第二十九節 星石

 祝宴の翌朝、ルナ達は宿を出て街長の家に向かっていた。街長から話があるらしい。

 街外れにある豪邸が長の家で、鉄の門と肉食獣の彫刻が訪問者を迎える。中に入ると、手入れの行き届いた芝生が目を惹く。三人は、使用人の案内で客間に通された。ルナとフィーネはソファに座る。客間にある品の良い絵画と彫刻を眺めていると、街長が現れた。

「この度は本当に有難うございました! この恩は、決して忘れはしません」

 街長はソファの前にあるテーブルに頭が付く位に、深い礼をした。本当に腰が低い。きっと彼は、住人と同じ目線でこの街を統治しているのだろう。

「私は当然の事をしただけだよ。それより、頭を上げてくれ」

 ルナさん、それは当然じゃありません。あなたにしか出来ない事ですよ。

「そんなに謙虚になさらなくても! 兎(と)に角(かく)、有難うございました!」

 其処に、使用人が温かい紅茶を持って来た。私とルナさんは、同時にそれを啜(すす)る。薫り高い茶葉と、新鮮なミルク。美味しい。

「ところで、話とは?」

 ルナさんの言葉に、長は笑みを浮かべる。どうやら私達に有益な情報らしい。

「はい、貴方達に是非一度、足を運んで頂きたい場所があるのです。それは、偉大なる『神官』が居る『フィグリルの街』です。神官は人(じん)智(ち)を超えた力で、人々に救いを齎しているという話です。一説では、数百年以上も前から生きているという事……。この街を救ったルナリートさんに通ずるものがあるかも知れません」

 ルナさんは考え込んでいる。私もその神官は噂で聞いた事がある。いつまでも歳を取らず、美しい銀色の髪を持った神官。その人はルナさんの力になってくれるかも知れない。

「ルナさん、行ってみましょう!」

 私がそう言うと、ルナさんは一瞬「ムスッ」とした表情になった。でも、指輪のリバレスさんと何らかの会話をした後、いつもの穏やかな顔に戻ってホッとする。

「……そうだな。一度会ってみようか」

「そうですか! それでは、フィグリルへの船を手配しておきますので、正午過ぎに船着場へお越し下さい。それと……」

 長が、隣で控える使用人に目で合図を送る。すると使用人は、別の部屋から純銀と宝石で作られた豪奢な小箱を持って来て、長に渡した。

「ルナリートさん、これをお受け取り下さい。この箱には、『シェファ』と呼ばれる宝石が入っております。ご存知の通り、シェファとは私達の暮らすこの星の名。この宝石は、世界に二つと無いと言われる程貴重な石で、虹色の光を自ら放ち続けます。これを、フィーネさんへ贈る指輪の石としてお使い下さい」

 この人は何て事を言うの。恥ずかしい。あ、長が箱を開けてくれた。凄く綺麗な石ね。艶やかな石自体が、虹色に発光している。

「流石に、そんな貴重な物は貰えないよ」

「いいえ、私はリウォルの代表として、これを受け取って貰わねばならないのです。お願いします!」

 必死に懇願している顔、ルナさんがこっちを向いたので、私は頷いた。

「……解った。頂く事にするよ。この石をフィーネの指輪にする時は、またこの街に来る」

「ルナさんっ!」

「(もー、二人共いい加減にしてよねー!)」

「ハッハッハ……! 貴方達の結婚式は、是非この街で。盛大に行わせて頂きますよ!」

 長まで……。もうっ! 私達は、暫く談笑してから船着場に向かった。

 三人は大型の帆船に乗り込んだ。天気は晴天。海の香りが船上に広がり、空には鳥が群れを為して飛んでいる。威勢の良い船長が出航の合図をした。船着場には、多くの街人が駆け付けてルナ達に手を振っている。

 船は東に六百km、北に四百km航行して目的地に着く予定だ。順調に航海すれば、二日後の夕方にフィグリルに到着する。この船には、船員が十人、乗客が百人程乗船している。客室のグレードは一〜三までだが、ルナとフィーネは一室しか無い特別室に案内された。特別室には、テーブルに椅子、硝子窓、クローゼット、バス等が完備されている。

