【第十ニ節 悲嘆と覚悟】 世界が揺れる。否、私の身体が揺さぶられているのだ。遠くで声が聞こえる。懐かしい声、私は一体…… 「起きて、ルナさん!」 間違えようも無い。シェルフィアだ。 「パパッ!」 リルフィ。二人とも、どうしてそんなに私を揺さぶるんだ?頭が痛い。意識が混濁して、さっきまで自分が何をしていたか思い出せない。 何か大切な事があった筈だ。思い出せ、意識を失う前に何があったか。頭が……割れそうだ。 フィアレスとの戦い。その後……白い女が現れた。存在……シェ・ファ! 圧倒的な力。私とフィアレスは女を止める事が出来なかった。彼女が私達に最後に言った言葉…… 「貴方達は最後です。今は眠っていて下さい」 私達は最後。眠るというのは気絶の事だろう。最後という言葉の意味、彼女の目的は生命を死へ追い遣る事ならば、殺される順序の事だろう。私達が「最後」であるなら、他の皆は!? 其処で、私は目を見開いた。此処は、聖域の一角のようだ。 「ルナさんっ!」 「パパ!」 最愛の妻と娘が私に縋り付く。母娘揃って目に涙を溜めている。こんな所まで、本当に良く似ているな。 「心配かけたな。二人共無事で良かった。他の皆は?」 私の言葉に、二人は首を振る。唯、嗚咽の声が漏れるだけだ。暫く私は二人を抱き締めながら背中を擦る。そして、リルフィが重い口を開いたのだった。 「リウォル、リナン、ミルドと連絡が取れないの!それだけじゃ無い、世界中から『転送』で助けを求める声が聞こえたわ。でも、その直後に声は消えたわ」 彼女はシェルフィアの目を見つめる。すると、シェルフィアも表情を歪めながら頷いた。 私は、俺は何て無力なんだ! 俺は、世界の全ての街と重要人物に向けて『転送』で意識を送った。反応があったのは、ほぼ半数。という事は、最悪人間の半分が既に殺されているという事か!?そんな馬鹿げた事が赦される筈が無い! 「シェルフィア、リルフィは此処で待ってるんだ。俺は、人間界と獄界の様子を見てくる」 止められるのは解っていたが、一人で行くつもりだ。だが、俺を止めたのは別の人物だった。 「獄界に行く必要は無いよ、ルナリート。僕と、キュアが戻るからね。恐らく『奴』は今、獄界に居る」 足元が覚束無い二人は、そう言って私達に背を向けた。私達に警戒はしていない。今は、ロードとサタン、人間と魔で啀み合っている場合で無い事を互いに理解しているからだ。 その時、フィアレスが私以外の誰にも悟られぬように意識を転送して来た。 「(僕が獄界から戻る迄に、『覚悟』してくれ。他に『方法』が思い浮かばない。)」 「(……解った。)」 俺は瞼をギュッと閉じた。まさか、こんな『時』が来ようとは。 フィアレス達が去り、家族三人が無言の静寂に包まれた。その静寂も、束の間で破られる。 「(ルナ、シェルフィア!お願い、フィグリルに来て!)」 ジュディアの声、彼女は無事だったか。だが、彼女の声は金切り声に近く、切迫した状況に置かれているのは間違い無い。 「ルナさん、行きましょう!」 俺は頷き、自分達をフィグリルに『転送』させた。 〜遺された言葉〜 フィグリルに着いた瞬間、泣き叫ぶ声が俺達を迎えた。 「うわぁぁ!セルファスが、セルファスが!」 ジュディアがシェルフィアに縋り付く。ウィッシュも泣き崩れていたので、リルフィが走り寄った。 ミルドでは地下避難施設に居た者以外は殺されたのだ。勿論セルファスも! 突然の不幸に皆、途方に暮れて泣く事しか出来ない。俺は、頬を涙が伝うのを感じたと同時に、叫んだ。 「うおぉぉ!」 シェ・ファに対する憎悪。不甲斐ない自分自身に対する怒り。そして、心がグチャグチャに掻き混ぜられるような痛み。