第二十六節 The Heart of Eternity

 

「何故……、何故なのですか!」

 私は父に駆け寄り、その体を支える。力を失い、抜け殻のような痛ましい体……

「これが、『神の継承』だ……。今から、お前が神となる」

「私は、貴方の計画を阻止する為に来ました! それなのに何故?」

 呼吸すら止まりそうな父を、私はギュッと抱き締める。生まれて初めての親子の抱擁(ほうよう)。伝わって来る温かみは、初めてなのに懐かしく胸を締め付け、涙が溢れて止まらない。

「我は……、孤独だった。我だけでなく、以前の神も同様に。我は……、孤独に生きた自分の代わりに、誰かを愛し、幸せと感じて生きて欲しいと願い、お前達を産んだのだ」

 見えない目を薄く開け、私の顔を触りながら微笑み掛ける。初めから貴方は、私に倒される事を願っていたと言うのですか?

「父さん、直ぐに治すから動かないで下さい!」

「無駄だ……。『神の継承』を行った今、我を救う手立ては最早無い。お前達は『愛』を求め生きてくれた。それだけで、我の人生には意味があったと言える。だが、ハルメスに死ぬ前に一度だけ会いたかった……。息子と親が同時に死ぬなど、親不孝の極みだ」

 何を……? 死ぬ、誰が。まさか! 紅の空に、「遺跡」が映し出される。これは「輝水晶の遺跡」の最深部。祭壇の前に佇むのは……、兄さん!

「ふ……、親父も、最後に俺の姿が見たかったのかい?」

 兄さんの足元には巨大な血溜まり! 兄さんは胸から血を流しているのだ。深い深い傷、いつ死んでも可笑しくないだろう。どうして?

「ルナ、悪いな。約束は守れないぜ……。後の事は宜しく頼んだ。冥界の塔は、人間の魂の代わりに、俺の命で封鎖させる。シェルフィアといつまでも……、仲良くな」

「兄さん、止めて下さい! お願いだから」

 帰ったら、四人で「新世界」を祝うって約束したじゃないか! 私は喉が張り裂ける程に声を上げるが、兄さんは微笑むだけだ。

「ルナ……、そんな悲しい顔をするなよ。もう目も見えないが、お前の顔ぐらい俺には解るんだぜ。俺の命はこの装置の作動と共に散るが、魂は消えない。ティファニィと共に、『魂界』へ行くだけだ。だから心配するなよ。唯……、会えなくなるだけだ。これが俺の生まれた意味。ティファニィを愛し、獄界を閉ざす事が」

 想いが無数に顕れて来るが、どれも言葉にならない。私は涙を拭う事も出来ず、唯兄さんを見詰める事しか出来ない。

 

「ルナ、シェルフィア。またな……」

 

「兄さん、兄さぁぁ……ん!」

 私は兄さんの下まで飛んだが、映し出された兄さんは空から消えた……

 泪で何も見えない。私はその場に崩れ落ちた。シェルフィアとリバレスが近寄って来る。「ルナさん、泣かないで下さい。きっと……、皇帝が悲しみます。私達は前を見ないとダメなんです」

 彼女も辛い筈なのに、私の背中を擦ってくれる。私は手の甲で涙を拭い立ち上がった。そして、父の元へと走る。呼吸も拍動も弱々しい……

「……お前達は良くやったな。我に、『もう一つの中界』を創る余裕は無かった。神が子を遺すのは、己の死の間際なのだから。我は当然、人間達の直向(ひたむ)きさを知っている。それでも表向きは計画を実行させる必要があった。そして計画実行の前に、ルナリートとハルメスが自分を倒しに来ると信じていたのだ。事実、お前達は勝利した」

 やはり……、父は最初から自分を犠牲にするつもりだったのだ。神としての責務を果たしながらも、私と兄さん、人間達の幸せの為に!

「父さん……、今更そんな事はどうだっていい。死んじゃ駄目だ!」

 温かい手が、私の頭を撫でる。また目から雫が零れ始めた。……止まらない。

「……心配するな、ルナリート。我々の事は、心の片隅で覚えてくれているだけで良い。その心は『永遠』だからな。……この後、世界をどうするかはお前が決めろ。先ずは、あの椅子に座るかどうか」

 父が座っていた椅子。神の継承を受けた自分には解る。あの椅子の意味が。あれは、天界にエネルギーを送る椅子。神はあの椅子に座り、S.U.Nのエネルギーを受けるのだ。

「あの椅子はもう必要ありません。天界は、本日を以って人間界と同化します」

 天使も人間も同じ魂を持つ。冥界の塔も、兄さんが命を懸けて封じてくれた。だから、天界を維持する理由は何一つ無い。

「そうか、運命を変えるのだな。それも良かろう。今日が歴史の変わり目となる。ESGを摂取出来ない天使は、やがて力を失い人間と同化していく事だろう。それでも、お前とシェルフィアは力を失わない。二人で人間界を支えてくれ。そろそろ……、時間だ。我もハルメスの元へ……」

