第十五節 恋闇 A

 

 深夜二時。二人が堕天の準備を済ませ、ようやく眠りに就いた頃、隣室で微かにピアノの音が響いた。内に激情が秘められた、哀しく、切ない旋律。その音が鳴り止んだ後、静かに隣室の扉が開いた。其処から一人の天使が現れ、ルナの部屋の前に立つ。

「今晩は……」

 弱々しく響く声。だが、ルナはその声で目を覚ました。ジュディアだ。ルナは、熟睡しているリバレスを起こさぬよう、足音を忍ばせ、ゆっくりとドアを開いて外へ出る。

「どうしたんだ、こんな夜遅くに?」

「本当にごめんなさい、全部私の所為なの! 私が余計な事をしなければ」

 目を腫らした彼女が、廊下に響き渡る程の声で叫ぶ。咄嗟(とっさ)に、ルナは彼女の口を塞いだ。

「もう少し小さな声で話せよ。みんな寝てるんだ」

「ごめんなさい」

 涙を落として俯くジュディア。私は、彼女の肩を「ポンッ」と叩く。

「何も気にする必要は無い。結果として、天界は私の望むように変わるんだ。二百年の堕天など、些細な事だ」

 私の言葉で、彼女は顔を上げ微笑む。妖艶な表情……

「ルナッ」

 彼女は私に抱き付き、胸に顔を埋めた。

 

「ルナ、私は貴方を愛してる。初めて会った時から……。そして、これからも」

 

 解っていた。だが、私は動転し言葉を返せない。頬を朱に染めたジュディア。私は……

「ルナ、私は二百年待ってる。貴方を想い、美しいままの私で」

 私の背を抱く力が強まる。爪が食い込む程に……

「……返事は、二百年後に」

 私を離れ、自室へ向かうジュディア。その横顔に流れる一筋が、(きらめ)いていた。(ひど)いかも知れないが私は、彼女の想いを、今直ぐに受ける事は出来ない。

 部屋に戻ると、リバレスが私の肩に飛び乗った。全く……、寝てろよ。

「相変わらず、ジュディアは積極的ねー! いい加減折れたら?」

「お前なら、私が気安く頷けない理由を解るだろ」

 大きく頷き、自分のベッドに戻るリバレス。私も眠ろう。次に天界で眠れるのは二百年後だ。目を瞑ろうとした、その時、ふと視界に入るものがあった。月華(げっか)に照らされ、咲き誇るルナ草。フリーダムと名付けたその花を、私は忘れていた。

「お前とも、暫くお別れだな」

 私はルナ草を「保護」の神術で包み、窓から外に放った。術が解ければ花は大地へと降り立ち、根を張る事だろう。私の願い、「自由」は叶えられた。ありがとう。刹那、ルナ草が輝いた気がした。まるで、私の心の声に反応したかのように。




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