第二十八節 寒花
三人は、日が昇る頃に宿に帰って来た。ベッドに横たわるなり、三人共直ぐに眠りに落ちる。長過ぎる一日で、疲れがピークに達していたからだ。三人共、その寝顔は安らかだ。
昼を過ぎても彼等は起きない。午後三時頃、部屋の扉の前に一人の初老の男が訪れた。
「コンコンコン……」
控え目なノック音、だがその音でルナとフィーネは目覚めた。ルナが立ち上がり、そっとドアを開ける。
「誰だ?」
初老だが、風格のある男。人の上に立つ者の雰囲気を醸し出している。宿の者では無い。
「失礼を承知でお伺いします。リウォルタワーは、貴方達が沈めて下さったのですか?」
私が塔の方角に向かう所は、人間に目撃されている。しかもフィーネは馬まで借りていて、朝それを返却した所だ。知られていても不思議じゃない。
「ん? 確かに私が沈めたが、それがどうかしたのか?」
「やはりそうですか! 私はこの街の長です。今日は、あの忌まわしき塔が消えた記念に、祝宴とパレードを催したいと思っているのです! パレードに是非主賓として参加して頂きたく、此処に参りました!」
随分と腰が低い長だな。だが、また祝宴か……
「参加しますよ!」
フィーネが横から顔を出す。彼女が参加したいなら、私が断る理由も特に無い。
「そういう事で、私達は参加させて貰うから宜しく」
長は皺の刻まれた顔に笑みを浮かべ、丁重に頭を下げた。
「それでは今晩六時より、開催させて頂きます。時間までに、街の中心にある『鉄神殿』にお集まり下さい!」
鉄神殿。昨日は立ち寄らなかったが、この街の名物で、鉄で出来た神殿だな。
「了解」
長は、再度頭を下げ宿を出て行った。いつの間にか起きたリバレスが、私の肩に乗る。
「人間は祝い事が好きねー」
「そんな事は無いですよ。魔の脅威が無くなった事が、嬉しくて仕方無いんです!」
彼女には、長や街の人間の気持ちが良く解るのだろう。
「まだ祝宴まで時間があるし、散歩でもするか」
私達は顔を洗い、軽く食事を食べた後宿を出た。
街には、昨日の傷跡が生々しく残っている。ルナが塔を崩壊させた事は、既に街の人間に知れ渡っており、多くの人間がルナ達に話し掛けた。
殆どが感謝の言葉だったが、一部の人間は嘆きの言葉を投げ掛けて来た。ルナがもう一日早く来ていれば、大切な者を失わずに済んだと。
街の再建に汗を流す人間、怪我の手当てをする人間を見て、フィーネは駆け出した。ルナとリバレスは、街の外れの人気の無い浜辺に座る。此処で聞こえるのは、潮騒だけだ。
「ふぅー、やっぱり指輪の姿は窮屈だわー」
リバレスは、周りに人が居ないのを確認してから元の姿に戻った。
「それにしても……、ルナがねー」
リバレスが、じぃーっと私を見て来るので、思わず目を逸らす。
「な、何だよ?」
「恋愛成就おめでとー!」
彼女は笑いながら、私の頭の上に乗る。恥ずかしくて返す言葉も無い。
「フィーネは良い子だし、大事にするのよー」
リバレスが私の頬を引っ張る。彼女も嬉しそうだ。
「……ああ。解ってる」
此処まで来れたのは、お前のお陰だよ。
午後六時。三人は鉄神殿に集まった。この神殿は、外装だけで無く内装の全て、柱や彫刻までもが全て鉄で出来ている。天界には劣るが、卓越した技術だ。
「さぁ、皆の者! リウォルパレードの始まりだ!」
街長の掛け声で、神殿中央の天井から吊り下がっていた幕の覆いが外され、文字が現れた。白い鳩が飛び交う中、その文字を街人全員が合唱する。
「胸に刻もう、この時を! 我々は語り継ごう、英雄ルナリートの名を!」
大袈裟な謳い文句と共に、盛大な祝宴は始まった。
