9二十一年前、彼はまだ五歳だった。動物学者の父、植物学者の母から生まれた彼は、物心が付く前から両親に様々な事を教わっていた。動物と植物について、この世界について、そして美しかった過去の世界について。 少年の名は悠陽。悠久の太陽を、再び地上で仰ぐ事が出来るようにとの祈りを込められた名だ。 ある日彼は、家に飾られた「向日葵の墓」に興味を持った。それまでもずっと飾られており気にも留めていなかったのに、何故かその日は、絵が自分に何かを伝えようとしている気がしたのだ。 「お母さん、どうしてこの絵はこんなにも色が一杯なの?」 小さい悠陽は母に抱きかかえられて絵を見ていた。母は彼の頭を撫でて答える。 「昔の世界にはね、こんな風に自然が一杯だったからよ。図鑑でも見たでしょ?」 「図鑑よりも、この絵の方が鮮やかだよ」 実際には図鑑の写真の方が、色彩に溢れている。だが悠陽にはそう見えたのだ。 「どうしてそう見えるの?」 「この絵はね、見えない色で溢れてるんだよ。僕は、描いた人が何を思っていたのか、はっきり解るもん」 見えない色と言う言葉を受け、母は絶句した。彼女は、この絵を見てそのように感じた事は一度も無いのにも関わらず、息子の言葉は正しいと直感したからだ。 「これを描いた人は、どう思ってるの?」 彼女は恐る恐る訊く。よく知った息子が、まるで人智を超えた存在に見えたからだ。 「早く逢いたい……、うーん違う。早く戻って来て欲しいと思ってるんだよ」 悠陽はこの絵について何も知らない。誰が描いたのかも、何故描かれたのかも。幸せそうに微笑む少女と向日葵畑の絵から、普通はそんな連想はしない。だからこそ、彼の母は驚いた。 「せつな」 悠陽は遠い目をしながら呟いた。 「刹那? 難しい言葉を知ってるのね」 母の言葉に、悠陽は首を振る。彼女は悠陽の顔を見て、再び驚いた。まるで別人のように大人びた顔だったからだ。しかし、瞬きするといつもの悠陽に戻っていた。 その後、彼女は言葉の意味を尋ねたが、悠陽は「何でもない」と言い張るだけだった。 | |
目次 | 第三章-10 |