第九節 覚醒

 

 ルナが扉を開け一歩部屋に入った直後、扉は消えた。この部屋に床は無い。全方位が暗黒の海で、翼が無ければ眼下の海に呑まれるだろう。だが海までの距離は軽く数十kmはあり、空間の至る所に星屑(ほしくず)が浮かんでいる。現実の世界では説明出来ないような部屋だ。

 部屋の中央には「白い十字架」が浮かび、一人の男が(はりつけ)になっている。獄王だ。肩よりも長い銀の髪、やつれ果てた顔。だが、基本的にはフィアレスに酷似している。

「久し振りだな、エファロードよ」

 本当に、再会を愛おしむような声。何故かその声は、私の心の琴線に触れた。

「久し振り? 一体此処は何なのですか」

「此処は獄界の中枢、『断罪(だんざい)の間』。全ての界で生まれし『悪魂(あっこん)』を滅する場所にして、我の居場所。エファロードは、そんな事も忘れてしまったのか?」

「私は、こんな場所に来た事はありません。それよりも、フィーネの魂を返して下さい!」

 私は叫ぶ。だが心の何処かが、この場所は初めてでは無いと呟いている。

「百万年振りの再会だと言うのに、何も思い出せないのか。それとも、まだ記憶が継承されていないのか?」

 獄王の真紅の瞳が私を見据える。百万年、記憶の継承……。頭がピリピリ痛む。

「神は『魂界』の力を借りて、天界と中界に魂から生命を生み出す。獄王も同様に魂界の力を受けて、獄界に生命を生み出す。神の役目は、天界の維持とESGの精製。我の役目は、獄界の維持とESS(Energy Sphere of Satan)の生成、更に『悪魂』を滅する事。そしてもう一つ。強大な力を持ち、我の力でも完全に滅する事の出来ない悪魂を封印する、『深獄(しんごく)』の扉を閉ざし続ける事だ」

 魂界、深獄……。少なくとも私は聞いた事が無い。獄王は尚も話を続ける。

「神は、天界で処理出来ないエネルギーを消費する為、中界を占領した! 獄王には何の相談も無く。それなのに、我がお前に手を貸す必要があるだろうか?」

 (もっと)もだ。私は何も言えない。すると獄王は眼下にある海から、水晶で出来た小箱を取り出した。これはまさか……

「フィーネ!」

 小箱の中で薄桃色に淡く光るそれは、紛れも無くフィーネの魂だった。

「やはり魂の中身まで解るようだな、エファロードよ」

 獄王は薄笑いを浮かべながら、小箱を海に戻す。私が下手に動けば魂は壊される!

「どうすれば、フィーネを解放して貰えるんですか!」

 私は十字架に近付く。だが、獄王の手が届く範囲には近寄れない。私の全力でも、傷一つ付けられない結界が張られているからだ。やはり私と獄王では力の桁が違う。

「『エファ』は始まりの者。そのお前が、たった一人の人間の為に此処まで来るなど、愚かだとは思わないのか? 我と戦ってまで、この女を取り戻したいのか?」

 広大な空間中に響き渡る獄王の声。海が騒ぎ、星が落ちる。私も指輪のリバレスも、激しい震えが止まらない。死んだ方が楽だと思える程の恐怖……。それでも私は退けない。

「私は彼女を誰よりも愛しています。彼女が戻って来るのならば、他には何も必要ありません。私の、命さえも。彼女は、私に『心』をくれました。そして私達は『永遠』を誓ったのです。だから私は戦います。相手が神であろうと、獄王である貴方であろうと!」

 私は震えを止め、キッと獄王の目を見据える。獄王は笑みを浮かべた。

「己の信ずる道ならば、死すら辞さぬその心。変わらぬな。エファロードは昔からそうだった。良かろう、ロードとサタンは戦いでしか相手を理解出来ぬ。それが真理。光と闇は混ざり合わぬ、だが互いに必要なもの」

 その言葉の直後、獄王の影から獄王の分身が現れる。分身は結界を越え私の前に立った。

「何故、貴方自身が戦おうとしないのです? 魔術で作った分身で十分だと!」

「我がこの十字架から動けぬ理由。そして神が天界の封印の間から動けぬ理由。ルナリート・ジ・エファロードよ、お前はそれすらも解らぬからだ」

 意味深な言葉、だがどういう意味だ? それを私は理解せねばならないのか。

「獄王、貴方の分身を倒せば、フィーネを解放して貰えるのですね?」

「そうだとしても、無駄だ。この『影』には、我が力の一割を注いでいる」

 獄王の穏やかで静かな声の後、黒い剣を抜いた影は残像だけ残し消えた。

 私の左腕に何かが触れる。「ブシュッ!」と音がした。見ると……、腕が無い!

