【第五節 堕天】

 

 時刻は午後8時半になった。「ツカツカ」と牢獄へ通じる暗い廊下を歩く硬質な音が聞こえる。

 ついに来たのだ。衛兵が私を裁判所……否、処刑場へと連れて行く時が。

 無情な足音が私の独房の前で止まる。

「出ろ!」

 その声と同時に鉄格子が開くと、白い甲冑を纏ったハーツ直属の近衛兵が、私の部屋を訪れた時と同じく鋭い槍を突き出し、私達を完全に包囲した。

「私は逃げも隠れもしませんよ」

 私は法廷で信念を見せるんだ。逃げる理由など無い。

「黙れ!さっさと歩け!」

 私の気持ちを狂える神官の手下が知る由も無く、私達は槍で後ろから追い立てられた。

 来た道を戻り神殿の前に着く迄に、多くの天使が私をジロジロと見ていた。彼等の殆どは私を蔑み……一部の者は、『可哀相に』と小声で囁いている。他人事であるのを良い事にその態度は冷たく恐ろしかった。

 

 天使達がこうなるのは、自由を奪う神官と厳罰に他ならない。

 

 厳罰に処せられる天使は、冷静に考えれば大した罪は犯していない。しかし、神官がそれを重罪に扱えば天使達もそう思うしか無い。言論は愚か、思想、生活まで規制し画一的な社会を作り出し、はみ出す者は即処刑……。それが実情だからだ。

 私は意志を更に強く持ち集中する。次に気が付いた頃には神殿の屋上の裁判所に到着していた。

 私とリバレスは被告人の席に座らされた。時刻は午後9時。それを掛け時計が知らせると神官ハーツが現れた。

 

「只今より、被告人ルナリートの裁判を開廷します!善良なる天使の皆様、神に敬礼を!」

 私とリバレスも含め起立し、裁判所奥にある神官用台座の背後にそびえたつ神を象った彫像に敬礼した。

「皆様、着席して下さい」

 神官は淡々と、裁判の前に行う用意を済ませていった。

「今回、被告ルナリートには3人の弁護人がついています。学友のセルファス君、ジュディア君、ノレッジ君です」

 あれ程、馬鹿な真似は止めろと言ったのに……。被告である私に厳罰が下れば、友人である彼等にも悪影響を及ぼすのだ。

 しかし、裁かれようとしている今となると、私は正直嬉しかった。

「それでは、被告ルナリートに対する罪状を読み上げます!」

 そんな気持ちとは裏腹に冷酷な神官による裁判は容赦無く進む。

「被告ルナリートは、昨晩レッドムーンの日にも関わらず外出をしました!これは、重大な法律違反です!しかし本人は天界一優秀な上、重々反省しています!これが今回の罪状です!」

 おかしい!何故だ!?私の罪はそれでは無い、私は神の存在を否定したんだ!

 今回の裁判の焦点はそれについてだろう!どうなっているんだ!?

「私は!」

 其処まで言った瞬間だった!神官は指先から、強力な『拘束』の神術を聴衆には見えない様に放ち、私の口一点に集約させた!

 口を封じられ何も話せない!

「神官!」

 そう叫んだリバレスは体全体を全て拘束された!

「皆様、この通り被告は重々反省しております。そうですね、ルナリート君?沈黙はイエスと取りますよ」

 そう言って、神官は勝ち誇ったように微笑んだ!私は必死に口を開こうとしたが、天界一の神官の術は外せない!

「この通りです。皆様!弁護人の3人、異議はありますか?」

「いいえ」

 3人は声を揃えて答えた。私は絶望した!

 理由は解らないが、私は陥れられたんだ!恐らくジュディア、セルファスが神官に抗議したのだろう。私を生かしたいが為に!

 そうでなければ、神官が私を助けた恩でこの先死ぬまで私を利用する為に!

 それじゃ、意味がないんだ!この世界を何も変えられないじゃないか!

 

「判決を下す!」

 

 神官はいつもと同じように高らかに叫びあげた。

「被告ルナリートは、今後5000年間私の勉強部屋に禁固の刑に処す!但し、学校の授業のみには参加できるものとする。だが、友人との会話等は一切認めない!」

 

 私は深い絶望と怒りで身が震えた!涙まで止め処なく流れる!リバレスも横でもがき苦しんでいる!

 

 私……否、俺は全ての天使に自由を与える為に此処に来たんだ!それなのに……それなのに!

 

 私の意見を伝えるのは愚か、口封じまでされて何も話せない!そして、判決が今後5000年間も神官の元に禁固だと!?

 ふざけるな!私をこうやって助けた振りをするのは、じっくりと時間をかけて精神操作を施して、利用する気なのだろう!?

 

 この裁判は謀略だ!私の口を封じて、自分の思い通りに世界を動かす為の!

 

 許さない!絶対に許さない!

 

 そして、感情が限界を超えた時、俺の体に変化が顕れた!

 体がとてつもなく熱い!焼けそうだ!そう感じた時には体中が強力な『力』に包まれていた!

 頭髪は銀色に変色し、瞳は真紅に染まっている!

 先刻、神官にかけられた『拘束』の神術も紙切れのように弾け飛び、次の瞬間には、苦しむリバレスに手をかざし、術から解放していた!

