第三十一節 永遠の約束あらゆる生物を凍て付かせる、刃の如く鋭い冷気。屋上への扉を開けたルナはその寒さに愕然とし、街が見える屋上の涯に佇む少女を胸に抱き寄せた。 「来てくれたんですね」 「当たり前だろ! どうして、君は……」 私が其処まで言った時、彼女は私の手を握った。何と言う冷たい手! まるで、氷のようだ。その冷たさに私は胸が一杯になり、言葉が出ない。 「……ルナさんと二人で話がしたかったんです。出来るだけ早く」 彼女は頭を私の胸に預け震えている。話をする前に、まず体を温めなければ。私は、神術で熱を発生させ彼女をゆっくりと温める。 空は厚い雲で覆われ、殆ど星は見えない。だが時折、雲の細い切れ間から月光が私達に降り注ぐ。街の明かりも殆ど消えている。見えるのは、一部の街灯や宿の明かりのみだ。 世界が寝静まる時間。夢が支配する時間。胸の中でゆっくりと呼吸するフィーネを見ていると、まるで世界で目覚めているのは二人だけのような気がする。 「ルナさん、私は幸せですよ」 フィーネが潤んだ目で、ゆっくりと確かめるように呟いた。 「私も、フィーネが傍に居てくれるだけで幸せだよ」 彼女が私の背中に手を回し、より強く顔を胸に埋める。顔は……、震えている。 「別の世界に生まれた私達が、出会って此処に居ます。それだけでも奇蹟なのに、ルナさんは私を愛してくれたんです。……無理なお願いばかりした私を」 私は、彼女の言葉を反芻しながら静かに頷く。左手は彼女の腰を抱き、右手で髪を撫でながら。 「沢山思い出を作りましたね。とても楽しく、幸せな思い出を」 彼女が私の顔を、否、空を見上げる。仄かな月華が彼女の涙を輝かせる。 「フィーネ、何か不安な事があるなら言って欲しい。君の悲しみは、私の悲しみだ」 「ルナさんは、私と過ごす時間が一生と同じ価値があると言ってくれました。でも、私は先にこの世界から消えてしまう。その時、私はあなたにとって『思い出』になるでしょう。あなたは天界に帰り、元の暮らしをする中で、私の事を忘れてしまうかも知れない。あなたは、私と過ごした時間の、百倍以上の時を生きるんですよ……」 彼女が死んでしまった後、私は八千年以上一人で生きなければならないだろう。だが私は決して忘れない。君と過ごした時間の全てを。君の温かい心を。 そして君を失っても、私には出来る事がある。 「フィーネ、何も心配しなくて良いんだよ。命を失っても、『魂』は死なない。魂は記憶を無くした後、新たな生命へと生まれ変わるんだ。だから、君が私より先にこの世界から居なくなったら、私は君の生まれ変わりを捜す。それは、空で光る数多の星々からたった一つを選び出すぐらい難しいけれど、必ず捜し出す」 フィーネが、大きく目を見開き話の続きを待っている。期待と不安が入り混じった瞳。 「記憶を失っても、私達の魂に刻まれた『この思い』は消えない。きっとフィーネは、生まれ変わっても、寂しそうに私を待ってるよ。何度でも……、何度でも私は君を見付ける。私は、『永遠に』フィーネを捜し続けるから安心して欲しい」 彼女の涙が頬を伝い、足元に落ちる。再び彼女の顔を見ると、微笑みが浮かんでいた。 「グスン……。ふふ……、解りました。それなら私も、絶対にルナさんを見つけます。あなたは、その優しい瞳で私を待っていてくれる筈だから」 私は彼女が愛しくて堪らず、唇を重ねた。蕩ける様な、長く激しい口付け…… 二人共、触れ合う体が火照っている。目を閉じ、フィーネを感じていると、やがて全身に熱が回った。目を開くと、一面が雪で真っ白だった。フィーネも、屋上も、街も。 「生まれ変わる時は、『雪の降るミルドの丘』を再会場所にしたいです」 「ああ、そうしよう。二人共、決して忘れてはいけない『永遠の約束』だ」 私はそう言って、強く頷いた。この約束を果たす前に、二人で何度も丘に訪れよう。記憶に、心に、魂に刻む為に。 彼女の手を引く。神殿の寝室に戻る為に。だが、彼女は動こうとしない。 「ルナさん……、一つお願いがあるんです」 彼女の顔が紅い。薄明かりの中でもはっきりと解る程に。 「フィーネのお願いなら、聞かない訳にはいかないな」 私の耳元に、彼女が口を近付ける。そして、途切れ途切れに言葉を発する。 「……あの、一緒に……、居たいんです」 「私は、ずっとフィーネと一緒に居るつもりだよ」 だが、彼女は首を振った。何を言いたいのか解らない。 「……朝まで、二人で」 ようやく解った。彼女の口からそんな事を言わせるとは…… もう、戦いが終わるまで待つ事など出来ない。 「フィーネ、今日は二人だけで一緒に眠ろう」 彼女は更に顔を紅潮させて頷く。幸福に満ちた、不安など一片も無い笑顔。私も全身が燃えるように熱い。 私達は雪の中、神殿を抜け出して、街の宿まで走る。手を繋いで、息を切らせて。 私の胸に頭を預け、規則正しく寝息を立てるフィーネ。その律動は彼女が生きてくれている証。それを実感出来る他に、私は何も望まない。 魂が触れ合える「瞬間」を、大切にしていきたい。「永遠」は「瞬間」の積み重ね。私達は「永遠」を誓った。恐ろしい「死」さえも、私達を引き裂く事は出来ない。 二人が眠る宿の前に、一枚の純白の羽がひらひらと舞い落ちる。その羽は何かを予兆させるかのように雪に突き刺さり、やがて降雪に埋もれた。
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