「部屋は申し分無いが、ベッドが一つしか無い。枕は二つあるのに」

 ルナさんが首を傾げる。あの長は……、困った人だ。私はルナさんに説明しないといけないのに。

「ルナさん、これは、あの……、結婚した二人が眠るダブルベッドです」

 ああ、もう。ルナさんも、ベッドも直視出来ない。

「街長、余計な気を回して! 仕方無い、別の部屋を借りよう」

 ん、別の部屋? それは考え付かなかった。どうやって、照れずに一緒に眠るかしか考えていなかったから。

「ルナー、折角街の人が気を遣ってくれたんだから、この部屋で良いんじゃないのー?」

 リバレスさんが、私にウィンクする。彼女は、私の心を的確に読んでる。

「……ルナさん。私はこの部屋で良いですよ」

 恥ずかしいけど、あなたの温かみを感じて眠れるなら。それに、リバレスさんも居る。

「私はルナさんを信じてますから」

 私がそう言っても、ルナさんは渋っていた。でも、最終的には了解してくれた。あなたの、そんな優しさが好きです。

 豪華な夕食の後、リバレスさんが私に話があるとの事で、ルナさんに席を外して貰った。窓の外を見ると、「パラパラ」と雨が降っている。

「わざわざごめんねー」

 リバレスさんが、テーブルの端に腰掛けて私に微笑みかける。

「いいえ、どうしたんですか?」

「一つは、ルナの事を末永くお願いしたいって事よ」

 彼女は私に頭を下げた。滅相も無い、私も頭を下げる。

「そして、もう一つは……、ルナには言わないでね」

「はい、解りました」

 私は目を見開き、身構える。一体何を言い出すのだろう。

「天界に、ルナの事を好きな女天使が居るの。名前はジュディア」

 前に少し聞いた事がある。ルナさんの幼馴染で、今も友達。でも、ルナさんは私を選んだ。何が問題なの? 私は息を呑んで続きをじっと待つ。

「思い込みが激しい天使だから、気を付けてね。って言っても、ルナは二百年人間界に居るし、ジュディアは天界に居る。だから、私の杞憂に過ぎないんだけどねー」

 杞憂……、だろうか? 私がジュディアさんの立場だったら、心配で仕方無いと思う。如何なる方法を使ってでも、会いに行くのでは無いか。

 リバレスさんにお礼を言い、暫くするとルナさんが帰って来た。雨に濡れて。何処と無く寂しそうな表情。私は彼を、何も言わず抱き締めて背中を擦る。

 同じベッドで眠りに就く前、何度もキスをした。私は、ルナさんが眠るまでずっと、顔を見詰めていた。離さない。

「ドンドンドン……!」

 誰かが激しくドアを叩いている。時刻はまだ午前五時だけど、私達三人は飛び起きた。リバレスさんが指輪に変化して、ルナさんは走ってドアを開ける。

「ルナリートさん、大変です! 魔物が甲板に」

 魔物? ルナさんは頷き、剣を持った。私も手伝おうと、荷物を探る。しかし、私の手をルナさんが止めた。

「二人は此処に居るんだ。リバレス、魔がこの部屋まで来たらフィーネを守ってくれ!」

 テーブルの上のリバレスさんが光る。了解したという意味だろう。私は此処を離れる訳にはいかない。足手纏いになる。

「ルナさん、気を付けて下さいね!」

「大丈夫、すぐ戻って来るよ。約束する」

 ルナさんはそう言って微笑んだ。少しホッとする。でも、まだ不安で鼓動が激しい。

 

 彼が部屋を出て、五分が経過した。居ても立ってもいられない! 私はリバレスさんにお願いして、甲板が見える所まで行く許可を貰った。リバレスさんは、私の右手中指の指輪になってくれている。

 通路を歩き、甲板への扉が見えた。扉の硝子越しに、甲板が見える。

「ルナさんっ!」

「(声を出しちゃダメ!)」

 リバレスさんが私の指を締め付ける。ルナさんに、私達の姿を見られてはいけない。心配を掛けるから。でも、今ルナさんは危機に陥っている! 全身が真っ黒な鱗で覆われた、尾を持つ魔物に羽交い絞めにされているのだ。

 槍のような尾が、ルナさんの首に突き付けられてる! 危ない! 尾がしなって、ルナさんの顔に直撃しそう! あ、何とか体を捩(よじ)って避けてくれた。良かった。でも、危ないのに変わりは無い。私が走り出すと、リバレスさんが元の姿に戻った。彼女もルナさんを助けるつもりだ。

 私が甲板への扉に手を掛けたその時、予期しない事が起きた。魔物だけが、氷付けになったのだ。氷結した魔物が粉々に砕け散る。一体誰が?

 ぞくっ……。

 凄まじい「敵意」を感じた。魔物の殺気とは別の。「リウォルの浜辺で感じたもの」と同じだ。私はその「敵意」と対峙する事になるかも知れないわ。

 怪我をした船員を、ルナさんは医務室まで運んだ。その後朝食、昼食、夕食時にルナさんの様子を伺っていたけど、やっぱり彼は上の空だった。敵意に心当たりがあるのだろう。

 リバレスさんが眠った後、私はルナさんの耳に囁く。

「ルナさん、一体何があったんですか? 朝から様子が変ですよ」

 部屋の明かりを消しているので、彼の表情をはっきりとは読み取れない。でも、目を見開いたのは解った。

「そうか……。フィーネは鋭いな」

「ずっと考え事をしてるみたいで、心配なんです」

 束の間の逡巡(しゅんじゅん)。しかし、ルナさんは口を開いた。

「目に見えない、『敵』が恐ろしかったんだ……。でも、私は何があっても君を守る」

「リウォルの浜辺で感じた、恐ろしい『敵意』の事ですよね?」

 ルナさんは言葉に詰まった。図星なのだ。

「そうだ。でも心配は要らない。私達の想いは、誰にも邪魔をさせないから」

 私はルナさんの胸に、ギュッと抱き寄せられた。此処に居ると、安心する。あなたの鼓動が聞こえるから。あなたが生きているのを実感出来るから。

 少し泣いた。「永遠」に、此処に居られる訳では無いと思ってしまったから。

 でも、あなたは私が眠るまで、口付けて、髪を撫でてくれた。お休みなさい、私の望みは目が覚めても、あなたが隣に居てくれる事だけです。

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