第五節 脆弱

 

「(はあぁ……。低レベルな村ねー)」

 リバレスが、ルナの意識に話し掛けた。二人は、フィーネの家から二km程離れた、鉱山の入り口に立っている。

「(全くだ。こんな所で二百年も生活すると思うと、気が滅入(めい)る)」

 二人は、此処に辿り着くまでに見た、村の景観を嘆いているのだ。道は舗装されず、家には所々(ひび)が入っている。上下水道も無さそうだ。子供の遊び場は落書きだらけだった。

 こんな低レベルな文明に馴染めるだろうか? 私は掌で顔を覆い、首を振る。

「(さっさと、あの娘の父親を連れ帰って、こんな村とはおさらばしましょー!)」

「(そうだな、手早く済ませよう)」

 此処までに魔は現れなかったが、鉱山の中には居るかも知れない。大丈夫だ、学校で戦闘実技を教わったのは、有事の際に魔と戦う為じゃないか。

「行くぞ」

 二人は、薄暗い鉱山へ入って行く。足元の水溜りが、血溜りである事に気付かず。

 

 中は薄暗い。坑道の側壁には等間隔にランタンが吊り下げられているが、辛うじて足元が見える程度である。分岐点には、粗末な案内板がある。二人は、奥へと進む。

 異様な雰囲気。ルナは肌が粟立つのを感じていた。多くの鉱夫がいる筈の鉱山に、誰もおらず、聞こえるのは水音のみだからだ。……やがて不安が、現実に変わる。

「やはりか……」

 足元に、惨殺された男が転がっている。全身に深い切り傷があり、特に胸部が深く抉られている。其処から流れ出た血液が大きな血溜りを作っていた。凝固はしていない。死んでから大した時間は流れていないのだ。傷跡から察するに、間違い無く魔の仕業だろう。

「(ひどいわねー……。やっぱりルナ、あの子の為に『魔』と戦うなんて、馬鹿げた事は止めて帰りましょーよ)」

「(約束は約束だ。人間を助ける事はもう無いから。行くぞ……)」

 

 案内板に従い、更に奥へ進む。これまでに二十三人が殺されていた。切り裂かれ、引き裂かれ、燃やされた者達。ルナは、彼等の苦悶(くもん)の表情を見て憤りを覚えた。だがどの男も、フィーネには似ていない。そして、二人は最深部の採掘場に着いた。

 声が聞こえる。聞いた事の無い、低い、野獣のような声。

 

「ヒャハハ、死ね、ゴミ共が! 貴様らは消えるべき存在だ!」

 

 これが魔! 何と禍々(まがまが)しい……。黒褐色の皮膚、背丈は二mを超える。頭部・両手足・尾があり、(はがね)のような筋肉に覆われている。白濁(はくだく)双眸(そうぼう)、鋭く長い牙、窪んだ鼻と(とが)った耳。私は、天使や人間と余りに異なるその容姿に、純粋な恐怖を覚えた。

 奴は、その場に居る人間を紙屑のように引き裂き、魔術で燃やしている。

「フィーネー……!」

 その断末魔で、私は我に返った。魔の爪で胸部を貫かれた男、フィーネの父!

「済まない、フィーネ。君の父親は救えなかった……」

 私の声で魔が振り向く。

「お、また人間か? 殺してやるぜ。楽しくてたまらねーよ!」

「獄界の住人は、こんな愚物ばかりか? リバレス、元の姿へ戻れ!」

「解った!」

 魔が猛スピードで走り寄る! 私は剣を抜いた。「キンッ!」、剣が魔の牙に直撃する。牙が砕け、飛び退く魔。

「グッ……、この力。貴様、人間じゃないな。まさか天使か?」

 魔の口から緑色の血が流れている。私は、剣の切っ先を魔に向ける。

生憎(あいにく)、堕天はしているがな。平然と生命を奪う、お前のような下等な者と、私は話す口を持たない」

「堕天使の分際で。死ね!」

 魔が咆哮(ほうこう)と共に、口から炎を吐く! 剣では防ぎ切れない。

「リバレス!」

 私の声で、リバレスが私に「保護」を使う。炎は、私を逸れて壁に当たった。

「中級神術、『(てん)導炎(どうえん)』」

 私の左掌から、炎の渦が伸びる!

