第三節 知友

「(眠い……、眩しいなー)」

 やっぱり朝は苦手。薄目を開けると、ルナは既に学校へ行く準備を終えていた。あぁ、もう直ぐ起こされる。わたしがルナより早く起きたのは、今までの人生で数回しか無い。

 ルナは、窓辺に置かれたルナ草に水をやっている。満月の夜には白い花を、蒼い月の日には蒼い花を、そしてレッドムーン(紅月(こうげつ))の日には赤い花を咲かせる事から、その草はルナ草と呼ばれるようになった。ちなみに、このルナ草には、「フリーダム(自由)」っていう名前が付けられている。ルナらしいわ。

 朝陽に照らされる、ルナの赤い髪と、背中に畳まれた純白の翼、そして右手中指に光る「天使の指輪」が眩しい。天界で赤い髪を持つ天使はルナしかいない。その事を彼は気にしている。ううん、それだけじゃない。ルナは、記憶力も、運動能力も他の天使と全く違う。およそ「力」と名のつくもので、ルナが他の天使に負けるものは無い。彼の能力は文字通り「桁外れ」なのだ。

 ルナがチラチラこっちを見ている。そろそろ諦めて起きよう。

「おはよー。ルナは相変わらず早いのねー」

 彼は時計を指差した。うわっ、もう八時!

「早くしないと、ジュディアが迎えにくるぞ」

 その言葉の直後、本当にジュディアの呼ぶ声が聞こえた。

「ルナ! 早くしないと遅刻するわよ」

「解(わか)ってる! 一分待ってくれ!」

 わたしを注視するルナ。言いたい事は解ってるわ。

「一分で支度をしろと……。ルナはわたしに、なかなか酷な要求をするわねー」

「あと五十五秒……」

 そう言われたリバレスは、大急ぎで自分専用の、直径三十cm程の丸鏡に全身を映し、着替え始めた。

「ルナ! あっち向いてて!」 

「はいはい」

 顔を洗い、髪を梳(と)かし、いつものシルバーバレッタを留めた彼女は、ルナの肩に飛び乗った。

「はぁはぁ……。どう間に合ったでしょー?」

「ああ、何とかな。行くぞ」

 二人は部屋を出て、ジュディアと合流する。

「相変わらずね」

 ジュディアはルナに微笑んだ。ルナに会った彼女は嬉しそうで、今にも腕を組み出しそうな勢いだ。ルナと彼女は、千百年前からの付き合いだ。彼女は、現在千九百四十四歳。ルナより、百十八年ばかり年上である。

 当時、二人には友達がいなかった。ルナは、その能力故に周りの天使に恐れられ、ジュディアは、両親が高い地位にいた為、他の親が彼女に怪我をさせたりする事を恐れて遊ばせなかったからだ。二人は自然に友達となり、その関係は今も続いている。

「早く行きましょ。今日はテストの結果発表よ」

「そうか。そう言えばそうだったな」

「ルナは当然一位でしょうねぇ。私も一度でいいから一位の座を奪ってみたいわ。でも、相手がルナじゃ、仕方ないわね」

 ジュディアの眼差しには、憧憬(どうけい)と少しの皮肉が混在している。わたしは正直、ジュディアを怖いと思う事がある。特に彼女の、自分より能力が低い者を見下す視線はゾッとする。彼女は容姿にも学業においても、絶対の自信を持っているからだろう。

 わたし達は、いつも通り取り留めの無い話をしながら、二階の教室へ向かう。その途中、一人の天使が駆け寄ってきた。精悍(せいかん)な顔で、体に贅肉(ぜいにく)は殆ど無く、鋼のような筋肉で覆われている彼の名はセルファス。千八百六十六歳だ。

「あぁ……。今日はテストの発表だぜ! 一年の内で、これ程不幸なことはねーよ!」

 諦めに満ちた痛々しい声。しかもその声は大きいので、周りの天使の注目を浴びる。

「相変わらず大袈裟(おおげさ)だな。そんなにテストの結果が思わしくないなら、ちゃんと勉強しろよ」

 ルナがセルファスの肩を叩いて励ます。でも、セルファスの表情は曇ったままだ。

「ルナはちっともわかっちゃいねぇ! 俺の心の痛み、勉強の辛さを!」

「もー……。セルファスは勉強になるといつもそれなんだからー」

 わたしは苦笑しながら両手をひらひらさせた。そして、ジュディアが氷のように冷たい声でセルファスに言う。

「あなたは、少しぐらい懲りて反省すべきね」

しかし、彼女の声を聞いた途端、彼の表情が明るく変化した。

「おぉ! ジュディアがそう言うんなら反省するぜ。よし、次のテストはルナに勝つ!」

 何て解り易い天使なの。わたしは再び苦笑した。その心構えが次のテストまで続いてくれたらいいけど。

「まぁ、私に勝つのもいいが今日のテスト発表を乗り越えてからだな」

 ルナが意地悪に微笑んでいる。ルナがそんな事を言うのは仲の良い証拠。

「オーマイガッ!」

 全身を震わせて、大袈裟に悲しみを表現する。本当、見てて飽きない。

 セルファスは、私達に続いてトボトボと歩き始めたけど、立ち直りも早かった。

「ルナ、俺は過去なんて気にしねぇ。前進あるのみだ! 次のテストを見てろよ!」

「解った。楽しみにしとくよ」

 今度は意気揚々と私達の前を歩き始めたのだった。

 二階には、教室が東西南北に五十ずつある。彼等は三人共、高等学部なので、北の教室である。学校は、初等学部・高等学部・学究院・天学院に分かれており、千歳の入学時から五百年毎に上の学校に移るのだ。高等学部は、千五百歳から二千歳までの天使が通う学校である。

