【第七節 Luna

 

 私は、何処に居る?

 まだ存在しているのか?

 

 最後に見たのは……シェ・ファの最後と、自分自身の消滅の筈だが。

 

 この意識は何だ?

 何故意識を保つ事が出来る?

 

 私は意識を自分自身に向けてみた。

 どうやら、私はまだ精神体の形状を保ったままのようだ。だが、指先も爪先も動かない。それだけでなく、全身のエネルギーが非常に薄い……。シェ・ファとの戦闘時に比べて数千〜数万倍に希釈されていると言っても過言では無い。

 

 目は開くだろうか?

 開いたとして、周りを認識出来るだろうか?

 

 私はゆっくりと瞼を開けた。

 

「お父さんっ!」

 リルフィ……、無事で良かった。

 不安と心配に染められた顔。そして、暫しの別れを受け入れようとする哀しみの顔……

 何の躊躇いも無く、彼女の瞳からは涙が溢れている。かつてのリバレスが泣き虫だったように。

 私は起き上がり、彼女の頭を撫でようとした。だが、触れる事は出来ず透過してしまう……

 彼女が私に抱き付こうとしても、それは同じだった。私は、弱っているとは言え精神体だ。

「リルフィ、ありがとう。でも私はもうすぐ行かなければならないんだ」

 私は彼女を胸に抱き留めたい渇望を押し殺し、彼女の涙すら拭えない今の状態に歯軋りが止まらない。

 

 だが、もう時間は残り少ない。

 

 私は『最後の責務』の遂行について考え始めた。それと同時に、現在の状況を冷静に分析する。

 どうやら、此処はミルドの丘のようだ。リルフィが、祈りの力と自分自身の力を私に注ぎ込んでいる。私の形状を維持させる為に。

 今此処に居るのは、私とリルフィ。そして、少し離れた所にキュアが居る。キュアは、折れた剣(フィアレス)を抱き締めて嗚咽の声を漏らしている。この世界で話せるのは、これで最後になる事を彼女は知っているのだ。

 兄さんは私と同化し、ティファニィさんの『心』と共に、『時』を待っている。

 更に、私達を遠巻きに囲むようにしてジュディアとウィッシュ、数え切れない程の人間達が見える。

 何より驚きなのは、この人間界に獄界が同化している事だ。否、元の星の姿に戻ったと言うのが正しいだろう。

 

「……お母さんは?」

 リルフィの声に、私の思考は中断された。シェル……フィア。彼女は……

「リルフィ、ごめんね」

 シェルフィアの苦渋に満ちた声が響く。精神体の私から分裂するように、薄っすらと彼女が浮かび上がったのだ。

「お母さん、どうして!?」

 リルフィがシェルフィアに駆け寄る。が、彼女の手はもうシェルフィアに届かない。

 

「リルフィ、私達の大切な子供。そして……私達の為に犠牲になってくれたリバレスさんの生まれ変わり。貴方は、とっても良い子に育ってくれた。素直で優しくて、強い心を持った自慢の娘よ」

 

 シェルフィアの半透明の体が、リルフィを優しく包み込む。

 

「本当にごめんね。でも貴方は解ってると思う。ルナさんが、新しい魂界を創らなければならない事。そして……、私がルナさんと『共に行く』事を」

 シェルフィアは最初から、新しい魂界へ私と行くつもりだった!?

 だから、シェ・ファとの戦闘中に自ら肉体を捨て精神体となったのか。私は、二人をこの世界に残し、一人で行くつもりだったのに!一体どういうつもりだ?

 

「解ってるけど嫌なの!大好きな二人と一緒に暮らせる幸せを知った今、一人だけでこの世界で生きるなんて!わたしだけが、二人の居ないこの世界に何度も何度も転生し続けるのよ。家族で再会出来るのは、お父さん(ルナ)が創る魂界で過ごす僅かな時間だけじゃないの!?」

 

 リルフィが悲痛な声を上げる。私は黙って、伏し目がちに彼女の声に耳を傾ける事しか出来ない。

 

「ルナさんも一人よ。新しい世界で一人ぼっち。魂界が安定するまで、誰とも会う事は無くたった一人で過ごさなければならないの。隣には誰も居ないわ。終わりの見えない孤独と重圧……。ルナさんが私に生きていて欲しいと望んでいたのは解ってる。生きる事が、どれだけの喜びと悲しみに溢れているかも知ってる。でもね、私は生きる事よりもルナさんの傍にいてあげたいと思った。ルナさんは、何でも一人で背負い込もうとするから。私はルナさんが唯一甘えられる場所になりたいの。リルフィ、貴方には生きていて欲しい。それが、親としての私達のエゴだとしても。何より、貴方の優しさと強さは、この世界に必要とされているわ」

 

 粉雪がキラキラ光りながら舞い落ちる。夜明け前の光と、沈みゆく満月の月光を浴びて……

 シェルフィアとリルフィの大きな瞳からは、涙が止め処なく零れ落ちている。私も、目の前が霞む。だが、私は涙を拭った。リルフィに伝えるべき言葉があるからだ。

 