 

「な、な、な……何ですかそれは!?」

 長い沈黙の後、其処で神官がようやく口を開いた。そう感じたのは、今の俺には全ての動きが止まっているかの如く見えるからだ。

「……何ですかだと!?ふざけるな!貴様がかけた術で、俺達の口を封じたのだろう!?それを破っただけだ!……何が神官だ、何が神だ!保身と欲の為に生きる偽善者が!」

 俺は怒りの余り、普段決して使わない暴言まで吐いた。

「天使ルナリート!せっかく助けてやったのに何だ、その態度は!?近衛兵、取り押さえなさい!」

 近衛兵は全員槍を持ち俺の元へ走り寄る。

「邪魔するな!」

 俺は、右の掌から『焦熱』の神術を放った!

 それは近衛兵の白い甲冑を真っ赤に加熱させ、全員裁判所の壁に叩き付けた!叩き付けられた壁は崩壊し、崩壊した壁から兵が外へ飛び出す!

 本来、この術は学校で教わる最も初歩の術で、マッチ一本程度の火力しかない。今、俺の体は通常の数百倍以上の力が漲っているようだ。

 

「俺達は……貴様みたいな神官が造った、偽物の『神』の教えに操られる、生きる意志を持たない人形なんかじゃないんだ!生きる者はな、自由に考え自由に発言し、自由に生きる権利があるんだ!」

 俺は神官を激しい憎悪と共に睨み、言葉を続ける!

「……それを貴様は踏み躙る!気に入らない奴は、すぐに惨たらしく処刑する!そして俺のように、成績が優秀な者は助けて利用する!貴様が本当の罪人だ!」

 

 俺は今まで言えなかった本心を神官にぶつけた。聴衆の天使は皆、俺の意見に聞き入っている!皆が少なからず同じ疑問を抱いていたのだろう。この後はどうなろうと、俺は満足だ……

「天使ルナリート!救いようのない男だ……これでも食らいなさい!」

 ハーツは高等神術である『滅炎』を俺に向けて放った!それは半径5m程の炎の渦で、とてつもない熱量だ!しかし、俺はそれを片手で完全に掻き消した!

 その熱は辺りの物を溶かし、普通の天使ならば側に寄れない程の熱空間を生じた。

 尋常ならざる光景を見て、聴衆の天使達は急いで逃げ出す!

 

 そして……この場には俺とリバレス、セルファス、ジュディア……そして神官だけが残された。臆病な保身主義者のノレッジは真っ先に逃げ出していた。

 

「貴様の所為で、何人の天使が犠牲になったと思ってる!?この1000年間、俺と同じような考えを持った天使が!?皆、この世界を変えたかったんだ!自由に……何者にも脅える事無く、幸せに生きる術を模索したんだよ!」

 俺は自由を求めて処刑された、今は亡き天使達の意見を代弁した!

「黙れ、黙れ、黙れ!この神官ハーツ様に逆らうな!逆らう奴は死ぬがいい!」

 そう叫び、ハーツは杖を振り上げた!『魂砕断』だ!

 光の刃が俺を襲う!その術を眼前にして感じたが、確かにこれだけの力なら魂が砕けてもおかしくはない!

 しかし、その瞬間俺は全身の力を最大限まで増幅させた!

「パリーン!」

 究極処刑神術の『魂砕断』は、激しい音を立て俺の体に触れる前に粉々に砕け散った!

「そんな馬鹿な」

 ハーツは杖を落とし、ガックリと膝をついた。

「神官ハーツ!今までの無念の天使達の怨みを思い知るがいい!」

 俺はハーツとの距離を一瞬で詰め、拳に怒りを込めて狂気の神官を殴り飛ばした!

「うがぁぁ!」

 神官の叫びと共に、ミシミシと骨が砕ける音がした!そのまま奴は『神を象る彫像』に激突し床に落ちる。

 俺はゆっくりと奴に近付いた。

「来るなぁぁ!許してくれぇぇぇぇ!」

 奴は懸命に命乞いをしている。

「貴様は……今まで命乞いをした天使をどうしてきた!?」

 俺は未だ収まらぬ激しい怒りを神官に向けた。

「……許して下さい!どうか、どうか命だけは!」

 惨めな姿だ。あれ程厳格に……否、傲慢に天使に情けをかけなかった神官が、こうして跪き許しを請うている。

 しかし、俺は冷徹に言い放った。

 

「二度と転生出来ぬよう、肉体もろとも魂を消し去ってやる!貴様にはその刑がよく似合う!」

 

「ルナ!」

 その時初めて、リバレスとジュディア、セルファスが叫んでいるのに気付いた。

「止めるな!この男がいなければ天界は救われる!」

 しかし、3人は俺の元に駆け寄り必死で止めようとする!

「ルナ!それで神官を殺しても、神官とやっている事は変わらないわよー!」

 俺が奴と変わらないだと!?そんな筈はない!

 3人は必死で俺に食い付いてきたが、今の俺を止める術は無かった。

「神官ハーツ!覚悟するがいい!」

 神官は放心状態に陥っていたが、そんな事は関係無い。俺は、許されざる者を消滅させる為に、空中に強力な『滅び』の力を集めた!

 何故か、今の俺には全ての神術の術式が頭に浮かぶ。究極神術を超えた禁断の神術さえも!

『滅び』の力はやがて空間さえも飲み込み始めた。これを放てば神官は愚か、この神殿そのものが消滅するだろう!

 

 構わない、消えてしまえばいい!

「禁断神術!」

 其処まで叫んだ時だった!

 

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