〜深夜11時〜 私達4人は、定刻通り神殿前の噴水前に集まった。 空には真紅の月が出ている。私の髪と同じ色だ……。辺りは不気味な赤色に染まり、他の天使は一人もいない。 この日は古来より、外に出れば災いが降りかかると言われている。しかし、私達は子供の時に一度レッドムーンの日に遊んだことがあるが、災いなど何も起こらなかった。寧ろ、うるさく注意する神官や大人の天使がいないので楽しく遊べたものだった。 だが、今回は訳が違う。今は天界の法律に従わなければならない年齢だ。捕まれば大変なことになる。それを皆が悟ってか、私達は無言で『封印の間』への道に就いた。 噴水前から石畳を歩き、レッドムーンの光をも閉ざす森を抜け……そして、衛兵がいる筈の監視台の下まで来た。いつもなら最低二人は衛兵が目を光らせている筈なのだが。 「よし。やっぱり今日は誰もいないな」 ヒソヒソ声で周りを警戒しながらそう言ったのはセルファスだ。 「ああ。勝負は此処から始めることにしよう」 私もその言葉に慎重に返した。 「私とリバレスは、此処で時間をカウントしてるから気をつけて行ってきてね。特にルナ、お願いよ」 ジュディアは美しく長い金髪を風になびかせ、大きな瞳を心配に染めながら言った。 「解ってる。私は勝つつもりだ」 それに過敏に反応したセルファスは小声だが興奮しながらこう言った。 「ジュディア!俺はこの勝負でルナに絶対に勝つ!そしたら俺の事を認めてくれ!」 覚悟した男の真剣な眼差しだ。だがジュディアの反応はいつも通り冷淡なものだった。 「はいはい。もしあなたが勝てたらね」 ジュディアを見ていると、表裏があって怖く思える。彼女が私に好意を持っているのは解るが、他の天使に対しては冷た過ぎる。 きっと、私がジュディアに認められなくなったら、途端に私から去っていく。そう思えるから、今まで彼女の思いを受け止めたことはない。 外見の美しさには非の打ち所が無いのだが…… そんな冷淡なジュディアの返事に対しても、セルファスは嬉しそうに言った。 「よし、これでルナを負かせてジュディアに認めて貰うんだ!」 彼からやる気が漲っているのが感じ取れる。そしてもう一人私を心配するリバレスが言った。 「負けてもいいから、無事に帰ってきてねー!」 私にとって子供のようなリバレスの励ましが、一番頼りになる。この勝負はこれから先の事を考えて、負けてもいいから無事に帰って来ようと決意した。それでも、勝てるに越した事は無い。 「ルナ、スタートだ!」 セルファスが叫んだ。と同時に私達は駆け出した! この監視台の下から『封印の間』の門前の噴水迄は、大体500m程度あると言われている。走り始めて気付いたのだが、監視台からのこの道は強固な高い塀と木々に囲まれ、まるで牢獄のような閉塞感を受ける。また、殆ど光も入ってこない。 しかし、セルファスは辺りを気にせず全速力で駆け抜けていく。その並の天使を超越したスピードでは、恐らく1分もしない内に着くだろう。 「(このペースじゃ負けてしまう)」 私は、全身に力を込め全力で地面を蹴っていった。足元は変わらず石畳なのだが、時折それがひび割れる程の力を込めて走っているのだ!そして、本気を出した私はすぐにセルファスを間近に捕えた。 「くっ!やっぱりルナは早いぜ」 もうセルファスの声が聞こえるぐらいの距離だ。すると、セルファスは更に加速した! 「うぉぉ!」 彼は顔を真っ赤に染め、全力を出しているのが明瞭だ。その熱気は私にまで伝わってくる。 「セルファス……いつからそんなに速くなったんだ!?」 私は少し息を切らせながら尋ねた。 「……負けられねーんだ!俺はジュディアに認めて貰うんだ!」 彼は問いには答えず呪文のように叫んだ。恐らく、走り始めてまだ30秒程だろう。しかし、もう目前に『封印の間』の門前の噴水があった。私とセルファスはほぼ同時に自ら持参したコップに噴水の水を汲もうとする。……すると、とてつもなく眩い光が少し離れた水底から放たれた! その光は私達に向かって来たが、間一髪で避け、私のコップだけが砕け散った! 「まずい、ルナ!