【第二節 天界の生活】 先刻の裁判を終え、私とリバレスは部屋に戻った。 私の部屋は、神殿の3階にある特待生宿舎の一室だ。特待生宿舎は天使学校に於いて、非常に優秀な成績を修めている者にだけ貸し与えられる。女天使の友人のジュディアもこの宿舎で生活しており、部屋は隣である。 特待生でない一般天使は、2階の民間居住区に住む。特待生宿舎と民間居住区の天使の往来は禁止だ。恐らくは、民間天使が優秀な特待生に悪影響を及ぼすことを嫌っての事だろう。 時は既に、夜の10時に差し掛かろうとしていた。窓から見える、燦然と輝く星々が美しい。 私が暫く空を眺めていると、リバレスが口を開いた。 「さっきの裁判で無茶な発言ばっかりしてー!ルナまで有罪になったらどうするつもりだったのよー!?」 彼女の口調から感じられるのは、非難とそれ以上の心配だ。 「……そうだな。心配かけて悪かった」 私は、苦笑を浮かべながら返事をした。 「ルナが死刑になったりしたら、わたしの居場所が無くなるでしょー!?しっかりしてよね!」 リバレスは小さい翼をはためかせ、小さい顔で泣きそうな顔をしていた。 「……大丈夫だって。もうあんな事はするつもりは無いから」 嘘だった。私は、この天界の掟と神官ハーツ……そして神への忠誠心を養うだけの天使学校と、其処で好成績を修めている自分自身にも嫌気が差している。次にまたあのような裁判が起これば、先刻よりも激しく抗議してしまうだろう。 だが私が死んで、身寄りのない天翼獣のリバレスを天涯孤独にするのは不憫でならない。 彼女に初めて出会ったのは、つい224年前の事……。私がまだ1602歳の時だ。それはリバレスが生まれた日に遡る。 彼女はこの世界に生を受けたと同時に、最愛の親を失った。私がその光景に気付いたのは、彼女が叢で大泣きしていたからだ。 その後、部屋に連れて帰り、今までずっと彼女と一緒に生きてきた。生まれた時から大泣きしていたが、今でも泣き虫なのは変わっていないな。 その考えを見透かしてか、リバレスは怪訝そうな表情を浮かべ私に言った。 「今日は疲れたしもう寝ましょーよ!」 「そうするか。その前にESGを飲まないとな」 ESGとは、私達が活動する上で必要なエネルギー源だ。天界で生きる者は、ESGと水しか摂取しない。これで十分過ぎる程のエネルギーが満ち溢れてくる。 私達は、ESGと水を一気に飲み干した。体内から溢れる光が全身を駆け巡り、養分の摂取が瞬時に完了する。それを確認して私達は柔らかいベッドで眠りに就いた。 だが私は、先程の裁判の光景と悔しさが再び込み上げて、なかなか寝付けなかった。 〜翌日〜 私はいつのまにか眠っていたようで、眩いばかりの朝陽に照らされて目が覚めた。 部屋の窓辺に置かれた白い花がS.U.N(惑星シェファを照らす太陽のような存在)の光を反射し輝いている。この花は月夜に咲くのでルナ草という名前だ。 私はベッドから抜け出し、花に水をやった。水を得た花は心なしかより美しく見える。 それを横目に、私は身支度を整える為に鏡の前に向かった。真紅の髪とコバルトブルーの瞳、背中には純白の翼が畳まれている。いつもと寸分違わない姿だが、他の天使達の髪は全て金色に輝いているのに対し、私だけが深い赤色である事に違和感を覚えない日は無かった。 だが、私はそれを恥じたことはない。私の命と引き換えに死を受け入れたという両親から受け継いだものなのだから…… 天使服に着替え他の身支度を終える頃に、私の枕元で眠っていたリバレスがようやく目覚めた。 「ふわぁ……。ルナは相変わらず早いのねー……。わたしはもうちょっと寝てもいーい?」 時刻は既に午前8時に近付こうとしていた。 「駄目だ。そろそろ学校に行く時間だろ?もうすぐジュディアが迎えにくる」 そう言った直後、部屋の外からジュディアの呼ぶ声がする。 「ルナー!早くしないと遅刻するわよ!」 「解ってる!後一分待ってくれ!」 私はリバレスに目を遣った。 