第四章 新世界
第一節 流転
ルナとリバレスが眠りに就いて五十年後の天界。神殿の屋上、かつて裁判所だった場所に全ての天使が集結していた。ある、重要な「決定」を聞く為である。
「只今を持ちまして、獄界との和平策である『新生・中界計画』の実行責任者及び、実行日時が決定されました!」
死を司る間の司官ノレッジが声を張り上げた。聴衆は、静かに彼の声に耳を傾けている。ルナの堕天後、天界では司官が「若い世代」に任される事となった。死の司官ノレッジ、力の司官セルファス、そして神術と命の司官ジュディアだ。もしルナがジュディアを傷付けていなければ、間違い無く彼が天界の指導者になっていただろう。
しかし歴史は不可逆で、失われた信頼は戻らない。
「『新生・中界計画』の実行責任者は、私達三人の司官。私達を統括する最高責任者は、『神』であるシェドロット様です!」
翼の半分が欠け、肩に惨烈な傷跡が残るジュディアが、ノレッジの言葉を継いだ。
「実行日時は、百五十年後の四月四日。午前零時です!」
ジュディアの肩の傷を庇うように優しく擦る天使、セルファスが聴衆を見渡す。彼は、若いながらもジュディアと結婚した。大怪我をしたジュディアを、献身的に看護したのが切っ掛けである。セルファスの誠意で、ジュディアの心は氷解したのだ。
この集会を開いたノレッジは、ルナの不在で天界一の頭脳を発揮した。学力テストでは、全て一位を維持。彼が恐れる存在はもう天界には居ない。
「かつての英雄ルナリート、及びハルメス。二人のエファロードは、最早私達の仲間ではありません! 私達の主は唯一人、シェドロット様です。共に戦いましょう!」
ノレッジが、一際(ひときわ)大きな声を張り上げる。割れんばかりの拍手喝采。
一般の天使は知らない。人間が自分達と同じだと言う事、そしてその存在意味を。だからこそ、躊躇い無く「計画」は決定し、実行されるのだ。獄界と天界との間に平和を齎す、シェドロット最後の責務である計画が。
計画が実行される時、熾烈(しれつ)な運命の螺旋はあらゆる者を呑み込む。
百年後、人間界の「フィグリル皇国」皇帝ハルメスは、自室の窓辺に寄り掛かり呟く。
「……後、百年か。俺が皇帝になったと知れば、あいつらは驚くだろうな」
この百年で、人間界は著しく進歩した。産業の発展、整備されていく街。そして、人工は数倍に膨れ上がった。それを支えたのは皇帝ハルメスの力と、強力な武器を作り出した人間の科学力だ。人間は、激化する魔の侵攻に対抗するべく、数々の武器を生み出した。魔の固い皮膚をも破る、新型の爆薬。それを応用した「銃」や「大砲」、「爆弾」などだ。
だが、ここ数年魔の侵攻が緩やかになった為武器は余り、魔と戦う為の兵は職を失う。そんな元兵士を統率し、一大国家を作り上げたのが「リウォル王」である。王はフィグリル皇国を目の敵にし、度々攻撃を繰り返している。どちらの国も、「交易」が主産業だからだ。王の目的は、アトン地区に統一国家を作り、いずれは世界の覇権を握る事である。ハルメスがリウォル王国を潰すのは容易いが、それは彼の願う所では無い。
「人間達は解っていない。百年後、どんな惨劇が繰り広げられるか。内輪揉めしている場合じゃ無いんだ!」
ハルメスが大理石のテーブルを力任せに叩く。テーブルは一瞬で粉々になった。彼はリウォルに対して、何度も和平の申し入れをしたが、聞き入れられる事は無かった。
そして彼は知った。百年後に実行される「計画」の詳細を。天界から視察に来たノレッジに伝えられたのだ。ノレッジは彼に進言した。「計画に協力すれば、天界に戻れる」と。しかし人間を、ティファニィを愛するハルメスが、それを受け入れる筈も無い。
