第十二節 交睫
「リバレス、良く頑張ってくれたな」
私はリバレスの頭を指先で撫でる。彼女は私の周りを飛び回り、降り頻る雪を集めた。
「いえいえ、大した事はしてないわよー。ルナが頑張ったからじゃない! それにしても、ルナが『神』の名を受け継ぐ者だったなんて……、ビックリよ」
彼女は集めた雪を私の掌に載せた。それは体温で直ぐに融けたが、私達の関係は変わらない。私は私、リバレスはリバレスだ。
「神の子孫だと解っても、私の心は変わらないさ。さぁ、神殿へ帰ろう!」
二人同時で微笑み合う。それだけで、私達の思いは通じ合う。
ハルメス兄さんは神殿の前に立っていた。恐らく、毎日外で待っていてくれたのだろう。駆ける私に気付いた兄さんは、全力疾走でこちらに向かって来た。
「お帰り、心配したぜ! 無事で何よりだ」
兄さんが片手を上げる。私はその手に、力強くハイタッチをした。
その後、神殿の中に入り事の顛末を彼に話した。話を聞いている時の兄さんは、自分の事のように、嬉しそうだった。
「フィーネさんを助ける事が出来て、本当に良かったな! そして……、遂にエファロードを知ってしまったか」
エファロードという単語が出た瞬間、彼の表情が険しくなる。
「はい。私とハルメスさんは、『愛』を主題に生まれた、『神』の後継者なのでしょう?」
「……確かにそうだ。でも、俺は『愛』をするように生まれて来たんじゃない。ティファニィだから愛せたと信じてる」
兄さんは力強く言い切った。私も無言で頷く。フィーネだから愛したのだ。
「さて、ルナ。勿論気付いているとは思うが、俺達は『本当の兄弟』だ。今日は、フィーネさんの解放と、俺達兄弟を祝し、リバレス君を労う会を催そうと思う」
そう、ハルメス兄さんは「血の繋がった」本当の兄だ。私達の考えが似ているのも無理は無い。祝勝会、今日ぐらいは羽目を外しても構わないか。
「兄さん、今日は酔い潰れるまで飲みますよ!」
「わたしも負けないからねー!」
私達は思いっ切り笑う。私達は、紛れも無く「家族」だ。
いい夜だった。神殿の屋上で、雪も気にせず三人で騒いだ。旨い料理を食べ、美酒に酔いながら、過去の話やこれからの話に花が咲いた。
一番印象的だったのは、ティファニィさんの魂は、兄さんと同化したと言う事だ。確かに、それならずっと一緒に居られる。転生して記憶を失う事も無いだろう。だが同化すると、以前のように愛し合う事は出来ない。
兄さんとリバレスが寝静まった後、私は一人屋上に戻る。街の薄明かりが、ひらひらと舞い落ちる雪を淡く輝かせている。
きっと今頃、『ミルドの丘』は純白に覆われている事だろう。此処で約束を交わしたフィーネは、この世界に居ない。二百年後に帰って来るが、あの時のフィーネでは無い。 私の頬を一筋の涙が伝う。これは、思い出への涙だ。
「寂しいよ、フィーネ……」
私はポツリと呟いた。すると、雲の切れ間から月が顔を出す。まるで、私の声を聞いたかのように。私は雪の上に力無く座り込んだ。その瞬間、凄まじい疲労と眠気が私を襲う。何とか部屋までは戻れたが、「長い休息」が私には必要だ。
翌朝、私はリバレスと兄さんに「自分の体の状態」について話した。冥界の塔、獄界での激戦で私の体はボロボロな事。エファロードの第四段階に辿り着いたのが急であった上に、獄王の影を倒す為に力を使い過ぎた事。そして完全に回復する為には「光」を浴びられる場所で、千年は眠る必要がある事を。だが私は、フィーネの転生に合わせて二百年だけ休む事を申し出た。神や獄王の言う「計画」も気になるからだ。人間界で戦う兄さんには申し訳無いが、今の私は戦う事は愚か、普通に生活する事すら儘ならない。
「本当にごめんなさい! 折角、兄さんと一緒に戦えると思っていたのに、こんな所で!」
「気にするな。二百年ぐらい、あっという間だぜ」
兄さんは笑って肩を叩いてくれた。次に目覚めた時は、必ずお役に立ちます。
「はい! 二百年、お願いします。もしフィーネの転生が早まった時は……」
「解ってる。俺が見付けたら、守っておくよ。だからしっかり体を休めるんだ。心配しなくても、お前の未来は俺が必ず守ってやる」
私は深々と頭を下げて礼を言う。嬉しくて目の前が滲んだ。兄さん、恩に着ます。
私達はたった二人の兄弟にして、史上初の「二人のエファロード」。神は通常、配偶者を持たず一人しか子を残さない。神は単独で子を創れるからだ。それなのに、父シェドロットは二人の子を生み出した。しかも、「愛」を主題として女性を愛せるように。
愛を主題とする二人のエファロード、それには深い意味があるのだろう。だが私も兄さんも、意味などには囚われず、唯愛する者の為に全てを懸ける。
「二百年後には必ず、誰もが平和で幸せになれる世界にしましょう!」
「勿論だ。今から、お前を長期間眠れる安全な場所へ『転送』する。ところで、リバレス君はどうするんだ?」
刹那の逡巡、だが彼女は私の肩の上に飛び乗り、予想通りの回答をする。
「わたしは、ルナと一緒に眠ります」
私達は、フィグリルの東百kmの海上に浮かぶ「眠りの祠」に転送された。兄さんの、強力な結界で守られた島だ。其処で私は、眠る為の特別な神術を発動させる。
「おやすみ、リバレス。そして、フィーネ……」
「また寝坊したら、起こしてねー」
二人は暖かな光に包まれ、やがて眠りの世界へと誘われた。幾千の朝陽と月光を浴びても目覚めない、深い眠りの世界へ。
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