第八節 樹下吐く息が白く、フィグリルより大分寒い。此処はミルドの丘の麓。丘の直ぐ傍には、黒煙を吐く工場と、鉄と石で造られた家々が並ぶ。建物と石畳は煤で黒く、溶鉱炉の熱気が時折風に乗って伝わって来る。鉱石の採掘を産業とし、緑に溢れていた二百年前とは全く違う光景だ。それもその筈。二百年間で、ミルドは大いに発展した。人工は八倍に増え、鉱石の採掘から加工までを、街がシームレスに行っている。しかし、唯一つ変わらないものがある。それがミルドの丘だ。 「変わってしまった、何もかも……。あの時の面影は何処にも」 街並みを見て、ルナさんはそう呟いた。確かにフィーネとしての記憶から見れば、変化は著しい。でもシェルフィアとして見れば、同じ「懐かしい故郷」だ。 「大丈夫です、丘は変わっていませんよ」 私達は連れ添って、丘を登り始めた。丁度中腹辺りでルナさんが足を止める。 「あれは……」 彼の視線の先にあるものを目掛けて、私は走り出した。そう、フィーネとしての私が。 お父さん、お母さん……。二百年振りですね。今まで来れず心配をかけてごめんなさい。 「此処は、フィーネのご両親の」 「はい、お墓です……。ようやく来れました」 私がフィグリルに移住する前、私にフィーネとしての記憶は無かった。だから、此処に来るのは本当に久し振りなのだ。 鮮明に思い出す。フィーネだった私が、どんな覚悟でこの墓の前に立ったか。私は辛さを押し殺し、胸が焼かれるような憎悪を抑えていた。憎しみは何も生まない。お父さんとお母さんからそれを教えて貰ったから。何があっても生きたい、苦しむ人を助けたい、そう願いながら私は花束を置いたのだ。 ルナさんは静かに待ってくれている。時折、不安げに視線を落としながら。 「ルナさん、行きましょう。私は大丈夫です」 「ああ、行こう!」 丘の上から見る、落陽に照らされた景色は、フィグリルに引っ越す前と変わらない。ううん、二百年前から変わらない。村が街になろうと、煉瓦の家が鉄に変わろうと、其処で懸命に暮らす人間が居る限り、「その場所」の美しさは変わらないのだ。 ルナさんが堕天して出来た窪みには、今は大樹が立っている。どんな風雨にも耐える樹。 「約束の場所……」 私達が同時に呟く。二人共泣いていた。手を繋ぎ、樹に寄り掛かりながら。 二人の全てが始まった場所。旅が、絆が、心が。 胸が一杯になる。雪は降っていないけれど、私達は約束通り此処に帰って来たのだ。 「フィーネ」 ルナさんがそう言った瞬間、頭に激痛が奔る。全身が熱い! 「……ルナさん? あぁ、私が壊れそう!」 フィーネとシェルフィア、双方の記憶と心、そして感情が溢れ出して来る! 「大丈夫だ、私は此処にいる。だから……、安心して帰って来るんだ。二人で新しい未来を作る為に!」 ルナさんが私を抱き締めてくれる。 でも、「私」という奔流は止まらない! フィーネとして生まれ、両親に愛された事。両親を失った事。ルナさんに出会い、恋に落ちた事。そして、永遠の約束を交わし、フィーネとしての生涯を終えた事。 シェルフィアとして生まれ、ミルドで暮らした後、フィグリルに引っ越した事。両親が戦争に巻き込まれ死んだ事。皇帝に引き取られ、料理を手伝いながら学校に行った事。学校を卒業し、料理長となった事。そして、ルナさんと再会した事。 二つの奔流は一つとなり、やがて光と化して弾けた。その時、唯一つの言葉が浮かぶ。 私の、ルナさんへの想いは永遠に。あなたに出会えて、本当に良かった。
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