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柊の甲高い声は、遠くまで良く聴こえる。その鳴き声が尋常では無いと緋月は察し、全力で走った。川に近付くにつれ、雪那の声が大きくなる。
「せっちゃん!」
川の中で泣いている雪那、彼女を見て緋月も泣き出した。だが彼は、直ぐに涙を拭って川に入り、雪那の手を引いて二人で川から上がった。雪那は髪までびしょびしょで、緋月もTシャツとズボンがずぶ濡れだった。
「ひー君、ひー君!」
雪那は、緋月の胸に顔を埋めながら繰り返し名を呼び、緋月は、何度も謝りながら雪那の頭を撫でる。柊は二人の周りをぐるぐる回っていた。
緋月が笑い掛けても、雪那はなかなか泣き止まない。彼女は、緋月が居なくなると、どんな気持ちになるか知ったからだ。寂しくて、悲しくて、胸が詰まる。まるでこの世界から全ての人が居なくなって、たった一人取り残されたかのように。
やがて緋月は雪那に背を向けた。そして、振り返って頭を掻く。
「おんぶ。これで仲直り」
泣き声が止んだ。その直後、緋月の背中に雪那が飛び付く。緋月はよろけたが、何とか彼女を背負って歩き始める。
「家までは無理だよ」
幼い彼の体力では、雪那を背負ったら十m程度歩くのがやっとだ。雪那は「うんっ」と彼の耳元で囁いた後、背中に顔をくっつけた。濡れた自分を背負う、温かい背中。
「ひー君」
「ん?」
緋月が雪那の方を振り返る。だが雪那は何も言わない。緋月が再び前に視線を戻すと、彼女は彼に聞こえない程、小さな小さな声で一言囁いた。
「大好き」
雪那は気付いたのだ。緋月が居る事によって、自分が如何に救われていたか。そして、彼の優しさがどれだけ深いかを。彼女は、素直にこれが「好き」だと言う気持ちだと思った。彼女はこの時から自分の心に対して、緋月無しには生きられない、緋月を想う自分こそが本当の自分であると断言出来るようになった。
「ひー君、空に雪みたいに真っ白な月が出てるよ」
「ほんとだ」
「私ね、白い月が好き」
「ふーん、綺麗だもんね」
そうでは無い。雪那は、自分が白い月が好きな理由を、この時初めて知ったのだ。雪のような月は、そのまま雪那と緋月を表しているからだと。
緋月がよろけ始める。もう限界なのだろう。雪那は、自分が彼の背中から降りる直前に、顔を押し付ける振りをしながら、そっと背中に口付けをした。
「せっちゃん、顔が赤いよ。大丈夫?」
手を繋ぎ家に帰る途中、緋月は心配そうにそう言った。
「大丈夫。私、もうあんまり我儘は言わないから、ずっと傍に居てね」
「え? うん」
向日葵畑を出て、二人は自分の家へと向かう。雪那は、何度も振り返りながら、緋月が家に帰るまで自分も家には入らなかった。
真紅に染まる向日葵が、走り抜ける風にざわめく。