あれは、神官ハーツお得意の『拘束』の神術だ!」 それは、昨日の裁判で被告を押さえつけた強力な神術である。恐らくはハーツが侵入者用に設けた罠だろう! 「解ってる、どんどん放たれてくる!?セルファス、勝負はお預けだ!逃げるぞ!」 私は緊急の事態にそう叫ぶしか無かった。青褪めたセルファスは即座に答える! 「おう!捕まったら終わりだ!全力で行くぞ!」 私達は顔を見合わせ、行きの時よりも更に速く、息も絶え絶えに元の監視台に戻っていった。 時間としては、ほんの二分程度の出来事だっただろう。しかし、私達二人には永遠に等しく感じていたのは確かだ。 そんな私達を迎えたジュディアとリバレスの表情は不安に曇っていた。勝負どころじゃないという程、疲労と恐怖に引きつった私達の表情を見て、ジュディアは心配そうに話しかけた。 「どうしたの!?二人とも!?」 その質問には私が答えた。 「今はそれよりも逃げるんだ!事情は後で話す!」 私が余りにも大きな声で叫んだので二人は驚いていたが、事の重大さに気付き私達に続いて走り出した! しかし、突如見慣れぬ影が私達の前に立ちはだかった! 「こんな所で何をしているのです!?」 私達を絶望の淵に追い遣る、その冷徹な声の主は紛れもなく『神官ハーツ』のものだった。 全てが終わった。そう観念して、何も答えない私達を見て更にハーツは続けた。 「この凶日に出かけるばかりでは飽き足らず、まさか『封印の間』に近付くとは!」 其処で、少しでも弁解する為にリバレスが打って出た。 「わたし達が此処にいる罪は認めます。でも、『封印の間』に行ったとは断言出来ないんじゃないでしょーか?」 しかし、ハーツは不敵な笑いを浮かべそれに返答した。 「君は確かセルファス君でしたねぇ。君の持つコップに入っている水には私の術が施されているんですよ!」 そう突き詰められたセルファスは持ったコップを、呆然と力を失い地面に落とした。 ……どれだけ良いように考えても死刑は免れないな。 私達の誰もがそう思っていた筈だが、聡明なジュディアだけはその場に跪き反論した。 「神官ハーツ様!どうかお許し下さい!私達は唯、神に祈りを捧げたかっただけです!『封印の間』に近付いたのも、神のお近くに寄りたいが為です!全ての行動は私達の信仰心の顕れなのです!」 彼女は必死に説得しようとした。しかし、ハーツの表情は変わらない。そして私は決断した。 「神官ハーツ様!全てはこの天使ルナリートの責任です。皆を誘ったのは私です。どうか、私を処罰して下さい!」 その言葉が終わる刹那に他の3人が同時に叫んだ。 「ルナ!?」 そして無限にも等しく思える沈黙の後、ようやくハーツが口を開いた。 「成る程、事情は解りました。全ての天使の中で最高に優秀なルナリート君が言うのだから間違いはないでしょう。だから……今回は特別に見逃してあげましょう。しかし、次は無いと思いなさい!」 私達は意外な結果に顔を見合わせたがすぐに返事をした。 「はい!ありがとうございます!」 ハーツは呆気ない程早々に立ち去ったが、死ぬ思いをした私達は無言で帰路に就いた。まだ皆が恐怖に震えているのが解る。 だが、私だけは至極冷静でいたのはおかしな事だろうか? そんな疑問を自分に投げかけていると、私達の生活の主軸である神殿前の噴水広場まで戻って来た。其処でようやく皆の心がほぐれたようだ。 「ルナ!あんな事を言ってどうするつもりだった(んだ!)(のよ!)(のよー!?)」 三人は同時に叫んだ。皆が親身になって心配してくれている。 其処で、私は先刻の言葉に隠された、1000年以上も誰にも語らなかった真意と決意を全て話すことにした。 「私が……普通じゃないのはみんなが知っている通りだ。でも、私は自分の考え方については正しいと確信している。今から話すことは皆だから話すんだ」 皆、瞬きすら躊躇うかのように真剣に私を見つめる。 「私はこの世界そのもの、いや天界に疑問を持っている。『神』という見えない観念に縛られ、全ての天使が自由を奪われている。神官や学校の教師達は私達に決め付けられた思想を植え込み、其処からはみ出す者は容赦なく処刑される。