ルナとフィーネは、色鮮やかな花で飾られた、滑車の付いた台座に座らされ、街の人間に囲まれながら、街中を練り歩く。
「ふふふ、こんなに盛大に祝ってくれて嬉しいですね。まるで、私達二人を祝福してくれてるみたいです」
昨日買った、白いドレスを着たフィーネが顔を赤らめ、私の手を握る。
「本当だな。良い思い出になりそうだ」
喜びで乱舞する人々の中を通り抜けながら、私とフィーネは祝酒を飲む。本当に、私達の結婚式を行っているみたいだ。……少し酔いが回ってきた。
「フィーネ、綺麗だよ」
潤んだフィーネの双眸が私を見詰める。
「ルナさん、愛してます」
パレードの間、私達は手を重ね、離す事は無かった。
「ルナリートさん、そしてフィーネさん! リウォルは、お二人の『像』を作り、この街の守護神として、末代まで崇拝して参ります」
街長がその言葉を口にした時、私は流石に遠慮したが、満場一致でそれが実行される事に決まった時には止める事が出来なかった。
神殿にいる者も、街の中にいる者も皆楽しそうに酒を飲み、料理を食べ、踊りに没頭する。其処に、音楽隊の演奏も加わり、祝宴はますます熱を増していった。その光景は、人間達が短い一生を懸命に謳歌しているかのようで、激しく切ない。
人間界の弱い酒とは言え、樽一杯飲んだので、私は久々に酔っていた。
「人間も良いもんだな、あんなに楽しそうに笑ってる」
私達は酔いを冷ます為に、神殿の端の方に座っていた。此処には誰も来ない。
「そうねー、本当に人生を楽しんでるって感じよねー」
リバレスの顔も赤い。その顔には笑みが浮かぶ。フィーネはとっくに酔い潰れて、私の膝の上で眠っていた。
「天使は強い力と長い命を持ってるけど、一つの事でこんなにも幸せにはなれないからな。短い人生でも、これだけ笑えれば幸せだろうな」
安らかな寝顔を浮かべるフィーネの髪を、私はそっと撫でる。
「ルナさん……」
夢の中でも、私を想ってくれている。嬉しいものだ。
「ずっとフィーネの傍に居てあげるんでしょー?」
「ああ。私は、フィーネとリバレスの三人で、過ごすつもりだよ」
リバレスの頭をポンポンと撫でるように叩く。
「ルナも変わったわねー。わたしって……、お邪魔虫じゃ無い?」
不意に彼女の顔に哀愁が浮かんだ。だが、直ぐに微笑みを取り戻す。
「お前は、私にとって必要だ。ずっと、一緒だから心配するなよ」
リバレスは頷きながら、私の顔の周りを飛び回った。
人々は、酔い潰れて家路に就く。夜は深まり、星空の下私達も宿へと歩いていた。フィーネは、ついさっき目を覚ました所だ。
人間界に堕ちて、二週間と少し。楽しい思い出ばかりが蘇る。これが刑なら願っても無い。私の心は満たされていた。他に、欲しい物は何も無い。
神の存在を信じていなかった私が、神に願う。ずっと、この幸せが続く事を。
宿に着き、ハルメス兄さんに貰った懐中時計を開く。時刻は、午前一時三十八分。フィーネが、眠る前の酔い覚ましに海風に当たりたいと言うので、二人で浜辺に赴いた。
もう冬だな。私が堕天してから、毎日どんどん気温が下がってきているのが解る。だが、優しい海の音と、零(こぼ)れ落ちそうな星々を見ていると、温かな気持ちになる。
「ルナさん、私はとっても幸せです。あなたが傍に居てくれるから……」
私は彼女の肩を抱き寄せた。浜辺に座る私達の目の前には、真っ暗な海と星の海。
「私もだよ。ずっと一緒に生きよう。フィーネは十七歳、私は千八百二十六歳。年齢は離れてるけど、そんな事は関係無い」
何気無く私はそう言った。だが、彼女は俯いた。不味い事を言ったか?
