第十一節 死毒
ミルドを出た翌朝、三人は「レニーの街」に着いた。ミルドからは東に三百km、多雨で作物が多く獲れる事で知られ、アトン地区の食糧生産の五割を担っている。その為、魔には要所と見做(みな)され、幾度と無く攻撃を受けて来た。最近、レニーに妙な噂が立っている。ある作物を食べると「痩せ細り、死ぬ」と。
午前八時、二十m先も見えない濃霧の中、三人は街へ降り立った。
異様に静かだ。街の入り口で見渡して見るが、人影は無い。街に入り、暫く歩いていると、ようやく一人の中年の男に出会った。樽(たる)の上に座り、酩酊(めいてい)している。
「若いの……、悪い事は言わん。直ぐに立ち去るんだ。この街は……、呪われている!」
呂律が回っていない。だが、確かに「呪われている」と言った。
「何故だ? 魔物に襲われているとでも言うのか?」
「……違う。もっと恐ろしい事だ。病……、死の病に冒されているのだ!」
「病気? どんな病気なんですか!」
フィーネが男を揺さぶる。必死の形相だ。男は、彼女の手を振り払い叫ぶ。
「皆、痩せ細り、激痛の中……、死ぬんだ!」
男は急に笑い出し、やがて眠ってしまった。この街も酷い状況のようだ。
「どうするんだ?」
黙って何かを思案しているフィーネに問い掛けた。
「お母さんと症状が同じです! お母さんと村の人を殺した魔物が、この街の何処かにいる……。私、捜して来ます!」
「捜す? 待てよ、フィーネ! 危険だ!」
私が思考している間に、フィーネは霧の中に消えていた。
「(全く……、これだから人間はー)」
幾ら何でも、フィーネは魔の懐に飛び込む程馬鹿じゃない。彼女の無鉄砲さは後で咎(とが)めるとして、私達が今すべき事は情報収集だ。酒場に向かうか。其処には情報が集まるとフィーネに聞いた。
濃霧が霧雨に変わる中、木造の酒場を見付けた。木は長年の風雨で老朽化している。だがみすぼらしい感じはしない。「カランカラン」、扉を開くと乾いた鈴の音が響いた。
「いらっしゃい……」
ミルドの食糧品店の店主と違って、気弱な声を発する若い男の店主。どうしたものか。
「この店に客は居ないのか?」
「そうだよ、街が大変だからね。今日は、あんたが最初の客だ」
「街の状況を詳しく聞きたい」
私は店主に数枚の銀貨を渡す。情報料だ。
「毎度、飲み物は何にする?」
飲み物? 棚に並んでいるガラス瓶に入った液体の事か。どうやら酒のようだが……
「(一番高い酒にしといたらー? 安物は、天使の口には合わないわよー)」
ナイスフォローだ、リバレス。
「じゃあ、此処で一番高級で美味い酒を頼むよ」
「了解。『恵みの雨』っていうこの土地原産の白ワインだよ。最高の味さ」
大層な名前だな。だが、恐る恐る啜(すす)ってみると、以外に美味だった。
「まぁ美味だが、アルコールが弱いな」
天界でたまに振舞われる酒は、アルコールが五割を占めている。
「お兄さん、酒に強いみたいだねぇ。久々の上客だ。もっと飲んでくれよ」
勧められるままに、グラス五杯分を飲み干す。まだまだ飲めるが、私は先を急ぐ。
「そろそろ、この街の状況について教えてくれ」
「そうだね。この街は、数ヶ月前から急に病気が流行り始めた。その病気に罹(かか)った者は、苦しみ抜いて確実に死ぬ。最初は、森で果実を収穫していた人、次にその家族、最後は果実を食べた人が病気になった。僕は病気じゃ無いけど、いつ罹っても可笑(おか)しく無い」
病気が空気感染や接触感染なら、この男は無事では無いだろう。感染源は恐らく、森で収穫された果実。ならばフィーネの言う通り、魔が森に毒を撒いたと考えるのが自然だ。
「森は何処にある?」
「街のすぐ南だよ。まさか……、行く気じゃないだろうね? 死ぬぞ!」
「心配要らない。訊いてみただけだ。ありがとう」
私は更に銀貨を弾んでから、店を後にした。
「(敵は手強そうねー)」
リバレスの不安そうな声。彼女は、相手がどんな奴か推測出来ている。
「(ああ。この街の人間に見付かっていない事を考えると、狡賢(ずるがしこ)く残忍な奴だろう)」
「(じゃあ、わたしも戦った方がいい?)」
「(最悪の場合は頼む。)」
その時だった。耳に突き刺さる金切り声が響いたのは。
「た……、助けてくれぇ!」
只事じゃ無さそうだ。私は声のする方に駆ける。街と森の境界にその男は倒れていた。一足先に着いたらしい、フィーネが男を介抱している。若い男の全身には、「ロープで巻かれたような」傷があった。土気色の顔。そして、病的に痩せ細った体……
「どうしたんだ?」
「う、うぅ……。俺は、俺は見たんだ! 森の奥で魔物が毒をばら撒くのを」
「もう大丈夫だ」
一時凌ぎだが、私は男を神術で眠らせる。
「この街の様子は、母が亡くなった時と全く同じです!」
フィーネが顔を覆いながら叫ぶ。彼女を咎める気は失せた。私がすべき事は一つ。
「今から魔を倒しに行く。この毒は、魔を倒せば消えるだろう。君は此処に居ろ」
私はフィーネの肩を叩き、森へと歩き出した。
「嫌です! お願いだから、私も連れて行って下さい! その魔物だけは許せない」
剣の柄を「ギュッ」と握り締めて、震えている。
「(何を言っても、多分、ううん、絶対ついて来るわよー。やれやれねー)」
「仕方無い……。だが、絶対に私から離れるなよ」
「はい、約束します」
彼女の目は怒りに燃えている。周りが何も見えない程に。