「一分で支度をしろと……ルナはわたしになかなか酷な要求をするわねー」 「あと55秒」 リバレスは大急ぎで専用の直径30cm程の丸鏡に全身を映し、着替え始める。 「ルナ!あっち向いてて!」 「はいはい」 天翼獣も『心』は天使と変わらないな、と思っている間にリバレスの支度は終わったようだ。 「はぁはぁ……どう間に合ったでしょー?」 「ああ、何とかな。行くぞ」 私達は部屋から廊下に出た。ジュディアは、さも「相変わらずね」とでも言いたそうな顔をしていた。 彼女とは1000年以上前からの付き合いだ。その頃から、毎朝私を起こしにくるお節介な幼馴染になったのだった。 「早く行きましょ。今日はテストの結果発表よ」 「そうか。そう言えばそうだったな」 「ルナは当然1位でしょうねぇ。私も一度でいいから1位の座を奪ってみたいわ。でも、相手がルナじゃぁ仕方ないわね」 ジュディアには羨望の眼差しの裏に皮肉の色が隠れているように見えてならない。彼女は容姿にも学業においても絶対の自信を持っているから、負けるのが嫌いなのだ。唯、私に勉強で勝つことだけは半ば諦めているように見える。 いつも通り取り留めの無い話をしながら、学校に向かって3階から2階に下る階段を歩いていると、一人の天使の男が階下から走り寄って来た。 「あぁぁ!今日はテストの発表だぜ!俺の人生でこれ程不幸なことはねーよ!」 諦めに満ちた痛々しい声を張り上げている、少し大柄なこの男は友人のセルファスだ。 彼は、普段は非常に強気で賑やかな面白い奴だが、テストに関連する出来事がある日は一日中こんな感じに落ち込んでいる。 単刀直入にいうと、彼は勉強嫌いで成績が悪い。 「相変わらず大袈裟だな。本当にそう思うんなら不幸だと思う前に勉強しろよ」 私は慰める言葉も見つからなかったのでそう言った。 「ルナはちっともわかっちゃいねぇ!俺の心の痛みを!勉強の辛さを、テストの悲しみを!」 「もー……セルファスは勉強になるといつもそれなんだからー!」 とリバレスは苦笑しながら言った。それに続けて、 「あなたは、少しぐらい懲りて反省すべきね」 ジュディアは冷たく言い放った。彼女はセルファスに対して少々冷たい気がする。だが…… 「おぉ!ジュディアがそう言うんなら反省するぜ!よーし、次のテストはルナに勝つ!」 呆れる程の気分の変わりようだ。その原因は、彼がジュディアに気があるからだというのは疑いようも無い。 「まぁ、私に勝つのもいいが今日のテスト発表を乗り越えてからだな」 私は、少し意地悪げに言った。 「オーマイガッ!」 悲痛な叫びを上げながら、セルファスは私達に続いてトボトボと歩き始める。内心、少し悪いことをしたなと思った。それでもセルファスは立ち直りが早かった。 「ルナ!俺は過去なんて気にしねぇ!前進あるのみだ!次のテストを見てろよ!」 「解った。楽しみにしとくよ」 今度は意気揚々と私達の前を歩き始めた。 だが2階にある学校に入り、テストの結果発表が貼り出されている掲示板に近付くと、彼は後込みした。その様子に気付かず、リバレスは無邪気に宙を舞ってすぐに発表の確認をしに行った。 「みんなの名前見付けたわよー!」 彼女は小さな体で飛び回り、すぐに全員の名前を見つけた。 リバレスは天翼獣なので本来は天使学校に入れないのだが、私が願い出て付き添いという形で許可してもらっている。ちなみにリバレスは授業を受けているがテストは受けなくていい。 「ルナはー……やっぱり1位で1000点満点中998点!ジュディアは3位で955点!セルファスは……っと」 リバレスは言葉に詰まっていた。恐らくかなり悪い点なのだろう。 「リバレス!俺に構わず言ってくれ!」 セルファスは階段での叫びに似た悲しげな声を上げた。 「セルファス、200人中200位!1000点満点中143点よー!」 彼は無言ながらも大袈裟にその場に倒れこんだ。 そして、その暫しの沈黙を一人の秀才が破った。 「ははは、みなさんご機嫌よう。セルファス君は相変わらずですねぇ!」 