 父さんが腕の中で、砂塵(さじん)と化し消えていった。私の涙を吸い取りながら……。最期に見せた顔は、紛れも無く一人の父親の優しく穏やかで、気高い顔だった。

「必ず、良い世界を創ります!」

 シェルフィアが私の手を握り締める。私は、それに優しく微笑んだ。

「これから大変になるだろうけど、シェルフィア、君が居れば大丈夫だと思う。全ての人々の幸せの為に、何より私達の幸せの為に生きよう! 帰ったら、式を挙げような」

 彼女は久々に見る満面の笑みで、私に抱き付いた。私は彼女の髪を何度も撫でる。

「リバレス、お前もこれからずっと宜しく頼むよ」

 何気無く、宙に浮かぶリバレスの顔を見て、私は言葉を失った。長年の付き合いの中で、一度も見た事の無い表情……、とても穏やかで、風の無い水面のような微笑み。

「良かったわねー。ルナ、シェルフィア……」

「そんな顔をしてどうしたんだ?」

 彼女は、緩やかに私とシェルフィアの周りを舞った後、私の顔の前で止まった。

 

「……今までありがとう。ルナと一緒に生きられて良かった。そして、ルナには大切な人が出来たから、わたしは笑ってサヨナラ出来る……」

 

「何を言ってるんだ! 変な冗談はよせよ」

 私はリバレスを捕まえようと手を伸ばすが、彼女は飛び回って逃げる。

「わたしは『天翼獣』。天界で生まれ、天界と共に消えるの。わたしはその事を知ってたわ。ハルメスさんと約束したの……。ルナとシェルフィアを幸せにしようって」

 ずっと前から二人は死ぬつもりだったのだ。なのに、私は何も気付かなかった!

「リバレスさん、行かないで!」

「私があの椅子に座れば、お前は救われるんだろ?」

 私は椅子に向かって歩き出した。だが、リバレスが私の顔に張り付き動きを止める。

「そう言うと思った。だからわたしは、あの椅子の破壊方法をハルメスさんに教わったの」

 リバレスが特殊な神術を発動させ、椅子は跡形も無く消えた。

「ルナは優しいからねー……。でもこれで、ルナは此処で独りになる事はないわ」

「リバレス……。お前は最高のパートナーなんだ。行くなよ!」

 お前が生まれた時から、私達はずっと一緒だった。なのに、いきなり別れなんて!

「ルナー、ありがとう。今まで楽しかったわ。私は、ルナの事死んでも忘れない。だから少しだけ……、肩の上に座ってもいい?」

「……あぁ。お前の好きなだけ、座ってるといいよ」

 私とリバレスは、二人で同じ方向を見た。互いの泣き顔を見ないように。

「わたしは、此処が一番好きなのー。でも……、今度生まれ変わる時は人間がいいな」

「リバレス……、さよならは無しだ。必ず、また会えるからな」

 指で彼女の頭を撫でようとすると、指が彼女を通り抜けた。消え掛かっている……

「うん、それじゃー起こしてくれるのを待ってるから……、おやすみなさい」

 彼女と目を合わせる。まるで、眠っている赤子のような安らかな顔だった。

「おやすみ……」

 やがて、私の肩が軽くなったのを感じた時……、それが暫くの別れだと気付いた。

 

「うわぁぁ……!」

 

 辺りは夜闇に包まれ、私とシェルフィアはぼんやりと、全方位で瞬く糠星(ぬかぼし)を眺めていた。手を繋ぎ、肩を並べ、言葉を発する事も無く。失ったものは余りに大きく、心にはポッカリと穴が開いたようだ。……それでも、私達は生きる。愛してくれた人達の為にも。

「シェルフィア……、愛してるよ。誰よりも幸せになろうな」

 兄さんも父さんも、リバレスも私達の幸せを願ってくれたんだ。私はシェルフィアを優しく、それでも強い想いを込めて抱き締めた。

「はいっ。ルナさん、大好きです。思い描いて来た夢を、これから叶えていきましょうね!」

 私は彼女を抱き上げて、口付けをする。淡く儚げな蒼い月華(げっか)を浴びながら。

 淡雪が静かに私達に舞い落ちる。まるで、心の隙間をそっと埋めるかのように。

 

 夢を抱き、夢の為に全てを捧げる覚悟があるならば、必ず叶う日は訪れる。

 私は迷い無く歩こう。永遠の心を持って。大切な人の想いを背負って。

 人に「心」がある限り、私達の物語は終わらない。




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