 神殿は一辺が五kmの建造物であり、中央が吹き抜けである。吹き抜け部分は空中回廊で繋がっており、ルナ達は三階から二階に降りる時は階段で、其処(そこ)からは空中回廊で教室まで移動する。空中回廊は、随所に「転送」の神術が施されており、天使を特定の地点まで転送する。そのお陰で、神殿の南から北までの所要時間は約五分で済む。

 三人は、いつもの教室の前に辿り着いた。人だかりが出来ている。教室の前に、テストの結果が掲示されているからだ。

 リバレスはルナの肩を離れて、掲示板を見に行った。すぐさま彼女は全員の名前を見付けて帰って来る。彼女がこんなに気楽なのは、彼女はテストを免除されているからだ。リバレスは、ルナと共に授業を聞いているだけである。

「みんな、心の準備はいい?」

 場の空気が張り詰めるのを感じる。本当に、自分が天翼獣で良かったと思う。皆が頷くのを確認してから、わたしは発表を始めた。

「まずルナからねー。ルナは八百人中、一位! 千点満点中、九百九十九点ね」

 ルナは無表情で頷いた。神官を目指すルナは、一位以外許されないし、ルナが誰かに負ける所をわたしは想像出来ない。

「ジュディアは三位で九百五十五点!」

 肩を落とすジュディア。この前は二位だったから仕方無い。

「セルファスはー……、言っていいの?」

「大丈夫だ、覚悟は出来てるぜ!」

「セルファスは、八百位。百四十三点よー」

 セルファスはわたしの言葉の直後、前のめりに倒れた……

 彼を担ぐルナ。教室へ入ろうとしたその時、後ろから声が響く。

「ははは、みなさんご機嫌よう。ジュディアさん、三位への転落……、残念です。そして、セルファス君は相変わらずですねぇ!」

 満面の笑みを浮かべての嫌味。細身で病的な程色白く、黒縁眼鏡をかけた、男にしては長髪の彼はノレッジ。彼の成績は二位で九百六十八点だ。

「ノレッジ、てめぇ! テスト発表の日だけは強気になりやがって! チキショー……」

 セルファスはルナから離れ、逃げるように教室に入った。それを見届けて、ノレッジはこちらに視線を移す。

「普段僕は目立たないんだから、この場くらいはいいでしょう? ルナリート君には、また完敗ですけど」

 彼は溜息を吐きながら、眼鏡を右手人差し指で押し上げた。

「私がこんな奴に負けるなんて……。ルナなら許せるけど、ノレッジは許せない!」

 彼女はノレッジをキッと睨み付け、そう叫んだ。

「こんな奴とは失敬な。僕が君に勝ったのはね、実力ですよ! じ・つ・りょ・く! いずれは、ルナリート君にも勝ちますけどね」

「くっ……。覚えてなさいよ! 次は絶対に……、絶対に負けないから!」

 ジュディアは、そう捨て台詞を吐いて、悔しそうに教室の中へと消えていった。

 わたしは、この険悪なムードを打破する為に、ルナに耳打ちする。

「放っといていいのー?」

「一位の私が何を言っても、余り説得力が無いだろ?」

 確かにそうだ。火に油を注ぎかねない。でも、ルナはゆっくりとノレッジに近付いた。

「ノレッジ、言い過ぎだぞ」

「確かに今回は僕の言い過ぎかもしれませんね。でも、年に一度くらいは良いじゃないですか? 僕の取り柄はテストなんだから」

 悪びれた様子もなく反論するノレッジ。ルナは、そんな彼を睨む。

「自慢するのは構わない。でも、相手に不快感を与えるのは駄目だ。私達は友達だろ」

「……そうですね。後で謝っておきます」

「よし、そろそろ授業が始まるし、教室に入ろう」

 ノレッジは理知的な天使なんだけど、たまに言う嫌味がねー。

 授業は、午前九時から、午後八時まである。一日に十教科の授業があり、昼以外に休憩は無い。教科は、「神学」、「歴史学」、「生活学」、「神術学」、「聖歌学」、「言語学」、「法学」、「統治学」、「兵法学」、「戦闘実技」で科目は高等学部に在学中は同じだ。

 全ての授業は、「神」への忠誠心を養う事が最重要課題であり、次に重要視されるのが思想の画一化である。思想の画一化には、生活方法や思考方法までもが含まれる。

 ルナはこれらの授業を嫌う。現存するかどうかも怪しい神を信仰し、思想までもが統一される教えは、生まれ落ちた一つの生命として求める自由に反しているからだ。

 理由無く学校を休めば、神官に処刑される。ルナが学校に行くのは、自分が神官になる為の手段に過ぎないのだ。自由を拒絶される世界を変える為の。

目次

第四節