満面の笑みを浮かべて嫌味を言う、細身で眼鏡をかけた如何にも勉強家な彼の名はノレッジ。彼の成績は2位で968点だ。 「ノレッジ、てめぇ!普段は大人しいくせに、テスト発表の日だけ強気になりやがって!チキショー!」 セルファスは逃げるように教室に向かって走り去った。そして、ノレッジは私達に視線を移す。 「普段僕は目立たないんだから、この場くらいはいいでしょう?ルナリート君にはまた完敗ですけど」 彼は指で眼鏡を押し上げて、わざとらしく秀才に見せようとしている。 その傍らでジュディアがショックを受けていた。 「私がこんな奴に負けるなんて……。ルナなら許せるけどノレッジは許せない!」 彼女はノレッジをキッと睨み付け、そう叫んだ。 「こんな奴とは失敬な。僕が君に勝ったのは実力ですよ!じ・つ・り・ょ・く!いずれはルナリート君にも勝ちますけどね」 ノレッジは睨み返しはせずに、眼鏡を押さえ下向き加減だが自身に満ちた顔で皮肉っぽく言った。 「くっ!覚えてなさいよ!次は絶対に……絶対に負けないから!」 そう捨て台詞を吐いて、ジュディアも悔しそうに教室の中へと消えていった。 「ルナ、放っといていいのー?」 リバレスは不安げに言った。 「私が何を言ってもあまり説得力が無いだろ?それに火に油を注ぎかねないしな……。でも、ノレッジ!言い過ぎだ」 私はノレッジを見据えて言った。 「確かに今回は僕の言い過ぎかもしれませんが、たまにはいいじゃないですか?僕の取り柄はテストなんですから」 と悪びれた様子もなく反論してきたので、私は仕方なく言った。 「ノレッジ、他の天使を見下すような言い方は止せ。そんなに、自慢したいのなら私に勝ってからにしろ。約束できるか?」 「いいでしょう。但し、僕が君に勝った暁にはどうなるか知りませんよ!」 「あぁ、構わない。それと、友達なんだから後で二人にはちゃんと謝っておけよ」 「そうですね。ちょっとやり過ぎでしたか」 ノレッジは普段は大人しく理知的な天使だが、テスト発表の時だけは癖が悪い。そう遣り取りが続いていく間に、いつのまにか始業時間が近付いていたので、私達は慌しく教室に入り席についた。 〜学校〜 学校は午前9時から夜の8時まである。 1日の時間割の教科数は、途中昼休憩を挟んで1時間ずつで10教科ある。毎日毎日それの繰り返しだ。 私が天使学校に入学してからの800年以上、同じことが続いている。 教科はどれも共通して、『神』への忠誠心を養う為の教科だ。天界の歴史はもちろんの事で、生活の仕方それに考え方までが教えられ強制される。全ての天使に対して、生きる術や思想に至るまで画一さを求めているのだ。 私は、一人の天使として否、生まれ落ちた一つの生命としての自由を奪う学問が嫌で嫌でたまらなかった。 そんな私が優秀な成績を修めているのは、いずれ天界の指導者となり、この窮屈な教えを撤廃させたいからに他ならない。 私は、生まれつき全ての書物や見聞きした物を覚えようと意識すれば絶対に忘れない。1000年前に一度読んだ本も一語一句覚えている。それは、他の天使から見れば異常らしいが私にとってはそれが普通なのだ。 本当は……学校に行きたくない。こんな意味の無い言葉の羅列を教えるだけの場所にいても苦しいだけだ! それでも、学校に来ないとすぐさま神官ハーツがやってきて裁判にかけられ、断固拒否すると死刑になる。今迄、私と同じような考えを持った生徒は皆処刑されたのだ! 自由を拒絶される世界。そして、教えに反することは何一つ許されない世界……それが私達の、総勢1500の天使が住む天界だ。 『神学』、『歴史学』、『生活学』、『神術学』、『聖歌学』、『言語学』、『法学』、『統治学』、『兵法学』、『戦闘実技』の10教科を終え、ようやく夜8時の授業の終わりと共に、今日も意味の無い一日だったと痛感していた。 | |
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