〜思い出の街からの船出〜 翌日、長期間滞在していた宿の主人に惜しまれながらも、別れを告げて私達は街長の屋敷へと向かっていた。勿論、これには訳がある。さっき宿の主人に、この街を出る前に街長の家に寄って欲しいと頼まれたからだ。何か、私達に話しておきたい情報があるらしい。そして、街外れにあるなかなかの豪邸に到着した。門は鉄で出来ており、獅子の彫刻がされている。庭は30m四方ぐらいあり、芝生が手入れされていた。私達は、家の扉をノックした。 「お待ちしておりました。どうぞご案内いたします」 この家の使用人らしい礼儀の正しい女性に連れられて、街長の部屋まで案内された。 「どうぞ、お掛け下さい」 私とフィーネは、言われるままに柔らかいソファに腰掛けた。部屋には多数の絵画と、様々な彫像がある。この街は芸術性にも富んでいるな。 「この度は本当に有難うございました!言葉では言い表せない程に、街の人間共々感謝しております!」 街長はソファの前にあるテーブルに頭が付くぐらいに、深い礼をした。本当に、姿勢の低い街長だ。きっと、この長は街の人々と同じ目線でこの街を統治しているんだろう。なかなか出来た人間だ。 「私は、当然の事をしただけだよ。それより、頭を上げてくれ」 私は、長にはもう少し堂々として欲しいと思った。 「そんなに謙虚になさらなくても!とにかく有難うございました!」 その言葉の後、使用人が温かい紅茶を持ってきた。私はそれを啜りながら、話を本題へと移していく事にした。 「ところで、私達に教えたい情報とは?」 私は少し身を乗り出してそう言った。街長が、とっておきの情報だと言わんばかりに笑みを浮かべる。 「はい、あなた方に是非一度足を運んで貰いたい場所があるのです。心配なさらなくとも、魔物の巣窟ではありません。偉大なる神官のいるフィグリルの街です。この街の神官は、人智を超えた力で人々に救いをもたらしているという話です。一説では、数百年以上も前から生きているという事……もしかしたら、ルナリートさんに通ずるものがあるかもしれません。貴方は、この街に救いをもたらしてくれましたから」 そんな者がこの世界にいるのか……それは驚きだな。神官と言われるといい思い出が無いのだが、一度会ってみるのもいいだろう。恐らく、特殊な力を持った人間だと思う……魂は人間も天使も同じなのだから…… 「ルナさん!行ってみましょうよ!きっと、私達を助けてくれますよ!」 フィーネが何だか胸を弾ませている様子だ。魔の討伐には私だけじゃ不満なのか?と言いかけて躊躇った。 「(ルナー、顔がちょっと恐いわよー!ルナと私だけで魔と戦うよりも、その神官の力を借りたら少しは楽かもよー!)」 そこで、少し不機嫌になった私にリバレスが即座に言葉を挟んだ。本当に鋭い奴だ…… 「……そうだな。一度会ってみようか」 私は気を取り直してそう返答した。 「そうですか!それでは、フィグリルへの船を手配しておきますので正午過ぎに船着場へお越し下さい。それと」 長が、使用人に目で合図を送った。すると、純銀に宝飾された豪華な小箱を持ってきてテーブルの上に置いた。 「これをお受け取り下さい。この箱には、『シェファ』と呼ばれる宝石が入っております。ご存知の通り、シェファとは私達の暮らすこの星の名です。星の名を持つこの石は、世界に二つと無い貴重な石で、永遠に美しい虹色の光を放ち続けます。この宝石を、フィーネさんへ贈る指輪の石にでもしてあげて下さい」 その言葉の後に、長は小箱の蓋を開けた。すると、天界でも見たことの無いような美しい光を放つ宝石が現れた!恐らく、これはとてつもなく貴重な宝石なのだろう。流石に気が引けた。そして、冗談にしてもフィーネへの指輪とはまた気の早い事を…… 「流石に……そんな貴重な物は貰えないよ」 私はそう言って、箱の蓋を閉じて長に返した。少し惜しい気もするが。 「いいえ!私はリウォルの街の代表として、これを受け取って貰わなければならないのです!そして、貴方達の像を作るのです!」 急に、必死な形相で長が私の手を握った。本当に街の人の願いなんだろうと私は悟った。 「……わかった。頂くことにするよ。それでもし……この石がフィーネの指輪になったら、またこの街に来るから」 私はそう言ってから、自分で恥ずかしくなった。それは、私とフィーネは結婚するかもしれないと明言したのと同じだからだ。 「ルナさんっ!」 フィーネが、横から私の太腿を叩く。彼女は耳まで真っ赤になって俯いてしまった。 「(もー……二人ともいい加減にしてよねー!)」 リバレスの怒った声が頭に響いて、私達は我に返った。 「ハッハッハ!貴方達の結婚式は、是非この街でやらせて下さい!街中で、盛大に行わせて頂きますから!」 長も、その話に乗ってきてしばらく話に収集がつかなくなったが、またリバレスの厳しい一言で屋敷を出て船着場へと向かって行った。 時刻は、11時半。天気は晴天だ。海の香りと、潮騒が広がる船着場へと私達は到着した。空には、鳥が群れをなして飛んでいる。今日は、冬ながらも少し暖かかった。しかし、風が吹くと寒さが伝わってくる。きっと、フィーネ達人間はもっと寒さを感じているんだろう。そんな事を考えながら、私達が船に乗ると、数え切れない程の街の人々が見送りにやって来た。そこには、長の姿もある。 「さぁ、英雄もご乗船だし、お前ら出航だー!」 やけに威勢のいい船長の船に乗り、私達はリウォルの街を離れていった。人々が、私達に向かって大きく手を振る。 私とフィーネにとって、この街は沢山の思い出が詰まった街になった。また、人々もいい人間が多くて楽しい時間を過ごせた。