「ルナさんが人間なら、十八歳ぐらいに見えます。でも私は、どんなに長生きしても百年も生きられないです……。あなたは若いままで、私は年老いていくでしょう」
そうだ……。どんなに一緒に居たいと願っても、彼女は人間だ。生きられる時間の長さが違う。だが、ESGを彼女に投与すれば……。駄目だ、拒絶反応というリスクがある。 そもそも、時間の長さなど関係無い。密度が問題なのだ。
「百年でもいい。その時間の価値は、私とフィーネで何も変わらないから。その百年は、私にとっての一生と同じ価値がある。それに、大切なのは若さじゃ無く心だ。私は、命ある限り君と共に在る。だから、心配しないで欲しい」
フィーネは顔を上げて、私に微笑みかけた。一点の曇りも無い、笑顔。
「はい、ずっと傍にいて下さいね! ……天国にいるお父さんとお母さんにも、今の私を見せてあげたいな。『辛い事もあったけど、私は幸せです』って」
彼女は私の右手を、強く強く握り締める。思いの切実さが、手を通して伝わる。私も、そっと包むように左手を重ねた。絶対に、彼女を不幸にはしない。
「ご両親が見ているんなら、尚更フィーネを幸せにしないとな。魔を倒して、この世界を平和にしたら一緒に暮らそう。何処か、田舎の方に家を建てて、誰よりも幸せに」
私はそう言って、祈るように目を瞑って空を見上げるフィーネにキスをした。
「はい……、約束ですよ。ルナさん、大好きです」
私は、この広い宇宙で君に出会えた事を素直に感謝する。
「あっ! 掌を上に向けて見て下さい」
フィーネが突然声を上げた。私は首を傾げながらも言われた通りにする。冷たい雫が掌に数滴落ちて来た。これは……?
「雪ですよ」
夜闇の中、微(かす)かに煌く白い結晶。微風に揺られて舞い落ちる花弁は、息を呑む程幻想的で美しい。
「これが雪……。初めて見たよ」
天界に雪は降らない。天界は特殊な結界で覆われ、ある程度温暖に保たれているからだ。
「ルナさんと出会った、ミルドの丘。あそこにもよく雪が降り積もるんです。雪って、綺麗ですよね」
「ああ。今頃、あの丘にも雪が降ってるかも知れないな」
私は、フィーネの肩と髪に積もった雪を手で軽く掃った。フィーネが笑って立ち上がる。
「ルナさんにも、一杯積もってますよ!」
彼女も、私の雪を掃う。私は立ち上がり、彼女を後ろから抱き締めた。
「ふふ……、行きたいですね」
「ん? 何処に行きたいんだ?」
私は、指でフィーネの頬を突っ付く。
「ミルドの丘ですよ。二人が初めて出会ったあの丘で、一緒に雪が見たいんです」
雪が小降りになり、やがて消えた。
「ああ、絶対に見よう。約束だ」
全てが始まったあの丘で、あの時とは違う二人で。
「はいっ! 約束ですよ!」
フィーネが私の頬に口付けをする。楽しみが一つ増えたな。
だがその時、背筋が凍るような殺気を何処からか感じた。
人間には感じられないだろうが、凄まじい殺気だ。冷や汗が背中を伝う。
「どうかしたんですか?」
「……何でも無い。冷え込んで来たし、そろそろ宿に帰ろう」
私は笑顔を作って、彼女の手を取った。
あの殺気は、確実に私達に向いていた。魔では無いが、異様に密度の濃い殺気……
この時、誰も居ない海岸に、不気味な笑い声が響いていた事を、二人は知らない。