第二十一節　氷華(ひばな)

　塔を上り始めて二日と数時間が過ぎた頃、私達は最上階つまり三千階に辿り着いた。一階層の高さは十ｍなので、此処は高度三万ｍという計算になる。幾ら塔が神術で覆われているとは言え、空気が薄く気温が低い。私がもしフィーネのままだったなら、生きては居られないだろう。

　見上げると太陽、眼下には雲。足元がフワッと感じる程壮大な眺めだ。屋上の中央には何らかの装置があり、その前には肩と翼に痛々しい傷を持つ一人の女性。あれは……

「ジュディア！」

　ルナさんから、ピリピリした空気が伝わって来る。そう、あれは私を殺した女性。

「此処に来たって事は、セルファスもノレッジもやられたのね……」

　彼女は悪びれた様子も無く溜息を吐く。ルナさんは剣を抜き、今にも走り出しそうだ！

「……その娘、私が獄界に送ったのに戻って来たのね。ルナ、貴方はエファロードであると言うのに人間なんかに恋をして、獄界を荒らしまわった挙句、今度は天界を壊すつもりなの？　唯の馬鹿ね」

「セルファスに頼まれていたが、余程死にたいらしいな！」

　まずい、今のルナさんは本当に殺しかねない！　私は彼の左手を掴んだ。

「ルナさん、あの人は私に任せて下さい。今のあなたが戦えば、憎しみしか残りませんよ」

「何故だ？　あいつは君を殺した上に獄界に送ったんだ。許せる筈が無い！」

　ルナさんが凄い力で私の手を振り解こうとする。その時リバレスさんが加勢してくれた。

「ルナ！　ちゃんと、シェルフィアの言う事を聞いてあげて」

　ようやく彼は剣を収めた。私は胸を撫で下ろし、ジュディアさんに歩み寄る。

「へぇ……、人間の娘如きが私に何の用かしら？」

　相変わらず、人を蔑(さげす)むような視線。私はこの人を「救う」必要がある。

「貴方は可哀想な人。ルナさんを思うばかりに、私を殺してまで取り戻そうとした。でも私はその気持ちが解る。私だって、ルナさんが誰かに奪われたら絶対に許さないから」

　その瞬間、彼女は私の服を掴み、目に憎しみの炎を宿らせた。

「お前なんかに何が解るって言うの？　私の気持ちが解るですって！　人間如きに愛する人が奪われた私の気持ちが」

　彼女の体から、屋上全てが凍り付くようなエネルギーが迸る。

「貴方はそうやって、外見の美しさや神術の力を示す事しか出来ない。大切なのは『心』なのに！」

「黙りなさい！　お前を見ていると、気が狂いそうになる。私の前から消えるがいいわ」

　彼女は精神を集中し始めた。ルナさんには及ばないけど、凄い力。

「貴方に理解して貰うには、戦うしかないみたいね」

「止めろ、シェルフィア！　君の力で対処できる相手じゃない！」

　そうですね、ルナさん。あなたに見せていた力じゃ太刀打ち出来ない。

「ルナさん、ごめんなさい。私、まだ本当の力を隠してました」

　私は目を閉じ、自分の中に眠る全ての力を解放した。人と天使の力、魔物の力、そしてロードとサタンの力……。私にはその全ての力が少しずつ宿っているのだ。

「お前は一体……、何者なの？」

「私は転生する時に、様々な力の加護を受けた。その中には、神と獄王も含まれている」

　彼女が一歩後退る。ルナさんもリバレスも驚いているようだ。

「そんな事は有り得ない！　死になさい、高等神術『絶対零度』！」

「本当の冷たさを知ってる？　魂が愛する人から離れて、一人ぼっちになる冷たさを！」

　私は、彼女の氷を遥かに超える氷壁を生み出した。高さは数十ｍにも及ぶ。

「くっ、私は司官。天界のリーダー的存在よ！　究極神術を受けるがいいわ！」

「それで貴方の気が晴れるなら、好きなだけ神術を使うといいわ」

　私は究極神術ぐらいなら幾らでも防げる。気が済むまで彼女に攻撃をさせよう。

「お前の指図は受けない！　究極神術『不動』、『神光』！」

「シェルフィア！」

　眩(まばゆ)い光と共に、ルナさんとリバレスさんの声が響く。心配しなくても大丈夫です。私は彼女の神術の到達前に対策を打っているのだから。

「これが究極魔術、『暗幕(あんまく)』」

　私は、カーテン状の防護膜で彼女の神術を打ち消した。これで終わり？

「そんな……、私が人間如きに」

　彼女がその場に座り込む。どうやら、さっきのが彼女の全力だったらしい。

「人間も天使も、魔物だって魂の価値は変わらない。唯、貴方がそれを受け入れようとしないだけ……」

　私は「暗幕」を解除し、彼女に近付く。私は「仕上げ」をしなければならない。

「私は、死んでもお前の言う事なんて聞かない。殺すがいいわ！」

「それじゃあ、一度死んでみるのもいいかも知れないわね」

　私は彼女に向かって微笑んだ。彼女は大きく目を見開き、呼吸を止める。

「（シェルフィア、止めるんだ！　君がそいつを殺しても意味は無い）」

「（大丈夫ですよ。唯、この人を心の闇から救うだけです。）」

　私はルナさんの「転送」に「転送」で言葉を返した。そしてジュディアさんを見下ろす。

「確か、『不動』と、『堕獄』よね。私に使ったのは」

　私はそう言いながら、彼女を「不動」で動けなくした。彼女の顔が引き攣る。

「な……、何をするの？　嫌、私は死にたくない！　セルファスー！」

　結局貴方は死を恐れるのね。それが当然の反応。

「禁断神術、『堕獄』！」

　これで終わりよ。私は、空間に「漆黒の剣」を生み出し彼女の胸に突き立てた。

「キャァァ……！」

　彼女の絶叫が響く。全てが終わったのだ。

　剣は偽物だ。だから、彼女の体に当たった瞬間粉々に砕けていた。

「少しは解ってくれた？　貴方がやった事がどれ程恐ろしい事か。死ぬ前に、愛する人の顔が浮かぶでしょう？」

　私はジュディアさんに手を差し伸べた。彼女は私の手をギュッと掴む。泣いていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい！　うわぁぁ……ん！」

「解ってくれたらいいのよ。私はルナさんの所に戻ってくる事が出来たんだし、もう誰も貴方を責めないから」

　彼女は何度も何度も謝り、泣き続けた。これで、余計な憎しみを増やさずに済んだ。私は彼女に殺されたけれど、憎んではいない。もう彼女は、人を見下したり傷付けたりする事は無いだろう。痛みを知ったのだから。そしてルナさんも彼女を憎む事は無くなる筈。

　私は彼女が泣き止むまで、抱き締め背中を撫でてあげた。