第七節 老獪
無機質な、金属を叩く音が繰り返されている。「ガシャン、ガシャン……」と。耳障りなその音で、私はゆっくりと瞼を開いた。
「ガハハハハハ! 無様だな、ルナリートよ。エファロードでありながら、貴様は拷問の末に処刑される運命だ!」
何だこいつは? 見るからに弱そうな魔だ。それより此処は……、牢獄か。壁も床も、鉄格子さえも黒一色。さっきの音の正体は、こいつが鉄格子を叩いていた音か。
「(リバレス……、居るか?)」
「(無事よー。今は、ルナの胸ポケットに隠れてるわ)」
胸の辺りが僅かに動く。良かった、無事だったか。それにしても、あんな所で力尽きるとはな……。剣や荷物も取り上げられたようだ。
「(無事で何よりだ。リバレス、此処は何処で、どれぐらい時間が経ったんだ?)」
「(此処は、獄王の宮殿の地下牢。今はルナが落ちて、大体六時間ね。危なかったのよー! ルナは沢山の魔に囲まれて……。でも、獄王が魔を制止して此処に運ぶよう命じた。だから、私達は今も生きてるって訳ね)」
獄王の意図は解らない。何故私を生かした? あれだけ多くの魔を殺した私を。だが何にせよ私は、今から獄王に会わねばならない。翼は失っているが。
「エファロード、このケージ様を無視するとは良い度胸だ!」
さっきの魔が罵声を浴びせて来る。こいつは番兵か、どうでも良いが。私は鉄格子を掴み力を入れた。「パキンッ」と言う音をさせながら、格子は圧し折れた。今の私にとって、唯の鉄棒など脆弱な小枝と大差無い。
「ところで、誰が拷問の末に処刑されるんだ?」
「貴様は……、獄王様に殺されるんだぁぁ!」
番兵が必死の形相で階段を駆け上る。私は体の緊張を解しながら、ゆっくりと後を追う。恐らく、先には強敵が待機している事だろう。
階段を上り詰め、其処にあった扉を私は開く。
思いの外広く、色彩に溢れたフロアだ。一辺は百m程の正方形で、極彩色の絨毯、豪壮な彫刻、宝石が鏤められた壁。何より、天井から吊り下げられた輝水晶のシャンデリアが目を惹く。突如、其処に立てられた黒い蝋燭の火が消え、何処からとも無く声が響く。
「よくぞ此処まで辿り着いたな。ルナリート・ジ・エファロードよ。我こそは獄王、フェアロット・ジ・エファサタンだ。我はこの宮殿の屋上に居る。我に話があるならば、屋上まで来るが良い。待っているぞ」
重く……、力を感じる荘厳な声。私の体だけで無く、フロア全体が震える。この声の主は疑いようも無く、獄王だ。
「……解りました。私は、必ず貴方の元に参上しましょう!」
蝋燭の明かりが灯る。私は、妙な気配を感じて振り返った。黒い影が、私の鳩尾に一撃を喰らわせる! 内臓に衝撃が奔り、骨が軋む。私は壁まで飛ばされた。
「ハッハッハ……! そんな言葉は、ワシを倒してから言うが良い!」
ファング! また気配を感じられなかった。私はよろめきながら立ち上がる。
「翼も無い、愚かなエファロードよ。たった一人の人間如きの為に、貴様は命を落とす。ハッハッハ! フィーネとかいう女だったかな? 穢れの無い、綺麗な魂の色をしていたぞ。お前を殺した後は、ワシが切り刻んで食すとしよう!」
切り刻み、食すだと? お前如きが。私は口の中の血を床に吐き捨てる。
「フィーネは……、お前のような愚物には触れさせない!」
「(ルナー、大丈夫なの?)」
「(大丈夫だ……。翼が無くとも、私はこんな奴には負けない)」
さっき受けたダメージに鑑みて、奴の力は今の私よりも大分上。しかも私には剣が無い。だが、卑劣な者に負けてフィーネを失うぐらいなら、刺し違えても倒して見せる。
「ほざけ。今の貴様は所詮第二段階。それではワシに遠く及ばぬ。死ね!」
ファングが大口を開き、其処から無数の雷弾が発射される。私はそれを走りながら躱し、反撃の機会を狙う。ファングが消えた!
