

 私は親衛隊に無理矢理歩かされ、昨日通った封印の間への道を抜け、監視台を通り『封印の間』の入り口の手前にある神官室へと連れて来られた。

 此処に来るのは生まれて初めてだ……。途中、神官の神術が施された噴水の傍らに、私のコップの破片が落ちていたのを横目に見て、昨日の出来事が脳裏に蘇る。

 やはり、昨日の免罪は虚言だったのだろうか?

 そんな事を深刻に考えている間に神官が私達の眼前に現れた。相変わらずの冷徹な目付き、狂気染みた口元……。それを強調するかの如く、この神官室は薄暗く冷たい空気が流れている。

 壁には、神官の杖や剣などの武器、更には拷問器具までもがある。私は血液の付着したそれらを見て背筋が凍りついた。リバレスも小刻みに震えているのが解る。そして、狂気の神官ハーツは口を開いた。

「さて、此処に君を呼んだのは他でもありません。尋問の為です。今から、私が君に幾つか質問します。君程優秀な天使なら、即答できる質問の筈。正直に答えなさい」

 神官は私を椅子に腰掛けさせ、彼も机を挟んで私の正面に座った。周囲は当然の如く親衛隊に取り囲まれている。

 何故、私が尋問されるのだろうか?恐らくは昨日の件だろうが、あれは許された筈なのに……

 だが私は、釈然としない気持ちを抑えたまま、大人しく尋問を受けることにした。まずは相手の真意を掴む必要がある。

 「尋問をどうぞ」

 私は短くそう返事した。

「いいでしょう。今から質問する内容は衛兵によって記録され、公な証拠となります。くれぐれも虚偽の返答をしないように」

 その言葉と同時に親衛隊の一人がハーツの横に座った。手には万年筆を持ち、書類に記録をしている。

「まず、あなたは万能なる唯一絶対なる神の存在を信じますか?」

 ハーツは強い口調で私に問い掛けた。この言葉に対する答えは、勿論本心ではノーだが……

「はい、信じます」

 そう言った瞬間だった、ハーツは顔を怒りに紅潮させ、机を激しく叩いた!

「嘘をつくのではない!昨晩、君が神に疑問を持っていると言ったのを、はっきりと聞いた者がいるのですよ!」

 私はその反応に驚いた。昨晩、その話をリバレス、ジュディア、セルファスにしたのは事実……。

 しかし、誰がそんな事を密告するんだ?誰か知らない天使が盗み聞きしたのだろうか?情報が少ない今は、下手に答えるべきでは無いだろう。私は暫く黙る事にした。

 神官は束の間の沈黙の中で思索を巡らせて、こう言った。

「ルナリート君!君は最高に優秀でありながら、本当にそんな事を言ったのですか!?違うでしょう!?きっと、密告者が君を陥れようとしているのです!」

 ハーツは更に興奮し、荒々しく声を上げた。

 その様子から、私への期待と信頼の高さが伺える。私は唯テストで優秀なだけだと言うのに……。彼は天使を勉強の出来不出来でしか判断出来ないのだ。

 それはさて置き、いつまでも黙っている訳にはいかない。私は怒れる神官に無難な質問をすることにした。

「私がその質問に答える前に、一つお伺いします。密告者とは誰なのでしょうか?私の見解と、密告者の報告が食い違う場合、正しい裁きが為されないのは言うまでもありません。出来れば、お呼び頂きたいのですが」

 私はあくまで冷静に対処した。相手の感情に合わせて、自分を激化させれば悪循環だからだ。

「良いでしょう!来なさい!」

 

 その言葉に反応し、部屋の奥の扉から出てきた天使はよく知る天使だった!

 非の打ち所の無い美しい容姿を持ち、完全主義者の女天使!

 

「ジュディア!」

 私が反応する前にリバレスが驚愕の叫びを上げた。

「ジュディア、何故だ!?」

 私はジュディアの目を直視する。

「あなたに……あなたに余りに危険過ぎる考えを止めて貰いたいからよ!」

 彼女は、半分涙目になりながら悲痛な叫びをあげた。ハーツに密告したのは私に考えを改めさせる為だったのだ。

「天使ルナリート君!もう一度聞きます!この天使ジュディア君が、昨日私に言ったことはあなたの本心なのですか!?否、単なる気の迷いでしょう!?」

 神官は更に興奮し、私に質問を浴びせる。

 私は、神官ハーツが次にとる行動を考えた。私が此処で本心を否定すれば、無罪放免されるだろう。しかし、虚偽の密告をしたとされるジュディアはどうなるだろうか?間違い無く厳罰に処せられる。