それが果たして幸せだろうか?否、私は決してそうは思わない。全ては神の教え、全ては私達の幸せの為……そう思い込まされているに過ぎないんだ!何故そう思うのかは、神官ハーツを見れば解るだろう?奴によって、私と同じように疑問を持った天使は殺された」 今まで押し殺してきた感情が激化する。私は握った拳が怒りに震えた。 「私は、自由な一生が欲しい!自由に考え発言し、何者にも脅えることなく生活できる世界が!その世界が永遠に実現しないのならば、私にとっては生きながら死んでいるようなものなんだ!」 私を見つめる瞳が、驚きに染まって行く。 「さっき私が皆の為に犠牲になるような発言をしたのは、裁判の場で全ての天使に『自由の幸せ』を理解させたかったからだ。それでもし私が殺されても、必ず私の考えを継ぐ者が現れる。そして、いずれは天界に生きる者全てが、真の幸せを享受出来る時代が来る!それが叶うならば、私一人の犠牲など軽いものだ。そもそも、私は『神』の存在を認めていない。本当に存在するならば、こんな世界にはしない筈だ!」 私は、興奮を抑える為に深呼吸をした。皆はどんな反応を示すだろうか?絶縁で済むだろうか…… 「ルナ!目を覚ましなさいよ!あなたはどんな天使よりも優秀で、容姿も頭脳も最高な天使ルナリートでしょう!?唯一、私が一人だけ認めた存在の筈……。それをあなたは裏切るの!?」 私の考えの一片も理解出来ず、そう答えたのはジュディアだった。 「私はジュディアが思っている程、素晴らしい天使じゃないさ。偶然、能力が良く生まれて来ただけだし、そんな自分に孤独さえも感じてる。ジュディアには解って貰えないようならそれでいい」 私は冷静にジュディアの目を直視して、多少冷たくそう言い聞かせた。 「俺もそう思うぜ……。お前程優秀な奴が、そんな馬鹿な事を言って一生を無駄に散らせるなんて許せねぇよ!友人として絶対そうさせる訳にはいかない!お前は俺の目標だし皆にも必要なんだ!俺はそんなことになる前に力ずくで止めるからな!」 彼は激しく私を叱責した。私を思い遣っての事だろうが、私の考えは変わらない。 「セルファス……気持ちは嬉しいんだが、友人なら解ってくれると思ってた分……残念だよ」 悲しい事に、親友だと思える彼にも理解して貰えない。私に共鳴してくれる友人はいないのだ。 「リバレス!お前も何とか言ってやれよ!」 話を振られたリバレスは戸惑いながら……それでもしっかりと答えた。 「わたしは、ルナが大事な親みたいなものだからルナの考えは尊重する。でも、絶対死なせたくない!今日はもう遅いし、わたしが部屋で説得してみるから、みんなはもう帰って」 「でも!」 二人は同時に答えた。しかし、リバレスは態度を変えなかった。 「お願い!わたしは、生まれた時からルナに育てられてきたから、何となく考えは解るのー!絶対みんなの思うような悪い方向にはしないからー!今日は……ね?」 そう言って二人は渋々と部屋に帰って行った。 「……絶対に!私の信じるルナに馬鹿なことはさせないから!」 ジュディアが帰り際に放ったその言葉が、何故かいつまでも耳に残った。 そして私達も部屋に戻り、リバレスと二人になった。 「……リバレスありがとう。お前だけだ、私を解ってくれるのは」 彼女は少し困惑しながら答える。 「もうー!普段はわたしのことなんか、滅多に褒めないくせにー!ルナがそんな考えを持ってるのは解ったけど、それが神官に知れたら死刑じゃ済まされないのよー!だから、ルナが将来神官になって、現状を改革する日が来るまでは他言しないって約束できる!?」 こうなると、まるでリバレスが私の親みたいだな。 「それが一番堅実だろうな。解ったよ、もう無茶はしない。ゆっくりと天界を変えていくさ」 私は、一朝一夕で変えられない現実を直視し、これから先生涯をかけての責務を胸に誓ったのだった。 そう、この時は本気でそう思っていた。 | |
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