俺は、両掌から血が滴る程に拳を握った。そして、冷静で無いのも承知の上で言った。 「すぐ戻る!何かあったら、『転送』で伝えてくれ!」 「待って!」 俺はシェルフィアの静止も聞かず、フィグリルを飛び出した。 ミルドを見るのは恐ろしい。全ての人間が殺されたと聞いたからだ。俺は、まずリナンに向かった。 街に人影は無い。建物自体は、ついさっきまで使われていた形跡があるというのに。暖炉の火で暖かい部屋、テーブルの上に置かれた食器、床に散乱した剣と本。 だが、街を歩いて俺は悟った。兵の詰め所、家の中でまで見られる白砂。これが、住人の死骸だと……。大声で街を歩いても返事が無い。風によって舞い上がる白砂と、冬の冷たい空気しかこの街には残っていないのだ。さっきまで、此処にいた人々はもうこの世界には存在しない。 俺は居た堪れない気持ちになり、リウォルへと向かった。 何処だ、此処は!?何も無い焼け野原に薄く積もる粉雪。城も街も、俺の知る何もかもが此処から失われている!酷過ぎる。シェ・ファはその気になれば、この星から生命の痕跡さえも消す事が可能なのだ。 焼け野原を見ていると、此処に街が存在していた事さえも疑わしくなる。だが、大地の上で煌く小さな物体を見つけて俺は走り寄った。これは……日記。 「僕は、ノレッジ・ワンダラーズ。この日記には、人間界に来てからの出来事を書く事にした」 「今日、僕は初めて人間と言葉を交わした。ルナリート君の言う通り、彼等は僕達と同じだ。姿も、知能にも相違は無い。魂は平等なのだから、当然だけれど驚きだった」 「今日から僕は、リウォルの街を治める事になった。僕には頼りない所があって不安だけど頑張ろう!」 「本当に、皆の学問に対する意欲には舌を巻く。彼等のお陰でこの世界の技術進歩は成り立っているのだ」 「この街に、レンダーという少女がいる。彼女は生まれてから今迄、家から殆ど出た事が無いらしい。僕が力になれる事があれば、何でもしようと決めた」 「レンダーは20歳になった。喜ばしい事だ。でも、彼女の健康状態は決して良いとは言えない。僕は毎晩祈っている。彼女が元気で幸せな人生を送れる事を」 「彼女の健康状態は極めて悪い。僕は、仕事の傍ら一人で病気の研究も始めた」 「僕は彼女が好きだ。彼女は、苦しい境遇の中でも懸命に生きている。死なないで欲しい。出来る事ならば、僕が代わってあげたい」 「レンダーが吐血したらしい。心配で他の事が何も考えられない」 「彼女を救う事が出来た!禁断神術の反動で時折、体が痛むけど、この幸せに較べればどうって事は無い!」 「毎日が幸せだ。この幸せの他に、僕は欲しいものなど何も無い」 「戦いが始まる。レンダーと結婚するのは、先延ばしだ。でも婚約指輪は既に用意してある」 「一旦、日記は中断する。戦いの準備が忙しいからだ。次に日記を書くのは、戦いが終わり世界に平和が訪れた時だ。言い換えれば、僕とレンダーの結婚記念日でもある」 涙で文字が霞んで見える。ノレッジも、レンダーも死んだ。苦労してようやく掴んだ幸せだったのに!俺は、この世界を守ると誓いながら大切な人々を守れていないじゃないか! 粉雪の上に座り込む。何がエファロードだ。何が神だ。俺は無力な『一人』じゃないか。 〜覚悟〜 どれぐらい呆然としていたのだろう。ふと我に返ると、俺はミルドの上空にいた。意を決してミルドの街の様子を見る。 「酷過ぎる!」 俺は、自分の瞳に映った光景が信じられず街に降り立った。遠目で見たものが偽りだと思い込みたかったからだ。だが、現実は現実として無感情に目に飛び込んでくる。厳然たる事実。 