§第一章 天界§

【第一節 天界の厳罰】

 

「判決を下す!」

 

 そう、狂気染みた甲高い声で冷徹な言葉を叫んだのは神官ハーツだった。

 此処は天界の中央、『大神殿』の屋上にある裁判所。この裁判所の特徴は、美しく磨かれた大理石の外壁と、微風に揺れる規則正しく灯された燭台だ。裁判の傍聴人である私達が座っている椅子は縦横整列されており、丁度100席ある。

 神官によって、頻繁に執り行われる無意味な裁判……。嫌気が差した私は、空を見上げた。其処には、数え切れない星屑が浮かび、今にも自分が吸い込まれそうな錯覚さえ覚える。

 怒りが自分の中に渦巻くのを抑えていると、神官の次の言葉が耳に突き刺さる。

「被告クロムは神への忠誠を忘れ、そればかりか神を冒涜した罪により『魂砕断』に処す!」

 彼は、先刻の声よりも更に大きく叫んだ。被告は、顔面を蒼白にして震える声で反論する。

「待って下さい!私は神への賛美歌の詩を一言間違えただけです!」

 裁判所の奥にある神官用の台座に立つハーツは冷徹な表情を浮かべその言葉に返した。

「被告は聖歌隊の隊長でありながら、全ての天使の眼前で神を汚した事に変わりはない!よって、極刑を以ってしか神の怒りを静めることは出来ない!」

 私は一連のやりとりを静観していたが、判決が重過ぎる事を許せなかった。昔からそうだが、神官は些細な事に対しても厳罰で臨み、殆ど罪もない天使を処刑してきた。もう黙って見過ごすのは限界だ!

 私は、自殺行為とは知りながら思っている事を口にする。

「神官ハーツ様、被告人は十分に反省しています!これからは、同じ過ちは繰り返さないでしょう。元々、悪意があったとは思えません!どうか、恩赦して頂けないでしょうか!?」

 その言葉が終わるか終わらないかの間に、隣に座っていた天翼獣(様々なものに変化する能力を持った、小さな天使のような存在。蝶の様な羽を持ち、空想上の妖精に似ている。否、寧ろ妖精という存在が天翼獣から考え出されたという推測が妥当だろう。)のリバレスが私の口を塞ごうと手を伸ばし、小声で叫ぶ。

「ルナ!神官には逆らっちゃダメよー!」

 私の身を案じての言葉だった。彼女は小さいながらも、私の世話を目一杯焼いてくれる優しい天翼獣だ。リバレスに意識を向けていたが、ハーツの鋭い視線が私を正面に振り向かせる。

「天使ルナリート君。君は、天使学校の中で最高の成績を修め、普段の行いも非常に優秀ですが、今此処で先程の言葉を訂正しておかなければ、君も重罪人になりますよ!」

 重罪人……そうなると、最低でも死は免れないだろう。

 だが、こんな風に言いたいことも言えない束縛された世界なら、それもあながち悪くないとさえ思う。しかし、私が黙って神官を見据えていると、友人で女天使のジュディアが叫んだ。

「神官ハーツ様、お待ち下さい!ルナの優秀さはハーツ様が仰った通りです。当然、神に対する信仰の証である『神学』の成績に於いても、全天使の中で最高です。だから、さっきの発言は一瞬の気の迷いなのです!ね?ルナ!?」

 そこまで私を庇おうとしているのだから、私はジュディアの言葉に従うしかないだろう。

「申し訳ありませんでした。先刻の言葉は訂正致します。私の発言は無かったものとして裁判を続行して下さい」

 結局は自由を求めても変化は無く、私は悔しさを噛締めながら裁判を傍聴するしかなかった。

 

「善良なる天使の皆様、判決は即座に執行されます!」

 そう叫ぶや否や、神官を取り巻いていた近衛兵4人が被告人を処刑台へと連れて行き、特殊な力によって台に拘束した。その特殊な力とは、個人差はあるが全ての天使が使える『神術』と呼ばれる力である。

 神術によって拘束されたクロムは泣き叫びながら許しを求めていた。それも当然だろう。賛美歌の詩を間違えたという些少の事で、今から死刑よりも重い刑に処せられるのだから……

 

「只今より、被告人クロムを『魂砕断』の刑に処す!」

 

『魂砕断』……この刑は、肉体は愚か魂までも粉々に砕かれる極刑だ。普通に生を全うした場合、私達天使は肉体に寿命が来ても魂は朽ちることなく新しき生命へと転生できる。転生の際には全ての記憶は失われることになるが、再び生まれ落ちることは幸福であると考えられている。だが、その刑はその機会を完全に奪い、受刑者の魂は永遠に存在することが出来なくなるのだ。

 そして刹那の後、ハーツが声を張り上げた。

「神よ……今から、この不浄なる者の魂を永遠に滅します!怒りを鎮めたまえ!」

 そう言って、ハーツは手に持つ純金と宝石が散りばめられた豪奢な杖を振り上げた。その瞬間、彼と掲げられた杖にとてつもない『力』が集中しているのを感じる。この裁判所にいる私達全てを焼き尽くせそうな程の眩い光と熱が一点に集中しているのだ!

 そして、ハーツが冷笑と共に杖を振りかざした!

「いやだぁぁ!」

 痛烈な断末魔が辺り一面に谺する中、容赦の無い光熱の刃が被告人クロムを切り裂いた。肉体は切られる度に血を流すが、一瞬で蒸発し破片すら残らない。肉体が消滅し、激しい光と爆音の後に魂が砕かれたと私達は悟った。

「(なぜここまでする必要があるんだ?見せしめの為だろうが、なぜこんな惨い刑を平然と行えるのか!?)」

 私は行き場の無い激しい怒りを膨張させながらも、何も出来ない自分の無力さに苛まれていた。

 

 一息おいてハーツが声高らかに叫んだ。

「善良なる天使の皆様!罪人は葬られ、私達には再び安息がやってきました!神への賛美の歌を歌いましょう!」

 その掛け声と同時に、聖歌隊が歌い始めた。澄んだ声の裏側に、ハーツへの恐怖が私には感じられる。私も仕方無く歌う事にした。

 

「神を称えよ 神を崇めよ 我らが絶対なる神を

神は光 神は全てを創られた

我々には神を除いて何も必要ない

全てを捨てて神に従え」

 

誰か……誰か止めてくれ……

無駄な言葉だけの繰り返し……もう耐えられない。

だがこの世界にいる限り逃れられはしない。

永遠に……

 

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