そして、何よりこの街は活気に溢れている。この様子なら、街の傷跡もすぐに治る事だろう。 「ルナリートさん!この船は北東にあるフィグリルへの最短ルートを通らずに、南側から迂回して行きますんで宜しくっ!最短ルートでは、『死者の口』に近付くんで危ないんですよ!航行距離は、東に600km、北に400kmの合計1000km!明後日の夕方には到着予定なんでゆっくりお休みになって下さいよ!」 航行距離が今までで一番長いな……それでも、今回は乗組員がいるので安心だが。今回の船は規模が大きく、他の乗客も100人ぐらい乗っている。全長は25m程の中型船で、私達は一等客室に案内された。明後日まで過ごすのには申し分無い程、豪華な作りだ。本棚もあれば、テーブルも椅子もある。勿論照明も完備されていた。しかし……たった一つ問題があった。何故か、ベッドが一つしかない。 「ベッドが一つしか無いな……枕は二つあるのに?」 私は、その光景が異様に見えた。街長の手配ミスか何かだろうか? 「……ルナさんっ!これは、あの……結婚した二人が眠るダブルベッドですよ!」 フィーネがそのベッドを見て、恥ずかしそうに目を伏せた。 「……街長……余計な気を回して!仕方ない、別の部屋を借りよう」 流石に、このベッドは私達には早いと思った。一緒に眠るのは……全ての戦いが終わってからだ。私は、そう思う。 「ルナー!いいのー?せっかく、街の人が気を遣ってくれたんだから、別の部屋を借りるのは悪いんじゃないのー?」 元の姿に戻ったリバレスが、ニヤニヤ笑いながら私にそう言った。しかし、私はそんな言葉には惑わされない。 「……私が良くても、フィーネに悪いだろ?こういう事は大切にしないと駄目なんだ!」 私は少し顔を赤らめて怒ったような口調でリバレスに返答した。そして、部屋を出ようとすると…… 「……ルナさん、私はこの部屋でいいですよ」 驚いた事にドアノブに手をかけていた私へ、林檎よりも顔が赤いフィーネがそんな事を言った。まさか、彼女の口からそんな言葉が出ようとは!?私はしばらく言葉が出なかった。すると、フィーネが更に言葉を続ける。 「私は、ルナさんを信じてますから!」 成る程、そういう事か。私が、フィーネには何もしないという事を信じているんだ。それじゃあ、その期待には応えなければな。 「わかったよ、でも私は床の上で寝るからな」 それが精一杯の、私なりの努力だった。しかし…… 「ルナさんが床で眠るんなら、私も床で眠りますよ!ルナさんにだけ辛い思いはさせられませんから!」 フィーネが、驚く程強い口調でそう言ったので私は困った。 「(フィーネは恋人なんだし、一緒に眠りに就く位はいいんじゃないのー?わたしとルナだってよく一緒に眠ってたじゃない。)」 それもそうだ。唯、睡眠を共にするだけじゃないか。私の考えすぎか…… 「わかった。今日、明日はこのベッドでいいよ……でも、この次に同じベッドで眠るのは……戦いが終わってからだよ」 私は、内心照れながらもそう言って微笑んだ。すると、フィーネの顔も笑みに染まる。 「はいっ!」 この日は、海を見ながら昼食を食べ、3人でゆっくりしていた。そして、夜になって部屋に運ばれてきた豪華な夕食が終わると、あっという間に時刻は夜の10時位になっていた。すると、フィーネとリバレスが女どうしで話がしたいと言っていたので、私は止む無く一人で甲板に出てきた。空は……昼間の快晴とは違って、厚い雲に覆われていた。何だか少し海が時化ってきた気がする。 「明日で18日目か」 私は一人で呟いた。明日は、堕天してから人間界で過ごす18回目の日なんだ。天界での18日なんて、ほんの一瞬に過ぎないのに…… この人間界ではどれ程多くの事があった事か……でも、その全ての記憶にはフィーネがいる。丘で倒れてから目覚めた時も……魔と死闘を繰り広げた時も……海で死にかけた時も……そして、一人の女性を愛する事を知った。今まで味わった事の無いような温かい心に包まれた。……それは何と素晴らしい事か。天界は住むのには快適だが、自由を束縛された世界だった。人間界は、生きていくのに多少の苦労を伴うが、全てが自由な世界なんだ。私が求めていたものがこの世界にはある。 必ず、フィーネを幸せにする。 それが、例え天界の教えに背いていたとしても…… 私に『生きる本当の意味』を教えてくれたのは君だから…… 宝石のシェファで指輪を作ろう、それを私は君の指に通す…… それから一緒に暮らすんだ。戦いを終えた後になるけど。 私は、一人で暗い海を見ていた。すると、雨がパラパラ降り出したので船の中へと戻った。中に戻ると雨の勢いは増して、滝のような勢いになっていた。暗い海と激しい雨……船窓から見えるその光景は、何故か物悲しく思えた。全てを吸い込みそうな闇の海が、空が落とす無数の涙を受け止めているように見えたからだ。心が急に穴が開いたように寂しくなったので、私は急いで部屋に帰る事にした。 「お帰りなさい!」 そこには、いつもの笑顔を湛えたフィーネが待っていた。私の心が瞬時に満たされる。 「フィーネ!」 私はリバレスがいるのにも関わらず、フィーネを抱き締めた。 「どうしたんですか?私はここにいますよ」 フィーネが私の背中を優しく撫でてくれた。私にはもう……君がいないと駄目なんだ。 この晩、リバレスはソファの上で眠り……私とフィーネは同じ 二人して、寄り添って……どこにも行かないように……髪を撫でながらキスをして眠った。
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