第二十二節 皎月(こうげつ)
三人は天界の地下通路を駆けている。ジュディアが贖罪の塔屋上の転送装置を起動させ、転送してくれたのだ。地下通路に敵はおらず、最終到達地点は封印の間に近い。
「本当にこの道で辿り付けるのかしらねー?」
「大丈夫ですよ。ジュディアさんの目は、嘘を吐いているようには見えなかったから」
シェルフィアの言う通りだ。泣き腫らした彼女の目に偽りの色は無かった。
「それはシェルフィアのお陰だ。先を急ごう!」
私は二人に声を掛け、速度を上げて通路を走った。
通路を通って数時間後の午後八時、私達はようやく出口の明かりを見た。最後の階段を一気に駆け上がる。視界が、全方位に大きく広がった。
遥か頭上には皎々(こうこう)と輝く満月が上り、私達を照らしている。南の方には薄っすらと神殿が見え、北には山々が連なる。目の前には、月華と同色の花が密に咲く草原が広がり、その奥には封印の間、そして門前の噴水がある。
「懐かしいわねー……」
「ああ」
二百年振りに見る故郷は、旅立ちの前と変わっていない。大理石の道、建造物、整えられた自然。何故かその風景は、私達の帰郷を喜んでくれているように見えた。
「此処が、ルナさんとリバレスさんの故郷……。とても綺麗な世界ですね」
シェルフィアが天界に見入っている。手の入っていない自然も美しいが、人工的に作られたものにも幾何学的な美があるのだ。私達は、風景を見ながら封印の間へと歩を進めた。
「可愛らしい花が咲き誇っていますね」
シェルフィアがしゃがみ込み、草原に咲く一輪に顔を寄せた。儚(はかな)く可憐(かれん)な花弁。
「この花は……」
「ルナ草ねー」
二百年前、こんな所にルナ草は無かった。なのにこの草原は全てルナ草だ。天界でしか生息せず、しかも個体数が少ないこの花がこれ程咲くとは。
「(ルナリート様、お久し振りです……)」
何処からともなく頭に直接響く、聞き慣れない声。だが暖かく、優しい、何処かで聞いた事があるような声。誰だろう? 私は周囲をクルクルと見回す。
「(私は足元におります、どうかお姿を良く見せて下さいませ)」
「まさか……、私が天界を去る前夜に、窓から飛ばしたルナ草か?」
一際大きく、そして誇らしげに咲き揺れる花に私は問い掛ける。
「(はい、その通りです。貴方様のお帰りを心待ちにしておりました。お元気な様子で安心致しました。見て下さい、周りの花達を。みんな私の子供なのですよ……)」
二百年でルナ草は、根を張り、花を咲かせ、実を結びこれ程数を増やしたのだろう。それより植物が意思を、否、魂を持つのは極めて稀(まれ)だ。エファロードの記憶を辿って見ても、過去に数度しか無い。色々と話をしたい所だが、私達は先を急ぐ。
「良かったな、これからも元気に花を咲かせるんだぞ」
私は神術で大気中の水を集め、花に注いだ後走り出した。
「(お待ち下さい! 私が此処でお待ち申していたのは、貴方の力となる為です)」
「お前は……、一体?」
「(私の魂、『神剣(しんけん)ルナリート』として捧げましょう。この先で必ずお役に立ちます!)」
神剣、それは魂を剣に変えたもの。神のみが扱う事を許され、しかも神剣の魂は扱う者を深く信頼していなければならない。その分神剣の力は凄まじい。オリハルコンの剣が、注がれた精神力の一部を破壊力に変換出来るのに対して、神剣は全てを破壊力に変える。
「お前も、私と共に戦ってくれるんだな。ありがとう!」
ルナ草が、神々しい剣に変化する。それを手に取ると、途方も無い力が刀身に宿るのが解った。これがあれば、どんな武器にも負けはしないだろう。
私はオリハルコンの剣をシェルフィアに渡し、封印の間の門を開いた。後は扉を開けば、其処は「神の領域」。外観は小さな塔だが、内部の空間は湾曲しており途轍も無く広い。
「ルナー、危ない!」
突如扉が開き、其処から出て来たものは……、槍!