「ギャァァ……!」

 恨みに満ちた絶叫が谺する。どうやら、私は魔を殺してしまったらしい……。この程度の力で死ぬという事は、やはり低級魔だったようだ。

「ルナー、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。それより、私は魔を『殺した』上に、約束も守れなかった……」

 私は俯いて目を閉じた。殺すのも、約束を守れないのも、最悪な気分だ。

「仕方無いわよー! 殺さなきゃ、ルナが殺されてた。約束も、どうしようもないわ」

 沈黙。二人は話すべき言葉を見付けられない。だが、その沈黙は破られる。

 

「化け物……。ルナさん、あなたも魔物なんですか? 魔法を使うなんて。それに、妖精?」

 

 フィーネ! 何故こんな所に? まさか全てを見ていたのか? 少なくとも、戦いを見ていたのは確実だ。

「見てしまったんだな。だが、私は化け物でも魔でもない。人間でも無いがな」

「わたしも、妖精なんかじゃないわよーだ!」

 私達の素性は明かせない。しかし、フィーネは私達の言葉など上の空だった。

「お父さんは? ……お父さん!」

 父の亡骸(なきがら)へ駆け寄る彼女。鉱山全体に響く程の、泣き声……

「済まない。間に合わなかった……」

 フィーネは、(むくろ)に抱き付き、顔を埋めている。私達は居た(たま)れなくて、その場を離れた。

「どうするの? ルナ」

「私達が出来るのは、彼女が無事に家まで帰るのを見届けるぐらいだな」

 他には何も出来ない。失った命が戻らない事を、私は誰より知っている。

「そうねー。あんまり深入りするのも良くないし、何処かに隠れて様子を見守りましょー」

「ああ、これで終わりだ。行こう」

 心が痛む。私は天使、これ以上人間を助ける義理は無い。なのに、彼女の顔を見ると辛い。私は両掌を組み、頭を抱える。此処を離れなければ! 私は、ゆっくりと歩み出した。

「待って下さい! 何処へ行くつもりなんですか?」

 涙声のフィーネ。何故私達を止める? 私は彼女の目を直視出来ない。

「私達はこの村を離れ、安住の地を探す。君には感謝してる。だが、もう私達とは関わるな。そして、誰にも口外するな。それを守れなければ、私は君を……、殺さねばならない」

 私達の存在が公になれば、魔から命を狙われる。そして、人間からは救済を乞われる。

「口外はしません。私があなたに殺されるのも……、構いません。だから、お願いします。 人間を助けて下さい! あなた達の力が必要なんです!」

 人間の為なら、自分が死ぬのも(いと)わない。私と……、同じだ。涙が零れるのも構わず、強い、炎のような意思を湛えた目で、私を射抜く。さっきまでの少女とは別人だ。

「わたし達が、(もろ)い人間の為に動く理由は無いわ!」

 リバレスの甲高い声が響く。だが、フィーネの意思は揺らがない。

「皆、頑張っていました。魔が(もたら)した疫病に見舞われても、魔に何度襲われても……。私の母も三年前に殺され、父と二人で一生懸命生きて来たんです。なのに……、なのに!」

 これ以上聞いたら、彼女の心に呑まれる! なのに、体が動かない。

「うぅ……。私の村だけではありません。世界中で苦しんでいる人が居るんです! 私は何でもします。だから、どうか……、力を貸して下さい!」

 彼女が私の手を取る。私は反射的にそれを振り払い、目を伏せた。

「駄目だ。私を助けてくれた礼は返した。これ以上、君を助ける理由は無い」

 私は、フィーネに背を向ける。早くこの場を逃げ出したい。

「せめて、家までの道程の安全は確保しておく。泣き疲れたら、帰るんだ」

 私は関わりの無い人間の為に戦える程、善人じゃ無い。

「私は……、明日の夕方六時に、あなたが倒れていた丘、ミルドの丘で待っています! あなたが来るのを信じて、待っています!」

 フィーネは離れて行く私にそう言った。信じる? 会ったばかりの私を。殺すと言った私を。何故、そんなにも靭い心を持てる。人間は下等な生物じゃないのか?

 

 嵐はいつの間にか止んでいた。

 初日から、これ程多くの出来事に遭遇するとは。私達は、森の中に神術で寝床を作った。空には糠星(ぬかぼし)。フィーネの声が頭から離れない。だが、明日私が行く事は無いだろう。

 二人は眠る。人間界で過ごす二百年の重さを噛み締めながら。




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