第十六節 堕天
午前八時。ルナとリバレスは全ての準備を済ませて、出発の時を待っていた。荷物は膨大だ。衣服、本、食器などに加え、リバレスの二百年分のESGが荷物袋を圧迫している。ルナのESGは無い。堕天の受刑者は、人間の食べ物を摂取して生活しなければならないからだ。また、受刑者は武器を持つ事を許されない。
「武器ぐらい持たせてくれたら良いのにねー」
リバレスが呟いた。彼女は、人間界で外敵に襲われる事を心配しているのだ。
「大丈夫だ。九割の力を失っても、私は人間よりは格段に強いだろう」
「人間相手ならそれで良いかも知れないけど、もし魔に襲われたらどうするのー?」
「強い魔なら、逃げるしか無いな。他に心配事は?」
「天使の指輪だは無くさないようにしなくちゃねー」
「そうだな」
もし無くせば、私は天使では無くなる。指輪は、生まれた時から身に付ける天使の証だ。
「そろそろ行こう」
「オッケーでーす」
神殿の屋上へ向かう二人。二人を賞賛し、今にも踊り出しそうな歓喜に沸く天使達。彼等は一様に活気に満ちている。生を謳歌出来る幸せを実感しているのだ。
「ルナ、昨日は本当に悪かった! お前を助けたい一心だったんだ」
裁判所で真っ先に話しかけて来たのはセルファス。その必死の表情を見て、私は拳で彼の胸を小突いた。
「セルファス、ありがとう。私の為に奔走してくれて」
「うぉぉ……、ルナ! 二百年後、元気で帰って来るのを心待ちにしてるからな!」
「ああ。お前も元気でな」
私の為に泣いてくれる友を背に、私は処刑台へと歩を進める。途中、ノレッジを見付けた。彼は、伏し目がちに私を見詰めている。恐らくこの数日間の事で、私に対して罪の意識を感じているのだろう。だが私は、彼の心の弱さを罪に問える程立派では無い。
「ノレッジ! 二百年間、トップの座は預けておくからな!」
はっと顔を上げるノレッジ。彼は私に頭を下げた後、眼鏡を上げて見せた。私とリバレスは顔を見合わせて笑う。
そして、私達は処刑台に立った。
「ルナ! ずっと、貴方の返事を待ってる。きっといい返事を……」
真っ赤な目、下睫に溜まっている涙。私は、彼女の悲壮なまでの想いを感じた。
「……ゆっくり考えとくよ」
「一つだけ約束して。天界に戻るまで、人間の女に心を奪われたりしないって」
有り得ない。私が、下等な人間に心を奪われるなど。
「勿論だ。私は、何事も無く天界に戻って来る」
「良かった。でも、もし貴方の心が誰かに奪われたら、私は絶対に許さない!」
冷たく、憎しみに溢れた声だった。彼女を怒らせると恐ろしいな。
「気を付けて、行ってらっしゃい!」
今度は華やかな笑顔。私は頷き、時計を見た。間も無く九時になる。顔を上げると、セルファスと目が合った。否、正確には彼はジュディアを見詰めていた。
静寂に包まれる。巨大な力が場を覆ったからだ。そして、声が響く。
「天使ルナリート、及び天翼獣リバレスを、只今より二百年間の堕天の刑に処す!」
「謹んでお受けします」
私がそう言った直後、急激に体の力が抜けた。体が……、酷く重い!
「ルナリートよ、天界の為に自らを犠牲にするその態度、誠に見事だ。これを持つ事を許可しよう」
その言葉と共に、目の前に現れたのは一振りの剣。僅かに金色を含んだ白銀色の金属オリハルコンで作られた剣で、精神力を攻撃力に変換する力を持つ至高の剣だ。この剣があれば心強い。
「ありがとうございます」
剣を持つ。重い! だが仕方無い、今の私は以前の十分の一しか力を発揮出来ないのだ。
「禁断神術……、『堕天』」
神の声が谺し、ルナとリバレスは、高速回転する光の膜に包まれた。
「みんなー、元気でねー!」
リバレスは膜の外に向けて手を振るが、二人の姿は外から既に見えない。真っ白な光が、二人の意識を奪い、視界を漆黒に塗り潰す。
「(ルナリート、お前は天界へ帰還後、人間界へのある重要な『計画』の指揮を担わねばならない。何故ならお前は……、『エファロード』の力を持つ者なのだから)」
消え行く意識の中、私は確かに、そう聞いた。
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