「うわぁぁ!」

 痛みが急激に押し寄せ、私は大声で叫ぶ。大量の出血で意識を失いそうになる。

「(ルナ、『治癒』!)」

 リバレスが治療を試みるが全く効果が無い。

「エファロードよ、早く第四段階の力を見せたらどうだ? 次は右腕を切り落とす」

 第四段階、私が「私」になる段階。否、「私」を制御出来て初めて完全な第四段階だろう。

「ズシャッ!」

 今度は右腕が落ちる。オリハルコンの剣も、深海へと沈んだ。

 影は獄王の隣で、表情一つ変えずに命令を待っている。

 もう……、私に勝ち目はないだろう。大量の出血と痛みで宙に浮くのがやっとだ。

「まだ目覚めぬか? それならば女の魂を、『深獄』に封じるまでだ!」

 

 フィーネを深獄へ? ふざけるな。あの領域は、『悪魂』の巣窟(そうくつ)なのだぞ!

 私の意識が消える。また、「私」が勝手に口を開く。

「……待て、サタン! 深獄へ向かわせるべき魂ではないだろう?」

「ようやく来たか、ロードよ。改めて、久し振りだな」

 獄王の顔が(ほころ)んだ。友との再会を喜んでいるように、目を細めている。

「ああ、百万年振りだ。それにしても、酷く傷付けてくれたな」

 両肩を撫でる「私」。その直後、切り落とされた両腕は完全に再生した。

「相変わらずの力だな、ロードよ」

「ルナリートとハルメスは、『愛』を主題に生み出されたエファロード。愛する者を守る時、力の制限が消えるようになっている。深獄は、我々よりも危険な力を持つ魂を封じ込める場所だ。其処に、たかが一人の人間を堕とす必要も無かろう? 我からの願いで、解放してやってはくれまいか?」

 私は、「私」の言葉を理解出来るようになって来た。「私」が私に溶けて行く……

「確かに、女の魂など我にはどうでも良い。だが、お前の願いを我が聞く必要も無い。『お前』は、勝手に中界を侵略したのだぞ!」

「それはかつての(あやま)ち。だからこそ、二百年後の計画で水に流すのではないか」

 計画、それは私が堕天した時に神が言っていた計画。

「……果たして、『愛』を背負ったエファロードが、それを実行出来るかどうか?」

 獄王が重々しい口調で私に問い掛ける。信用されていないようだ。

「それは、シェドロット・ジ・エファロードが最後の責務として行う。安心するが良い」

「ふ……、聡明なるシェドロットが最後を『計画』で飾るか。良かろう。だが女を解放するに際して、一つだけ条件を出す」

 じっくりと私を()め付ける獄王。相変わらずの鋭い眼光だ。

「困難な事ではあるまいな?」

「記憶が継承されつつあるエファロード、ルナリートの力を見せてみよ。その力が、我の影を越えるならば魂は解放する。たまには、我の力を戦いに使うのも悪くない」

 獄王の影が、剣を頭上に掲げる。すると、剣に黒い稲妻が集まり、影の鎧へと姿を変えた。この星で最硬度を誇る、闇物質の鎧。剣も勿論、同物質だ。私は深海へ沈んだオリハルコンの剣を手に呼び戻し、構えた。膨大な精神力を受けた剣は白く輝く。

「サタンよ、その姿……、かつての戦いの時と変わらぬな。行くぞ!」

 私は、「私」を取り込んだ。制御されない力を持つ私、これが真の第四段階。つまり「記憶の継承」だ。連綿と受け継がれる「エファロード」の記憶。

 

 エファは「始まり」、サタンは「獄王」。
そしてロードは「神」。

 私は、「神」を継ぐ者だ。




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