「ルナ、早く目覚めてくれ! お前が居れば、リウォルを鎮められる。そして、人間界を一つにする事も可能なんだ」
彼はバルコニーに出て、沈み行く返照(へんしょう)を眺める。それは訪れる長い夜と、安息の朝の遠さを物語るような、虚しい色に思えた。
ルナと獄王の戦いから百五十年の歳月が流れたこの日、獄界の宮殿前にある「サタン・スタジアム」には、三十万もの魔が集結し、中央に立つフィアレスの声を聞いている。
「お前達、計画実行までは後五十年だ! それまで、存分に力を付けておけ!」
彼の声は魔術で増幅され、獄界中に響き渡った。
「ウォォ!」
歓喜の叫びがスタジアムを揺さぶる。無理も無い、彼等の悲願が遂に果たされるのだ。
この百五十年間、特に五十数年前からは、魔の戦力を人間界侵攻に割かなかった。「計画」に向けて温存する為だ。魔は自己の鍛錬に日々を費やした。それはフィアレスとて例外では無い。彼はルナに負けた自分を悔い、死に物狂いで己を練磨しているのだ。
この星で最強の力を持つのは、「ロード」では無く「サタン」であると証明する為に。
ルナは長い夢を見ていた。眠りに就いて間も無く二百年が経過する。
「ルナさん、ルナさんっ……」
暗闇に浮かぶ薄桃色の光が、私を呼んでいる。
「誰だ?」
私は動く事も出来ず、光に向かって問いかけた。此処は何処だ? この声はまさか……
「フィーネですよ! 私は、生まれ変わったんです」
「フィーネ、会いたかった! でも、今私は動けない。こっちへ来てくれ!」
涙が止まらない! 彼女に近寄りたいが、何故か体が動かない。やがて、ぼんやりした光は鮮明な線を描き、はっきりとフィーネの姿になった。
「私も会いたかったですよ。ずっと、ずっと。でも……、これ以上傍には行けません」
フィーネは俯き、雫がポロポロと零れ落ちている。どうしたのだ?
「フフ……、相変わらず馬鹿ね」
ジュディア! 彼女が突如現れ、私とフィーネの間に立ちはだかる。
「貴様……、今すぐ此処から失せろ。さもなくば、息の根を止めてやる!」
私はそう叫びながらも、体に全く力が入らない。神術も使えそうに無い。
「獄界に堕としても戻って来るなんてね……。今度は魂を砕いてやるわ!」
「止めてくれ!」
私の懇願は通じず、凄まじい光熱で視界が白に染まっていく。魂砕断だ!
「キャァァ……!」
光の刃は容赦無く、彼女の体を切り刻む! 視界は、白くフェードアウトしていった。
「フィーネ!」
私は喉が潰れるぐらいに、彼女の名前を叫んだ。すると、徐々に白から見慣れた風景にフェードインしていく。此処は眠りの祠。そうか、私は眠っていたのだ。ならば、さっきのは夢か。最悪な寝覚めだった。冷や汗が背中を流れる。
「うーん……、おはよールナ。あれ、顔色が悪いんじゃない?」
私の叫びで、彼女も目を覚ましたらしい。暢気(のんき)に欠伸(あくび)をしながら伸びをしている。
「おはよう。何だか……、胸騒ぎがするだけだ。それより、二百年は過ぎた。行こう!」
体は随分楽になった。精神を集中すると、簡単に光の翼を出す事が出来た。これなら戦えるだろう。急がなければならない。フィーネを見付けるのも、兄さんと共に戦うのも。そうしなければ、大変な事になるような予感がするのだ。
「うん、行きましょー!」
リバレスが肩に乗り、明るい声を出した。眠っていただけなので当たり前だが、二百年経っても、ちっとも変わっていないな。
私達は祠を出て、光の翼で空高く舞い上がる。気温は低いが、久々に浴びる風が気持ち良い。時刻を確認すると、午前九時だった。朝陽が眩しい。
二百年経った、新しい世界。それはどんな表情で私達を迎えるのだろう?