「リルフィが望むなら、転生しなくても構わない。ずっと魂界に居ていい。でも、これだけは言わせて欲しいんだ。リルフィは、リバレスの頃から私達の幸せの為に生きてきた。自分の幸せを追求する事も無く……。生きる事は不幸な事ばかりじゃない。生きていたから、私はフィーネに、シェルフィアに会う事が出来た。だから、リルフィがリルフィで居る内は一生懸命生きて欲しい。その温かな心を自分自身に向けてあげて欲しいと思う」

 

 リルフィは俯き、口を一文字に結ぶ。涙を堪える。そして、力強く手の甲で涙を拭って顔を上げた。

 

「解った。弱気になるのは、わたしらしくないもんね。お父さんとお母さんがくれた命、大切にする。一生懸命生きるだけ生きたら、魂界でわたしを呼んでね。二人から貰った記憶も心も絶対に忘れない」

 

 私はリルフィを包んだ。家族三人、触れ合う事は出来なくとも、その想いは何も変わらないのだ。

 

「リルフィありがとう、約束する。私も永遠に忘れない。大好きだよ」

 

 私は彼女の瞳を見詰めた。彼女もまた、私を見詰め返す。私達の間でもう言葉は要らない。二人同時に頷いた後、私はシェルフィアに視線を合わせた。

 

「シェルフィア、君の向こう見ずな所を久々に思い出した。そして、君の私を想う一途な想いと優しさは、何を言っても変えられない事を私は誰より理解してる。新しい世界創りは大変だと思うけど、君が居れば何とかなると思う。ずっと……支えて欲しい。誰よりも愛してる」

 

 私の言葉を聞き、彼女は穏やかでいて力強い微笑みを浮かべる。

 

「うん、何があってもルナさんを助けていく。だから心配しないで。私も貴方を愛してるわ」

 

 彼女はそう言うと、粉雪のように姿を変え私の中に消えた。

 

朝陽が昇り始める。時間だ……

 

「(ルナリート、行こうか)」

「(ああ)」

 フィアレスが剣の形を止め、エネルギーの粒子となり私と同化する。その様子を、子供を抱き締めながら見守るキュア。

「(名前は決めてやったのか?)」

「(勿論だ。君が上手く魂界を創って、話をする余裕が出来たら教えてあげるよ)」

「(了解)」

 私は微笑んだ。全ての生命の為に、リルフィの為にも必ず成し遂げてやる。シェルフィアも傍に居る、一人じゃない。

 

巨大な光の翼、私はそれを出現させた。
果てしない長旅になるからだ。

『柔らかな光』を浴びながら、
『今を生きる』者と全ての魂の『心を受けて』、
私は『
Luna』へ。

 

 飛び立つ前に、私はこの星の皆へ最後のメッセージを送る。

 

「私は、Luna(月)に新たなる魂の世界を創る。死せる者には安らぎを与え、愛し合う者の間には新たなる生命の息吹を吹き込む為に。生きるには苦難が付き纏うだろう。だが、生きるからこそ輝きに満ちた喜びを享受する事が出来る。懸命に生を駆け抜けよ。愛する者と共に」

 

 私は地面を蹴った。その時、リルフィの声が響いた。元気に満ち溢れた声が。

 

「お父さん、お母さん行ってらっしゃい!」

 眼下に見える彼女に手を振り、私とシェルフィアが同時に声を発する。

「行ってきます!」

 

 どんどん地面が遠くなる。

 だが、全ての生命の祈りの声は途切れる事無く谺する。人間、元天使、魔、動物、植物……。希望に溢れた、感謝の祈り。

 雲を超え大気が無くなっても、まだ生命の声は止まらない。

 

 月がどんどん大きくなる。周りは果てしない宇宙空間。それはまるで、無限の黒い海に無数の光の粒を鏤めたかのようだ。その粒の一つが、惑星シェ・ファであり、月であり、S.U.Nなのだ。何と言う広大さ、私は眩暈を覚えた。そして、何の気無しに後ろを振り返る。すると……

 

「これが私達の星……。鮮麗でいて完璧な造形美だ。海の蒼と陸の翠の調和、輝く雪の白とS.U.Nに照らされていない部分の闇。この壮麗さは、周りのどの星とも一線を画している」

 私は驚嘆の吐息を漏らした。同時に、この星で生きた事への誇りで胸が一杯になった。

 

間も無くLunaに辿り着く。

 

生命の絶滅的危機は去った。
途方も無い犠牲を払って……

私のエネルギーとなった魂、それが再び完全な姿に戻るには想像を絶する時間がかかるだろう。

私(Luna)の中には、無数の記憶と心が散在している。
それを整理し、再びエネルギーを注がなければならないからだ。

 

たった一つの生命は脆くとも、
心を持ち愛する者と結束すれば何処までも強くなれる。

数千年、数万年、数億年の時が流れて、私の存在を忘れてしまったとしても、
その事だけは忘れないで欲しい。

 

シェ・ファ(惑星シェファ)は母として、
私(月)は父として皆を見守り続ける。

 

Lunaの中心にあるのは、『永遠の心』。
あらゆる永遠の心は何度でも、『
Luna』を訪れる。

死を恐れず、生に煌きを。

 

 

私は自分の形を変え、
精神エネルギーの膜となり月を覆った。

この時から月は青白く輝き始め、
Lunaと呼ばれる事となる。

 

 

−幻想小説ハートオブエタニティ−

 

−第二部 Luna

 

著作−焔火 紅

 

−完−

 

 

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