「ガキィィ……ン!」
リバレスのお陰で、「光膜」での防御が間に合った。私は扉の向こうを睨む。
「くくく……、遂にこの日が来ましたねぇ! 私の人生を砕いた愚者(ぐしゃ)に対し、破滅を齎(もたら)す時がぁぁ!」
真っ白な頭、痩せこけた顔と体、狂気が滲み出た目元。奴は……
「元神官ハーツ、私はお前に用は無い。此処を通してくれないか?」
「私は神官ハーツ様だあぁ! 逆らう者は魂を砕かれるがいぃ!」
私の声を上手く認識出来ていないらしい。精神の一部が破綻(はたん)しているのか? 何にせよ、通してくれそうに無い。私達は大理石とオリハルコンで出来た「間」に飛び込む。
「リバレス、シェルフィア、奴の神術は強力だ。だが油断せずに、『拘束』と『魂砕断』にさえ気を付ければ大丈夫だ!」
二人は頷き、私から離れた。そして私達は、ハーツを三角形状に包囲する。
「全て消えるがいぃ!」
光、熱、氷、そして魂砕断が奴の掌から放たれる! 私達はそれを打ち消し、躱した。
「昔よりも、力と殺意に満ちているな。ならば動きを止めてやる!」
私は奴に向かって、「不動」を発動させた。だが奴は容易(たやす)くそれを避ける。
「甘いですねえぇ! 動きを止めるならこうしないと!」
数百の「拘束」がリバレスを囲む! これでは避けられない。
「リバレス!」
「リバレスさんっ!」
私達は、同時にリバレスに駆け寄ろうとしたが、彼女に制止された。
「あんまりわたしを見縊(みくび)らないでよねっ。究極神術『重圧環(じゅうあつかん)』!」
かつて神官が、夜に外出した私達を捕らえるのに用いた神術だ。この環の中に居る者には、十倍もの重力が加わる。重圧環によって拘束は消え、ハーツは地に伏した。
「ぐうっ、体が重いぃ!」
「シェルフィア、今よ!」
「解りました。行きますよ!」
二人が何をするのかは解らない。だが私は、いつでも動ける準備だけはしておく。
「究極神術『不動』!」
「うがあぁ!」
シェルフィアがハーツを動けなくした。そしてリバレスが、雷の神術を連続で放つ!
「私は、神官ハーツ様だあぁ!」
とっくに意識を失ってもいい筈なのに、ハーツは尚も叫び続ける。
「ハーツ、負けを認めるんだ。このまま攻撃を受け続ければ死ぬぞ!」
「私は、ダ・レ・ニ・モ、負けは、しなあぁいぃ!」
不気味な甲高(かんだか)い絶叫。その直後、奴の体が真っ白に光る! 閃光は私達を呑みこみ、部屋中へと拡がった。
「ドォォ……ン!」
「キャァァ……!」
爆音、続いてシェルフィアとリバレスの叫び! 一体何が起こった?
閃光が消えて、初めて気付いた。自分が血塗(ちまみ)れになっている事に。ハーツは、自分の命と引き換えに、禁断神術「爆」を使ったのだ。これは、肉体と魂の全てを爆発させる神術。出血の割に、私の傷は深くない。全身を軽く火傷した程度だ。だが……
「シェルフィア、リバレス!」
二人は倒れていた。火傷ではなく、爆風の衝撃で壁に叩きつけられたようだ。二人共全身打撲に、複数個所の骨折。私は直ぐに治癒を開始した。
「ハーツ……。お前は最後まで救えない奴だったな」
私は、風に揺れるハーツの服の破片を見てそう呟いた。
二人の治療には一時間程掛かり、それを終えると今度は私に眠気が襲って来た。疲労による、抗(あらが)いようの無い睡魔。私は眠りに落ちる。
この先に待ち受けるものは何だろう? 平和、それとも戦争だろうか。唯一つ確かなのは、次に出会うのは『神』である私と兄さんの『父』だと言う事。
其処で全てが始まり、全てが終わる。
例えこの先に待つ運命が過酷だったとしても、私は立ち向かう。『永遠の心』を持って。
君と創る未来の為に。そして、今を懸命に生きている者の為に。