 神官は、私を信じている。成績の良さ故に。そこを上手く利用すれば、私もジュディアも無罪に出来る筈だが……

「神官ハーツ様!私が神官様に報告したのは、天使ルナリートに考えの更正を施して欲しいからなのです!」

 ジュディアは神官に叫んだが、彼はその言葉には耳も貸そうとしない。

「天使ルナリート君、正直に答えなさい!ジュディア君の密告は真実なのかどうか!?真実で無いのであれば、ジュディア君を処罰して君は解放しましょう!君程優秀な者が、そんな愚かな過ちを犯す筈はありませんからね!?」

 やはり神官は私を盲目な迄に信じている。

 私が此処で真実を否定するのは容易い。上手い嘘で、私とジュディアの両方を無罪にする事も容易い。

 だが私は、今後天界で胸を張って生きていけるのか!?

 自由を言葉に出来ず、真実は闇に葬られる。それで、満足出来る筈が無い!

 

 もう、心を否定され続けて生きるのは嫌なんだ!

 

「神官ハーツ様!私天使ルナリートが昨晩、天使ジュディアに話したことは全て真実です!私の本心です!」

「ルナ!」

 リバレスとジュディア、二人の叫びは殆ど私の耳に入らなかった。私の心は真実で満たされている!

 私にもう迷いは無い。こんなに窮屈な世界で、我慢して苦しみながら生きていくのは耐えられないのだ!

 私の言葉に、紅潮していたハーツの顔は蒼白になり、今まで見た事が無い程に、冷徹な顔つきになった。

「……失望しましたよ……。天使ルナリート君、否、ルナリート……。あれ程優秀で、私を期待させておきながらこの仕打ち……。君には今晩、公開裁判を行います!その時に謝罪しても、もう有罪は免れません!そして今の君の発言が、どれ程愚かで悔やむべきものだったか理解するでしょう!」

 私は信念を貫く。その為に裁かれるのであれば本望だ。私の考えを全ての天使に聞かせるんだ。『自由』を手に入れる為に!

 私の覚悟を神官が知る由もなく、神官は身も心も凍てつくような叫びを発した。

「牢に連れて行きなさい!」

 その突き刺さるような叫びと共に、私とリバレスは地下の牢獄へと連れて行かれた。

 

〜牢獄〜

 冷たく閉ざされた牢獄……。眼前には強固な鉄格子。それには神術によって結界が張られており、どんな物理的な力を持ってしても破る事は出来ない。

 薄汚れた灰色の壁には、黒く固まった血の爪跡が残っている。罪人が投獄されて、苦しみ抜いて付けた跡だろう。

 罪の無い被告達は、処刑される直前迄、悔しさに涙しながらこの傷を付けたに違いない。

 私も……今晩大衆の前で裁かれる。それまでの時間を此処で過ごす訳だ。

「ルナー!どうして、神官の前で弁解しなかったのよー!?ルナが真剣に考えれば、ルナもジュディアも無罪にできた筈よー!」

 リバレスは、悲しみと悔しさに満ちた顔を私に向けた。

「良いんだ。私が信念を貫く限り、いつかはこういう事態になると思っていた。昨日は私が神官になる。その日まで辛抱するつもりだったが、やはりあの神官には失望と怒りしか沸いてこないよ。そんな奴に敬意を払い、自由の奪われる世界で数千年我慢するなんて、私には無理だったんだ。でも、お前には悪い事をしたと思ってる」

 私は自分の信念を貫いたことに悔いは無いが、唯一つリバレスの今後の事を考えると、申し訳無い気持ちで一杯になった。

 彼女には私が必要だ。私を失った彼女はどうなる?親も兄弟もいない彼女が!親を持たない天翼獣は生きていけない。

 生きていくには天使の助けが必須なのだ。

「……ルナのバカー!バカバカバカ!」

 リバレスは、小さい体で泣きながら私の胸を叩いた。私にはその気持ちが痛い程良く解る。

 だが、私には彼女に伝えなければならない言葉がある。

「……リバレス、よく聞くんだ。私は今迄、お前の親代わりになって生きてきたつもりだ。だが、今日私は狂気の神官によって裁かれる。恐らくは死刑は免れないだろう。そして今のまま、私がお前の親権者だと罪はお前にも及ぶんだ。だから、私とは縁を切れ!そして別の天使に親権者になって貰うんだ!そうすれば、リバレスはリバレスのまま生きていける。解ったな?」

 彼女はこの言葉を聞いて更に泣き出した。もう喋ることも出来ない。

「ごめんな」

 私はリバレスの頭を優しく撫でた。こうするのも、これが最後かもしれない。

 

 私達は無言のまま、寄り添っていた。徒に時が過ぎていく……

 そして、数時間程経っただろうか?友人達が尋ねてきた。結果的に私を陥れる形になったジュディア、そしてセルファスとノレッジだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」

