13

 

 同年八月一日、日曜日。この日の早朝、悠陽は落ち着かない様子で大学への道を歩いていた。日曜日は学生も会社員も休みだが、大学の研究者は例外である。特に生物を扱う研究者に於いては、無休と言っても過言では無い。悠陽も助手になってからは、殆ど休まずに大学に通っている。日曜日に大学へ行くのは彼にとって当たり前の事だが、そわそわしているのには理由があった。

 

 もしかしたら、今日かも知れない。

 

 悠陽の頭の中で、その言葉が幾度と無く繰り返されている。

 研究室の扉を開け、彼は室内の硝子ケースに目を遣った。そのケースは、太陽光を取り入れる事が可能な植物の培養装置である。

 俺の見間違いか? 否、違う!

 悠陽は装置まで走った。そして硝子越しに見た物は……

 

「向日葵の花……、遂に咲いた!」

 

 培養装置の中で、二輪の向日葵が咲いていた。まるで小さな太陽のように黄金色に輝き、光源を向くその姿は神々しいまでの存在感を放っている。

 三百年の時を経て蘇った、壮麗な大輪の向日葵。それを目の当たりにした悠陽は、言葉を失い温かなものが頬を伝った。

 

 ああ、やっぱり向日葵が世界で一番美しい。数え切れないぐらい失敗したけど、この花を見ると全ての苦労が報われる。

 これから俺は、もっと忙しくなるな。世界に向けて論文を発表しなければならないし、この国に向日葵の有用性を伝えてあらゆる場所で栽培したい。環境への負荷も計測しないと。あ、その前にまずは教授に連絡だ。

 

 悠陽が電話を掛けてから三十分もしない内に、教授は息を切らせながら研究室に入って来た。彼もまた培養装置に駆け寄り、気高く咲き誇る向日葵を仔細に観察した。彼は、感動の余り震えていた。自分の研究室で、世界初の向日葵の復活を成し遂げた喜びもあったが、それよりも眩しい程に生の輝きを放つ、向日葵の美しさを知ったからだ。

「悠陽君、遂に成し遂げたな! この成功は、君の努力の賜物だ」

「いいえ、教授の的確な指導があったからこそです」

 教授が居なければ、俺は向日葵の花を蘇らせる事は愚か、種子から発芽させる事すらも不可能だっただろう。

「何にせよ、論文を公表するのが楽しみだな」

「そうですね」

 論文は全て英語で書かなければならない。しかも今回の論文には、膨大なデータと文章を含める事になる。英語が苦手な俺には大変だが、学会に向日葵再生の論文を送れば、間違い無く教授と俺は有名人になるだろう。

 

 二人は時を忘れて、喜びを噛み締めながら向日葵を眺める。悠陽と教授を現実に引き戻したのは、教授に掛かって来た一本の電話だった。悠陽はその電話の相手が誰であるか直ぐに理解し、話が終わるのを待った。

「悠陽君、『種子回収プログラム』についてだったよ」

「やはりそうですか」

「最早、プログラムに参加する必要は無い気がするが」

 確かに必要性は減ったが、俺は行かねばならない。

「教授、私は今回も予定通り参加しますよ。良質な種子を獲得出来るかも知れません。それに、現地でも論文は書けます」

 教授は悠陽の言葉を受けて、暫く考え込んだ。研究室にとって一番大事な時期に、助手の時間をプログラムに割くのは惜しい。だがプログラム自体も、場合によっては非常に有意義なものになる。その二つを天秤に掛けて悩んでいるのだ。

 

 悠陽にとって無限とも思える数秒の時間が流れた後、教授は口を開いた。

「そうだな、今更プログラムをキャンセルしても、経費は還って来ない。論文も現地で進められるなら問題無かろう」

 危なかった。でもこれで、俺はようやく……

 

 約束を果たせる。


目次 第三章-14