第三十四節 憎嫉
彼女は、ルナが堕天してから一週間、失意に沈んでいた。彼の不在がどれほど苦しみに満ちているか、彼女はそれを実感せざるを得なかった。ESGも喉を通らず、水のみを摂取して生活した。だが水は、摂取した分だけ涙に変わる。彼女は決心した。
彼女は封印の間に赴き、神に懇願する。ルナが無事で居るかどうかの確認と、人間達の視察を行ないたいと。神はルナの無事を知っていたが、ジュディアが人間界を視察するのは、天界の将来にとって有益だと判断し、彼女を派遣する事にした。
そして彼女は、十二月二十日に人間界に降り立つ。母に、「神術を強化する杖」を借りて。彼女はルナと違い、力は抑制されていない。寧ろ杖によって強化されている。
ルナを探すのは簡単だった。神術で、天使の指輪の場所を追跡するだけだからだ。そして彼女は目撃する。彼女にとって、最悪の光景を。
「あぁ……、ルナ。約束したのに」
隣の部屋から、ルナ達の声が聞こえる。私はルナにピアノを聴かせよう。そうすれば、私の想いに応えてくれるかも知れない。
彼女は大広間のピアノ椅子に座る。彼女は、自分の行く手を阻む人間全てを氷付けにした。ピアノの両脇にも、「氷の彫像」が佇んでいる。
彼女は鍵盤を叩いた。強く、強く。爪が割れ、真紅の血が鍵盤に滴り落ちる。それでも彼女は弾くのを止めない。
「まだ、貴方が人間界に堕ちて十八日。私は、貴方を千百二年も想い続けたのに」
赤い鍵盤の上を滑らかに、彼女の指が滑る。非の打ち所の無い指の運び。
「……どうして、あんな小娘がいいの? こんなに完璧な私が居るのに」
あの女の顔を思い浮かべると、この身が引き裂かれそう!
「あ……、そうか。貴方は正直で優しいから、騙されてるのね。可哀相に。早く目覚めさせてあげないと」
曲が最高潮に達する。その時、背後でドアが開く音がした。ああ、愛しい人が来たのね。
「ジュディア!」
相変わらずの美形。私の脳裏に刻まれたその声。貴方は誰にも渡さない。
「久し振りね、ルナ。そして、堕天使ハルメス」
「一体何のつもりだ?」
私が凍らせた人間を見て、ハルメスが近付いて来る。彼の力は私より遥かに上、本気を出されると「予定」が狂ってしまう。
「あなたに用は無い、どきなさい!」
高等神術「拘束」で彼の動きを一時的に止める。私は、足早にルナに近付いた。
「ジュディアー、争いはダメよ!」
「リバレス、ルナの『愚行』を見過ごしたあなたも同罪ね」
私はリバレスを「衝撃」の神術で弾き飛ばす。
「ルナ、貴方は可哀想。こんな、人間の女に毒されて」
私は杖を人間の女に向ける。「予定」を無視して、さっさと殺したくなってきた。
「待て、フィーネに手を出すな!」
ルナが……、ルナが私を睨みながら剣を向ける。どうして?
「其処まで……、貴方の心は蝕まれているのね。早急に呪縛を解かないと」
私はルナも「拘束」し、おぞましい人間の女に近付く。
「ルナさん、ルナさんっ!」
「フィーネ……、逃げろ」
「嫌です! ルナさんを置いてなんて行けませんよ」
女はうずくまるルナに抱き付く。やはりこの女は、「予定」通り始末しよう。私は女をルナから引き剥がし、片手で首を掴んだ。
「ジュディア……。殺すなら、私を殺せ」
もう直ぐ貴方を、奈落から救い出すから安心してね。
「ルナ……、私は貴方を愛し続けて来た。それは、今もこれからも変わらないわ。あなたが望めば、私の美しい顔も、体も、心も貴方の物になるのよ。それなのに、寄り道なんてして……。でもいいわ。貴方に教えてあげる。下等な人間に情を持ち、救おうとする愚行の代償の重さを。『輝水晶の遺跡』で待っているわ」
私は手に力を込め、女を失神させる。そして、翼を広げて女を抱え、この場を去った。
もう直ぐ、貴方は私の元に戻って来るわ。
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