 ジュディアは号泣しながら私の元へとやって来た……。その涙で滲んだ美しい顔は、後悔の痛みに彩られている。

「馬鹿野郎!何で反論しねぇんだ!?お前なら、何とか出来ただろ!?」

 セルファスは本気で怒っている。その怒りの強さから、私のことを本気で心配してくれているのが良く解る。

「ルナリート君……僕は失望しましたよ。君は僕の目標だったのに、まさかこんな事になるなんてね」

 しかし、ノレッジは微笑さえ見せた。彼だけは、私の事を考えていない。

 彼は、建前として私の事を心配する振りをしているだけなのだ。寧ろ彼は、私が消えることに喜びすら抱いている。醜い優越感を得ているのだろう。

 心の闇を垣間見たが、わざわざ私に会いに来てくれた友人達に言葉をかけない訳にはいかない

「こうなってしまったものは仕方ない。誰も悪くはないんだ。ジュディアもな。強いて言うならば、自由な考えを持つだけで罪人となるこの世界が悪い……。私は昨日言った通り、自分の意思を貫き通した末に、全ての天使に自由を与える礎となるなら悔いは無い。そうする為の発言を、法廷の場で胸を張ってやるさ」

 私は淡々とだが、強い意思を持って語った。

「ルナ!あなたが居ない世界なら私は要らない!私は裁判で、何とかあなたを守って見せるから!それが私のせめてもの罪滅ぼしだから!」

 ジュディアは涙声でそう叫んだ。しかし、

「やめるんだ!」

 私は自分でも驚く程の大声で彼女を一喝した。

「それで、罪がジュディアにまで及んだらどうする?これは私の戦いだ、自由な世界を勝ち取る為の!」

「でも、でも!こうなったのは私の所為なのよ!」

 彼女は一歩も退こうとしない。

「ありがとう、気持ちだけ受け取っておくから。絶対に馬鹿な真似は止めるんだ。それが私への償いだと思ってくれ」

 その言葉の後、ジュディアは啜り泣きが止まらず、口を開くことはなかった。

 

 その後に、皆とどんな話をしたかは記憶していない。

 私の頭の中は、信念と決意のみに支配されていたからだ。

 

 永遠とも思える沈黙の中……また数時間が経過した。

 

 死……否、それ以上の苦しみを考えると、私はどうしようもなく不安になって来た……

 自分の意思を曲げる気は毛頭無いが、いざ自分の生涯の終わりを目前にすると心は恐怖で満たされる。

 死ぬのは怖い、生命としての基本的な感情が今ごろになって私を満たしだしたのだ。

 

 私は愚かだったのだろうか?普通に生涯を全うする方が幸せだったのではないか?

 本当に私の裁判での発言如きで世界を変えられるのか?無駄な死になるのでは無いだろうか?

 

 しかし、苦悩の果てに私はいつのまにか今までの生きてきた道を記憶の中で辿っていた。

 

 記憶にはリバレス、そして友人達と過ごした1000年余りしか浮かんで来ない。記憶を辿るにも私には謎が多過ぎるのだ。

 私は両親の顔を知らない。私を産んですぐに死んだという事を聞いただけだ。

 また、自分の本当の名前も知らない。ただ解っていたのは『ルナリート』という名前の一部のみ。本当の名前は誰も知らないのだ。

 そして、私は様々な点に於いて他の天使とは違う。外見も、能力も、考え方まで……

 

 それでも、私は自分に胸を張って生きて来た。自分自身に後悔はない。

 私は最後まで信念を貫く。何者にも脅える事無く、自由に暮らせる世界にする為に!

 

私が生きてきた理由は此処にあるのだ。

 

 そう決意を固めた頃、ずっと黙っていたリバレスが真っ赤に腫れた目を擦りながら私に話しかけてきた。

「わたしの親はルナ一人だからー!」

 その言葉には重い意味があった。それは、私と共に生き共に死ぬ覚悟があるという事……。彼女は其処まで私を慕っている。

「解った」

 私はその意思を確かに受け止め、短いが優しくそう答えた。

「……でもな、私は裁判でどんな判決が出ようとも、意思を曲げるつもりは無い。それぐらい強い意思を見せなければ、この世界に変化は起きないからだ。今迄僅か1826年しか生きていないが、何も変わらなかった。だから私はどんな手を使ってでも、法廷の場で意見を全ての天使に明白にするんだ。自由の尊さを!刑を受けるのはそれからだ」

 リバレスはしっかりと私の考えを受け止め、強く頷いた。私達の間にもう言葉は要らない。

 

 

そして今夜、全てを揺るがす事件が起こる事になる。

 

目次 第五節