リナンでは人々は白い灰、リウォルは街そのものの完全なる消滅、そして此処では人々は『白い焼死体』だ! リナンとリウォルでは、原型を留めた死者はいなかった。だが、此処では死者の全てが白く焦げて街を埋め尽くしている。 涙が溢れ、憎しみの炎が自身を焼き尽くそうとしている。 しかし、突如冷たい風が俺の中を吹き抜けた。平和な日常を余りにも逸脱した目の前の凄惨な光景が、逆に俺を冷静にさせたのだ。否、『覚悟』が出来たと言う方が正しいだろう。覚悟が出来た者は冷静でいられる。この先、『私』が『俺』になる事は無いだろう。 今はまずセルファスの下へ行かなければ。 ミルドの丘、約束の場所。其処でセルファスは生き絶えていた。私がかつて堕天した場所から育った大樹の根元で、彼は安らかな微笑みを浮かべて眠るように。だが手には、刃先が溶けて崩れた聖剣が握られており、最期まで戦った事が明白だった。胸を貫かれ、白い彫像のような姿になった彼を、私はそっと抱き起こす。 幼い頃から共に育った親友。毎日学校で勉強に行った事、夜中に抜け出して遊んだ事、人間界での日々……。それらが胸を掠める。私はたった一日でその二人を失った。心は冷静なのに、涙が止め処なく頬を伝う。これ程涙を流したのは、フィーネを失って以来だ。 私は彼の手を取り、『蘇生』を試みる。だが、彼の魂は既に此処には無く手の施しようが無かった。 「(セルファス、ノレッジ、皆、本当に済まない。だが、約束する。これ以上の犠牲は出さない。『覚悟』が出来たからだ。)」 シェ・ファが再来する前に、セルファスと街の人々を埋葬しなければならない。そう決意した時だった。 「セルファス!」 「パパぁぁ!」 ジュディアとウィッシュが『転送』によって現れ、セルファスの亡骸に縋り付く。 「ルナさん、どうして一人で!」 続いて、シェルフィアが私を糾弾する声。だが、彼女は言葉を止めた。私が感情の濁流を胸に収め、悲壮な覚悟を纏っている事に気付いたからだ。 「もう一度約束して……。絶対に離れないって。私と、リルフィを置いて行かないで」 リルフィも目に涙を浮かべて頷く。私は…… 「解った。心配しなくても大丈夫だ」 二人をギュッと抱き締める。この温かさを感じる度に、私は至上の幸福に包まれる。幾ら触れ合って、抱き締めても足りない程に愛しい。フィーネの魂を受け継いだシェルフィア、そしてリルフィ。彼女達と共に生きているという事が、私にとってどれだけ大切か。彼女達がいない世界など私には無意味に等しい。 傲慢かもしれないが彼女達には生きていて欲しい。ママであるシェルフィア、最愛の一人娘リルフィ。例え私を失ったとしても。 私は、愛する人が幸せに生きてくれるならば、自らの命すら惜しくは無い。 それが『覚悟』だ。この覚悟は今に始まったものでは無い。フィーネを獄界に救いに行く時も、自分の身を案じはしなかった。シェルフィア、リルフィの為ならば喜んで身を差し出せると、常日頃思っていた。 だが、この『覚悟』は『思い』では無い、『決定』だ。覚悟が現実になる。 シェルフィア、リルフィが私の胸で肩を震わせている。 ごめん、私はたった一度約束を破る。 粉雪が、鎮魂歌を歌っているかのようにミルドを舞う。ほんの数時間で、半分の人間が消えた。シェ・ファを放置すれば、少なくとも今日中には全ての生命が消えるだろう。 私はそれを止める。自分の命と引き換えに。 此処は約束の場所。永遠の約束があるから肉体が死んでも、何度でも巡り会える。魂は永遠に君と共に。 悲しまないで。私は君の元へ必ず帰るから…… | |
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