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 螢華は、大学で音楽を専攻している。人間の心を癒す音楽を創る為だ。彼女は、音楽が人を救うと信じている。彼女自身も、二十二年の人生の中で何度も救われたからだ。学校でなかなか友達が出来ずに一人だった時も、人を好きになれずに悩んだ時も。

 専攻している音楽の講義とレッスンを終えた螢華は、早速図書館に向かった。図書館と言っても、紙の本は無い。電子化された本にアクセスする端末があるだけだ。この星に氷期が訪れた際、あらゆる書物は電子化され、再生紙に生まれ変わった。樹木が殆ど存在しない現在、紙は金と同等の貴重品である。

 図書館には五台の長机があり、それぞれに二十台の端末が等間隔に設置されている。端末間はセパレータで区切られ、最低限のプライバシーは保護される。端末は三台しか空いていなかった。螢華は、入り口から最も近い端末の前に設置された椅子に座り、端末の電源を入れた。

 早く起動して! 講義で見たような風景、それだけじゃ無い。夢に出て来るような風景が存在する事を確かめたいの。

 端末は数秒で起動し、螢華は端末のカメラを注視した。虹彩認証を経てログインが完了すると、ホログラムモニターとキーボードが目の前に浮き出て来た。彼女はキーボードを打ち込み、ブラウザを立ち上げて電子図鑑へのアクセスを開始する。

 それからたった数秒後の事だった。彼女の心が震えだしたのは。

 助手の悠陽さんが言ってた事は本当だった……。何て美しい世界なの。かつてこの国は緑に溢れ、鮮やかな花が無数に咲き誇っていたのね。

 螢華は、三百年前の森と花畑を見たのだ。夢のように色褪せてはいない、原色の自然を。彼女は次に、この星の当時の衛星写真を見た。

「凄い!」

 宇宙から見た、この星の余りの美しさに驚き、彼女は思わず声を上げていた。彼女は慌てて自分の口を塞いだが、既に周りの人間の視線を集めていた。

 図書館は八時に閉まる。後二時間か、それまで出来るだけ多くの植物を見よう。

 彼女はそう決めて、図鑑の最初から見ていったが、余りにも種類が多いので、見るのは有名な種子植物の花だけに絞る事にした。

 

 閉館十分前になり、図書館に居る学生は螢華だけになった。何気無く、キーボードを操作していた彼女の指が止まる。一覧表示されている花の一つに目を奪われたからだ。

 これってもしかして……

 螢華は、目を惹いた花を拡大表示する。その瞬間、彼女は仰け反り椅子から落ちそうになった。

 間違い無い、夢に出て来る花だ! 「向日葵」という名前だったのね。向日葵って、本当はこんなにも鮮やかな黄色なんだ。若い頃は太陽の光に向かって動き、花が咲く頃には、一様に、太陽が昇る方角を向いて動かないって書いてある。まるで、大学の中で陽溜まりを捜す私みたいだ。

 閉館寸前まで向日葵を見詰めた後、彼女は小さく書かれた補足説明を見付けた。

「向日葵をモチーフにした絵画で、もっとも有名なのは『向日葵の墓 迎居 緋月作』である」

 どんな絵なのだろう? 見たいけどもう閉館時間だし、植物図鑑のデータベースには登録されていない。帰りに、電子書店に寄って捜してみよう。

 螢華は足早に大学を出た。携帯端末で母に帰宅が遅くなる事を連絡し、彼女は空腹を我慢して書店へと歩き出す。
目次 第三章-4