第四節 籌策(ちゅうさく)

「ルナ、お帰り!」

 部屋の前に立つと、兄さんが「バンッ」と扉を開け、私を抱き締めた。二百年前より少しやつれた顔。申し訳無い気持ちで一杯になる。

「兄さん、長い間お待たせしました!」

「ああ……、大変だったぜ」

 兄さんは泣いていた。私にとっての二百年は眠りながら過ぎた刹那の時間。しかし、兄さんにとっては長い長い時間だったのだろう。私達は、暫く再会の喜びに浸(ひた)っていた。

「ところで……」

 兄さんはさっきの騒動に気付いていた。駆け付けようとした時には、既に私が魔を倒した後だったらしい。だから、私が扉を開く前に出てきたのだ。

「それはそうと、シェルフィアはなかなか良い子だろう?」

 さっきの少女、否、女性と言うべきか。確かに良い子だが、何故今それを私に訊く?

「……そうですね。それがどうかしましたか?」

「はははっ! そんな質問をするのが、やっぱりお前らしいな。彼女は戦災孤児だ。元々は家族でミルドに住んでいたんだが、一家でフィグリルに引越して来た。現在のミルドは金属工場から出る煙で空気が悪いから、両親がシェルフィアの健康の為に移住を決断したらしい。しかし、フィグリルで『戦争』に巻き込まれ両親は死んだ。彼女が七歳の時だ」

 それを兄さんが引き取ったと言う事か。だがその話をする真意が汲み取れず、私は首を傾(かし)げた。すると、兄さんだけで無くリバレスまで笑い出す。

「ハルメスさん、ルナはずっと鈍いんですよー」

「そのようだな。その話はまた後にして、お前に話す事がある」

 彼の目が鋭く光る。柔らかい表情は瞬時に消えた。手紙の内容について語るのだろう。

「はい、どんな話でも聞きましょう」

 私達は兄さんの部屋の中に入った。豪勢な部屋だ。金銀宝石で装飾された椅子、シルクのベッド、天井には硝子のシャンデリア。そして、穏やかな目をした美しい女性の彫像。

 大理石の円卓を私達は囲む。兄さんは深呼吸した後、話を始めた。

 兄さんが、人間達に推薦されて「皇帝」になった事。人間界の文明が高度化した事について聞いた。その中で、武器も大いに発達したらしい。さっき兵士が私を攻撃した「銃」と言う武器もその一つだ。

「本題に入ろう。さっき俺は『戦争』と言う単語を発したが、これは『人間同士』の争いを意味する。強い武器を手にした人間が、富を掌握する為に『リウォル王国』を造った。その王国はこの『フィグリル皇国』に宣戦布告をし、今も攻撃が続いている。もう戦争は百年以上にも及ぶ」

 兄さんは歯を食い縛り、円卓を叩いた。大理石に亀裂が入る。

「何故そんな事に? 兄さんの力があれば、そんな人間を押さえつける事など容易でしょう。それに、人間どうしで争っている余裕など無い。戦うべき相手は魔の筈です!」

「……その通りだ。俺が力を使えば、一つの王国を滅ぼすのは容易(たやす)い。しかしそれは根本的な解決にならないんだ。別の人間が同様の考えを持ち、戦争を起こすだけだ。だからこそ全ての人間が納得いく形で、平和的解決をするしか無いんだ」

 尤もだ。武力で押さえつけると、反発心を植え付け、いずれは報復される。それに、人間を愛する兄さんが、人間を滅ぼす事など出来はしない。

「悪い事を考える人間も居るもんねー……」

 リバレスが項垂(うなだ)れた。私もつられて俯いてしまう。

「それだけならまだ良かった。戦争は、ルナが居れば必ず解決出来るからな。一番深刻な問題は別にある」

 私が居れば? その意味は後で聞くとして、深刻な問題、まさか。鼓動が早まる。

「……『計画』ですか?」

「その通りだ。計画、それは現在の神が打ち出した獄界との和平策……。それがどんなものだか解るか?」

 兄さんの声のトーンが下がる。瞳には暗い色が宿っている。

「……想像していた事とは違う事を願います」

 私は祈るように目を閉じた。最悪の「光景」が脳裏に浮かぶ……

「恐らく、お前が思う最悪以上の事だ。百年と少し前から魔の侵略は小規模になった。皮肉にもそれが、人間同士の戦争を起こす一因にもなったのだがな。侵略の小規模化は、計画実現の為に力を温存しているからだ」

 其処で兄さんは水を飲んだ。私は固唾(かたず)を呑んで続きを待つ。

「計画には全ての天使も参画する。これは、百年前に『死の司官ノレッジ』から知らされたものだから極めて信憑性が高い。計画は、今日から数えて約三ヵ月後の四月四日に実行に移される。天使、魔、そして神が動くこの計画の名、それは……」

 空気が張り詰める。私達は呼吸さえも出来ない。

「新生・中界計画だ」

 まさか……、否、司官になったノレッジが伝えに来たのだ。偽りは無いだろう。それに、神は私に「計画の指揮を担え」と言っていた。

「兄さん……、聞きたくはないですが、計画の詳細は?」

「……文字通り、人間界を中界として再生させる計画だ。人間界に居る人間が……、全て抹殺される!」

 その言葉の直後、私達三人は同時に円卓を叩いた。轟音と共に円卓は砕け散る。

「そんな事は絶対に許さない! 私が、否、皆で必ず阻止しましょう!」

 私達の思いは一つだ。天界の為に生まれた人間を、天界の為に消すなど到底(とうてい)許容出来ない。人の命を何だと思っている? 魂は、天使も人間も変わらないと言うのに。

「ルナ、そしてリバレス君。共に戦おう! そして俺達が最後に目指す姿、解るか?」

 崩れたテーブルの上で私達は手を取り合う。命を懸けて戦う証。

「解っています。私達が目指すのは、全ての者の幸せです」

「人間、天使、魔、神、獄王、天翼獣、隔たり無くねー!」

 皆、同時に頷いた。今後の方針は決まった。後は……

「兄さん、リバレス。戦いの前に私は、どうしてもやるべき事が」

「解ってる。フィーネさんはちゃんと転生してるぜ! 獄王が、気を遣って早めに転生させたのかも知れないな。転生してもう十九年が経ち、しかもこの街に居る」

 その言葉が終わるや否や、私は部屋の窓を開き飛び出した。落下中に光の翼を開く。

「フィーネ、会いたかった! 今行くからな」

 空から捜せば見付かる、会えば解る。そう信じて、私は皇国の空を舞う。

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