15午前十時、飛行機は轟音を発しながら離陸した。到着予定時刻は午前十一時半である。螢華は飛行機に乗るのが初めてで、僅かな恐怖と大きな感動を覚えた。 離陸後、整備員がアクリル窓のブラインドを開けてくれてからは、螢華はずっと外を見詰めている。眼下の真っ白な大地、眩い太陽、僅かに青みがかった白い空、自分の目で見るそれらの一つ一つが彼女の心に焼き付く。 昔は青い空と海、緑の大地がこの星にあったらしい。でも、今この窓から見える景色も私は素晴らしいと思う。凍り付いた大地と海、それに繋がっている空を見ると、この星にあるものは全て、一続きなのだと実感する。ううん、この星さえも宇宙に繋がっている一つのものに過ぎないわ。 やがて、ブラインドが閉じられた。間も無く着陸だからだ。螢華は閉じられる瞬間まで、名残惜しそうに風景を眺め続けていた。 飛行機が凍り付いた滑走路に着陸する。逆噴射を行なうエンジン音と、ブレーキ音が重なり機内に谺する。着陸時の衝撃も相俟って、螢華は身震いをした。 機体が停止してから整備員は部屋を出て行った。それから数分後、扉越しに乗客や乗務員の話し声が聞こえた。様々な言語、年代の声が入り乱れている。螢華は扉を開けて乗客達を見たい衝動に駆られたが、父に迷惑を掛ける訳にはいかないので我慢した。 スノーモービルや車のエンジン音が、飛行機から遠ざかって行く。整備員室に聞こえる音は、何処からとも無く響くファンの音だけだった。 着陸してから二時間程が経過して、ようやく父が螢華を迎えに来た。それまでに彼女は食事を済ませ準備運動を行い、後は防寒具を着込んでスノーモービルに乗るだけの状態にしていた。 「螢華、お前が乗るスノーモービルは既に準備してある」 「ありがとう。行って来るね」 彼女は微笑み、断熱材が入った服を重ねて着る。父は黙って彼女の背中を叩いた。 飛行機の扉から滑走路に降りるチューブ状の階段を、螢華は一歩ずつ慎重に下った。そうしなければ、高揚する心を抑えられそうに無かったからだ。チューブを抜けると、目も開けられない程の光に、螢華は眩暈を覚えた。 唯、真っ白な世界が広がっている。 地底では絶対に見る事の出来ない、瞼を閉じても目が痛い程の光だ。 螢華は顔を覆うマスクとゴーグル、そして手袋を装着し、滑走路に置かれたスノーモービルに跨った。エンジンを始動し、タッチパネルで目的地を入力する。操縦は自動に設定し、画面上に現れたスタートボタンを押した。するとカウントダウンが始まり、スノーモービルのエンジン回転数が上がる。螢華は此方を見詰める父に手を振って、ハンドルをしっかりと握った。 午後二時、晴天の下螢華は出発した。 山を避けて行くので、目的地までは八十km程の距離があり、モニタには所要時間が二時間と表示されている。気温はマイナス二十二度だ。 うぅ……、寒い。防寒具も世界最高水準のものを借りたのに。そうか、風を受けているから体感気温は表示温度よりももっと低いのね。それにしても、マスク越しに呼吸してるのに、吸い込む空気が冷たくて針を飲み込んでいるみたいだ。 螢華はハンドルを握りながら、頭を下げた。そうすれば、フロントを覆うカウルが顔への風を遮ってくれるからである。 大分マシになったわ。これなら二時間ぐらい大丈夫。それにしても、本当に地上で人が暮らしていた時代があったのね…… 透明のカウル越しに見えていたのは、廃墟だった。倒壊した民家、半分だけ崩れているマンション、鉄骨が剥き出しになっている駅。いずれも凍り付いている。 凍ってから崩れたのか、それとも逆なのか、私には解らない。でも此処で人が生きていたのは、はっきり解る。そして、それが遠い昔だと言う事も。 螢華を乗せたスノーモービルは順調に走った。市街地を抜け、かつての国道をひたすら西へと向かう。瓦礫やクレバスがあっても、自動的に回避してくれた。 しかし、到着予定時刻まで四十五分を切ったぐらいから、急激に天候が悪化する。雪が降り始めたかと思うと、百m先すらも見えないブリザードに変化したのだ。 一番気温の高い夏で、この気候……。地上に人が住めないのは当然ね。この防寒具はマイナス三十度でも耐えられる設計なのに、身体の芯まで冷える。過熱機能を使わないと。 螢華はハンドルから右手を離し、左胸の上にあるボタンに触れた。ボタンは防寒具の背中部分に内臓された燃料電池に繋がっており、押すと防寒具内を流れる液体を加熱する。 温かい。でも、過熱機能は十二時間しか使えないから温存しないと。目的地に到着したらオフにしよう。 猛吹雪の中を螢華は高速で進む。 スノーモービルの揺れが眠気を誘ったが、彼女は必死で目を開け続けた。 | |
目次 | 第三章-16 |