第五節 傾慕
懐中時計は午後十時を指していた。今日は一月十日、眠りに就いて丁度二百年が経過した事になる。だが私は、まだフィーネを見付けられずにいた。
二百年前は雪が降っていたな。私は、空で煌く月と糠星を見上げる。今日一日空から彼女を捜し、酒場で聞き込みをした。それでも有力な情報は得られていない。力を解放し感覚を研ぎ澄ましても、街の中に彼女の魂は感じられなかった。
私は一旦城に戻る事にする。何か見落としがあるのかも知れない。私は空を舞い、城の上空に差し掛かる。城の結界は消えていた。私がすんなり戻れるようにしてくれたのだろう。室内の明かりと、月影が交差するバルコニーが目に入ったので、其処に降下した。
「あっ……、お帰りなさいませ」
皎月の光を受けて、透き通るように白い顔……。バルコニーには、冷たい夜風に当たっているシェルフィアが居た。彼女は昼間のエプロン姿とは違い、フリル付きの白のブラウス、サイドに黒のリボンが付いたライトグレーのレーススカートを着ている。どうやら此処は彼女の部屋のようだ。別の入り口から入り直そう。
「ただいま。邪魔したな、直ぐに出て行くから」
私はバルコニーの手摺を掴み、再度翼を開く。すると、彼女が私の服を引っ張った。
「邪魔じゃありません……。此処に居れば、あなたに会えるような気がしたんです」
仄かに頬が赤い。彼女は俯く。滑らかな金の髪を揺らしながら。私は翼を消した。
「……そうか。何か私に用があって待っていたのか?」
私は無難な質問を選ぶ。私にはフィーネが居るからだ。
「いえ……、もう一度ルナリートさんに会いたかったんです。あっ、ルナリート様ですね」
「朝の礼なら十分だ。私は、自分の思う通りにやっただけだからな」
早く此処から立ち去りたい。だが、彼女は顔を上げて私の目を直視する。
「私は、あれからずっと胸が高鳴っています。あなたに会いたくて、お話がしたくて……。その事ばかり考えていたら、自然と此処に足を運んでいたんです」
彼女の体は小刻みに震えている。私は胸が痛むが、厳しい事を言うしか無い。気休めの優しさで傷付けるよりはマシだ。
「私の事を想うのは止めた方がいい。私には、二百年前に約束した人が居る」
「えっ……」
震えが大きくなる。彼女は俯き、目からは綺羅星のような雫が零れ落ちた。
「……そう、ですか。でも、二百年も前ならその人は居ないんじゃ無いですか?」
「ああ、その人は死んでしまった。でも、また生まれ変わったんだ。だから私は、その人を見付けなければならない」
不思議と私は多弁だった。この少女には、さっき出会ったばかりなのに。何処と無く、雰囲気がフィーネに似ているからだろうか。
「早く……、見付かるといいですね。あなたが想う人、きっと素敵なんだろうなぁ」
「ありがとう。本当に済まない」
彼女の潤んだ瞳に月華が宿る。その儚い光に、胸を締め付けられる思いがした。
「いいんですよ、私の方こそごめんなさい。貴方は皇帝の弟様。そして、この世界にとって大切な方。私にとって『夢』の人……」
彼女は手摺を両手で掴み、遠くを眺めている。頬に流れる一筋の涙が煌く。私は暫くそれに付き合う事にした。私に出来るのはその程度だ。
「ふふっ、こんなに寒いと、ミルドの丘は雪で真っ白かも知れませんね」
そう言えば、彼女はミルドが出身だと兄さんが言っていた。まさか……
兄さんが彼女の話をした事、兄さんとリバレスが笑った事、街でフィーネを捜しても見付からない事、そして彼女が私に好意を寄せている事。それらが導く答は一つ!
「フィーネ」
私がその名を呼ぶと、シェルフィアの顔色が変わった。目を丸くした、驚愕の表情。
「えっ……、何故あなたがその名前を?」
「フィーネ!」
私は彼女の手を取る。だがそれは直ぐに振り解かれた。
「止めて下さい! フィーネは、私の夢に度々現れる女性。その名前を聞いたら、私の胸は壊れそうなぐらい締め付けられるの! 自分が自分で無くなってしまいそうで」
シェルフィアは頭を抱えて首を振る。彼女は間違い無くフィーネの生まれ変わりだ!
私は苦しむ彼女を抱き締め、「フィーネ」ともう一度呼んだ。
「あぁ……!」
一際高い声を上げ、彼女は糸が切れたかのように気を失った……
「しっかりしてくれ!」
私は彼女に、治癒の神術を施す。だが効果は無い。私はどうすれば良い?
「やっと気付いたか、ルナ」
右往左往する私の元に、兄さんとリバレスが現れた。私は兄さんに詰め寄る。
「シェルフィアはフィーネです! でも私は、どうすれば良いのか解りません……」
「恐らく彼女の中には、シェルフィアとフィーネさんの魂が同居している。しかし、フィーネさんの魂は殆ど表に出て来なかった。唯一、夢の中だけは例外だったようだが。そして、お前はフィーネさんを呼んだ。だから彼女は葛藤している、と俺は考える」
葛藤により安定を失い、気絶したのか。ならば私は、彼女の為に何が出来る?
「ルナー、『永遠の心』を忘れたの? 信じるしか無いでしょ!」
「それでも、必ず戻る保障なんて無いじゃないか!」
リバレスの言う事は正しい。だが、私は感情を抑えられなかった。不安なのだ。
「お前は、愛した女性を信じられないのか? お前達が信じ合っていたから、フィーネさんの魂は戻って来れたんだろう」
兄さんが私の肩を強く叩く。そうだ、彼女はちゃんと戻って目の前に居るじゃないか。
「……はい、弱音を吐いてすみません。私は彼女の意識が戻るまで、ずっと傍に居ます」
二人が頷く。私は彼女を抱えて、ベッドに運んだ。魘されている彼女の手をギュッと握り締める。熱い。
フィーネは、最後に「おやすみなさい」と言った。それは離別の言葉じゃ無い。だから、私は君が目覚めたら真っ先に「おはよう」と「お帰り」を言うんだ。それから二人で、もう一度時を刻もう。
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