12螢華は大学卒業後、ヒーリングミュージックを手掛ける音楽会社に就職した。彼女の仕事は作曲と、ボーカルとして歌う事だった。この時代、人に癒しを与える為の音楽会社は無数にある。螢華が入社したのは中堅会社で、何とか従業員の生活を保障出来る程度の利益しか上げていない。だからこそ新人であるにも関わらず、彼女の仕事量は膨大で多忙を極めた。朝早くに出社して帰宅は深夜。時には会社に泊まる事もあった。 仕事に忙殺されるのは苦しかったが、着実に貯蓄が増え、目標額に近付いて行くのは楽しみだった。 入社五年目の五月三日月曜日、即ち螢華が父に向日葵の墓へ行く相談を持ち掛けた四年と二ヶ月後、螢華の携帯端末に一本の電話が入った。勤務時間中に父から電話が入った事など、今まで一度も無い。螢華はオフィスを出て、震える手で端末の受話ボタンを押した。 「はい、螢華です」 「仕事中に悪いな。だが緊急の要件だ」 緊急? まさか遂に…… 無言の螢華に、父は言葉を続ける。 「三ヶ月後に、フライトが決まった。航空機への積載重量には制限があるのは知ってるだろう? もしお前が乗るなら、チャーターした研究者に伝える積載可能重量が変わって来る。だから、乗るかどうか今日中に決めてくれ」 やった! 乗るに決まってる。その為に頑張って働いて来たんだから。問題は、スノーモービルを載せられるかどうかね。空港から向日葵の墓までは、徒歩では絶対に行けない。極寒の地で私みたいな素人が五十kmも歩こうとすれば凍死か事故死だ。GPSと雪上危険感知システムを搭載したスノーモービルを使わなければ、私は墓に辿り着けないのだ。 「一日考えずとも、私は勿論乗るわ。スノーモービルも載せられる? 私と合わせて三百五十kgぐらいになるんだけど」 「大丈夫だ。今回は比較的大型な原子力航空機を使うからな。研究者も様々な機械を載せるらしい」 良かった! 遂に私はあの場所に行ける。 「お父さん、ありがとう! 後は仕事を休まないといけないから、フライトの日程を教えてくれる?」 「ああ。八月五日木曜に出発して、同日現地空港に到着する。飛行機は整備を施された後、翌日この都市に戻る予定だ。研究者は一ヶ月間現地に滞在だな」 研究者と共に滞在する事は出来ないから、私が現地に居られる時間は最長で一日か。でもそれで十分。絵が描かれた場所を実際に見て、トワのお墓に触れる事が出来れば。 「解った、私はお父さんと一緒に帰ればいいのね。それはそうと、研究者ってどんな人が来るの?」 私に僥倖を齎してくれた人達が、どんな人達なのか純粋に興味がある。 「螢華、それは企業秘密だ。それにお前は、フライト中は飛行機内の一室で過ごし、研究者に会う事も許されない。螢華には最初に搭乗し、最後に降機して貰う事になる」 特別扱いか。私が飛行機に乗れるのは、お父さんが無理を言ってくれたお陰なのだろう。研究者は飛行機をチャーターしているのだから、私よりも遥かに高額の料金を支払う。だからこそ、乗客として私が乗っているのを知られると厄介なのだ。それに、わざわざ僻地に赴く研究者の研究内容には極秘のものも含まれるだろう。それを私に知られるのは、都合が悪いに決まってる。きっと私は、整備員室か何処かに缶詰ね。 「了解したわ。お父さん、本当にありがとう!」 「ああ、仕事頑張れよ」 「うん、お父さんもね」 電話が切れ、螢華はオフィスへと戻る。彼女の顔は、誰が見ても解るぐらい喜びに満ち溢れていた。 | |
目次 | 第三章-13 |