「其処だ!」
視界の端にギリギリ映った奴は、私の頭上! 私は拳を突き上げた。「バキッ!」、拳は ファングの腹部に命中する。しかし、大した手応えも無く奴は飛び退いた。
「ハッハッハ! 効かぬわ。戯れは終わりじゃ。禁断魔術、『死闇』!」
その咆哮の直後目の前が、否、このフロア自体が深い深い闇の螺旋へと変貌していく!何だこれは? 特殊な空間に閉じ込める魔術、と言うのが一番近い気がするが。ファングの姿は無い。私とリバレスは……、螺旋を滑るように下へと落ちて行く!
「どうなってるのー!」
リバレスが元の姿に戻り叫ぶ。螺旋の底まで落ちれば、私達は死ぬだろう。それどころか、魂すらも閉じ込められるかも知れない。
「リバレス、私に構わず上へ飛ぶんだ!」
「飛べない! 幾ら羽ばたいても落ちるだけよー!」
彼女の半狂乱の声。此処では重力の法則が違うらしい。どうすれば?
「フィーネ、私に力を貸してくれ! もう直ぐで君の所へ行けるんだ」
目を瞑り、力を願う。フィーネを助けられたら、私はどうなっても構わない。だから、今は私に力を! 鼓動が早まる。この感覚は、「第三段階」!
「翼が蘇ったわー! これで安心……、じゃ無いわ!」
光の翼を全力で動かしても、一向に上に行けない! 下に何か見えて来た。闇の海?
「ルナー! 下に居るのは全部骸骨よ、何とかして!」
海に浸かる骸骨が乱舞し、私達の着水を待っている。此処で死ぬ訳にはいかない! そうだ、この螺旋は「魔術で作られた空間」。ならば……
「禁断神術……、『滅』!」
上着の内ポケットに入れた宝石シェファを握り締め、「滅」を発動させる。この石は、私とフィーネの未来の象徴。願いを込めて。
耳が張り裂けるような音が聴こえ、体が暴風に包まれた。もう目の前は死の海!
「キャァァ!」
耳元でリバレスの金切り声が響く! その瞬間、海から「光」が溢れた。
「ドサッ」
私達は、「落ちた」。無事、元のフロアの床に。其処にファングが歩み寄る。
「見事だ……」
予想外の言葉、私達を油断させるつもりか? 私は奴を睨む。するとファングは、首を振りながら一歩後退した。
「ワシは、もう貴様と争う気は無い。『死闇』も破られた今、ワシに勝ち目はないからじゃ。だが……、『上層のお方』には貴様は絶対に勝てない。だから、此処は通してやろう」
ファングが、喉の奥から「鍵」を取り出し、私に渡した。本当に戦う気は無いらしい。
「良いだろう。不要な戦いは私も望まない」
そう言って、私は上層への階段を上り始めた。念の為、奇襲に警戒しながら。
「あいつ、やけに往生際が良いわねー。次に待ってる奴が、そんなに強いのかな?」
「誰が待っていようが、私には関係無いさ。それより、危険だから早く指輪に戻れ」
階段の先にある扉が見えた。異様な扉、まるで生物の「内臓」を模したような……。しかも扉自体が、生きているかのように蠢いている。そして何処からか漂う、臭気。これは死臭だ。扉の下の隙間から、鮮血が流れ出てくる。私は反射的に飛び退いた。
この扉を、開けたくない。「開けるな」と本能が、私に告げている。
だが私は、震える手で扉に鍵を差し込んだ。
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