第六節 苛烈

 

「あーっ!」

 突然リバレスが叫んだ。五km程先で砂漠が途切れ、深く暗い漆黒の海が現れたからだ。私はその色を目にした瞬間、奇妙な感覚を覚えた。これは、既視感(きしかん)。この海はいつか何処かで確実に見た事がある……。不気味な海なのに、懐かしささえ覚える。だが海を目前にした途端、私は砂漠に墜落する。「途轍も無い何か」に体が捕われたのだ!

「ルナー、どうしたのー!」

 リバレスには「聴こえない」らしい。この「呪詛(じゅそ)」の声が。

「はぁ、はぁ……。あの海は危険だ」

 頭が割れそうに痛い。何だ、この声は!

「エファロードォォ……! 呪ってやるぅぅ……! 恨んでやるぅぅ……!」

「うわぁぁ!」

 私は、頭を押さえて転げ回る。誰かこの声を止めてくれ!

「どうしたのよー! 何があったの?」

 リバレスが天使の姿に変化して、私の背中を擦る。私は何とか立ち上がり、海に叫ぶ。

「お前は誰なんだ!」

「貴様らの戦いの所為でぇぇ……、犠牲にぃぃ……」

 戦い、犠牲? 何を言っているんだ。私の声は聞こえていないのか。

「世界がぁぁ……、血に染まりぃぃ……、割れてしまぅぅ……」

 理解した。この声の主は二十億年前の戦いの犠牲者。その魂が私に叫んでいるのだ。エファロードである私に。何故だ? 思索を巡らしていると、声はいつの間にか消えていた。

「ルナー、大丈夫?」

「……ああ。あの海から、死者の呪いが聞こえて来ただけだ。この海は「闇の海」、これを越えれば獄界の中枢だ。さぁ、行こう!」

 リバレスが(いぶか)しげに首を傾げる。私の言葉に確証が無いからだろう。だが私には自信があった。「何度も見た風景」を見間違えたりしない。

 彼女は指輪に戻り、私は漆黒の深淵(しんえん)に飛び立つ。光源である溶岩から遠く離れているので、此処は暗い。それは、星々が瞬く地上の夜の暗さと変わらない。眼下にはドロドロとした闇の海、進む先は純然たる闇。その闇を、私の輝く翼が切り裂いていく。

 

 また一日が過ぎた。今日は一月六日。時刻は午前十時。獄界での時間経過を知るには、体の変化を感じるか、時計を見るしか無い。明るさも景色も変わらないからだ。

 そして、遂に予期していた瞬間が訪れた。

「大群のお出ましか」

「(な……、何て数なのー!)」

 空一面を覆い尽くす程の魔、数万は居る!

「此処は魔の世界。それは初めから解っていただろ? リバレス、フィーネを連れて生きて帰ろうな!」

 私は少し力を込めて、指輪のリバレスを撫でる。此処からが真の戦いだ。

「(うん、解ったー! 約束よ)」

 その直後、魔の大群が私に向かって魔術を一斉放射し始める! これだけ守りが堅いのは、中枢が近い証拠だ。気合を入れて進まねば。

「究極神術『光膜(こうまく)』!」

 結界の数千倍の強度を持つ光の膜が、私を中心に半径一mの球状になって現れる。そして、全方位から魔術が膜に炸裂した!

「ドゴォォ……ン!」

 膜ごと私の体が振動する。光の明滅、立ち上る煙。だがこの程度の攻撃では破れはしない! 攻撃は数分間、途絶える事無く続いた後、ピタッと止んだ。何故だ?

「(キャァー!)」

「魔術での猛攻の内に囲まれたな」

 上下左右、全てが魔! 密集した魔が私を凝視している。

「エファロードを殺して、世界を我々の物にするのだぁぁ!」

 耳を(つんざ)く雄叫び、数万の声の反響。私は身震いした。

「(ルナー!)」

「……私は前に進む! 死にたくない者は、道を空けろ!」

 私は、「光膜」を濃縮し体の周り数cmに留める。これで大概の攻撃は無効化出来るだろう。私は剣を抜き、進行方向に一直線に突進する!

 その後は正に修羅場だった。何人倒しても、魔は私への攻撃を止めない。一群を振り切っても、別の一群が直ぐに襲い掛かってくる。目の前の者全てが私を殺そうとする敵だ。休む暇は無く、瞬きすら躊躇われる程だ。それでも私は進んだ。唯、フィーネを想って。

 

 戦闘は三日に及んだ。体も精神力も衰弱し切っている。だが遂に、海に浮かぶ巨大な島、其処に建てられた高度な建築物が見えた。獄界の中枢、もう直ぐ……、目的地だ。

 黒花崗岩で造られた街、仄赤い光が整然と並ぶ。島の中心には獄王の宮殿!

「リバ……、レス。ようやく、着いた……」

 安心と、疲労がルナの翼を消し去った。彼はゆっくりと、街へ落ちて行く……

「(ルナー! しっかりして、後少しじゃないの!)」

 リバレスの声が虚しくルナの脳裏に響く。だが既に、彼の意識は失われていた。




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