第三十七節 光芒

 

 永遠を信じていても、目の前にある離別の痛みが心を抉る。昨日まで温かかった私の心は、冷たく閉ざされてしまった。この痛みをどうすればいい? 君を捜す、その前にあるこの痛みを! 意識が無秩序に混濁(こんだく)していく。もう、何も考えられない……

 

 どれだけの時間が流れただろう。一時間、一日、一週間? 時間の感覚が無い。

 私の中にあるのは混沌と悲しみだけだ。そして、目の前には愛する人。目覚める事の無い、最愛の人……。このまま、私も消えてしまいたい。

「……ルナー! しっかりしてよ!」

 聞き覚えのある声が、意識の外側から聴こえる。「バシッ!」という音が鳴った。どうやら私は頬を叩かれたらしい。

「……リバレスか」

「悲しいのはよく解る。けど……、いつまでも此処に居たって始まらないわ」

 彼女の小さな目が腫れている。酷い顔、泣いていたのだろう。

「そう……だな。『あれから』どれぐらい時が流れたんだ?」

「三日よ」

 そうか、三日。フィーネを喪って……

「フィーネ!」

 彼女は、死んだ時と全く同じまま私に微笑みかけている。また涙が溢れてきた。彼女は外気と同じ温度だ。限り無く氷点下に近い……

「ルナ、しっかりしてよー!」

 このままではいけない。私は、フィーネの亡骸を抱える。

 

 遺跡の階段を上り、外に出た。外は一面に雪が積もり真っ白だ。君の好きだった雪。私はフィーネを抱え、島の西端の切り立った崖に辿り着いた。彼女を埋葬する為に……

 此処から遥か西にはミルドがある。今、ミルドの方角に日が沈もうとしていた。

 私は剣と神術で地面に穴を開ける。土が穴の脇に(うずたか)く積まれていくにつれて、私に背負われているフィーネにも雪が積もる。その度に私は彼女の雪を掃った。

 フィーネ、此処ならミルドが見える。君が育ち、私達が育ったミルドが。

 私は、彼女の体をゆっくりと穴の底に横たえる。そして、魔に触れられないように結界を張った。後は、掘った土をかけるだけ……

 何故、愛する人を窮屈な土に埋めなければならない? そう思うと、私の手は止まった。代わりに涙が溢れ、体が震え出した。そして私は声を上げて泣き始める。

 土をかけなくても、フィーネの体はどんどん雪で覆われていく。しかし彼女の顔は安らかだ。苦痛や不安など微塵(みじん)も感じさせない表情。私はやっぱり弱い……

「フィーネは、きっと最後までルナを信じてたのよー。それで、今も何処かでルナが来るのを待ってる……」

 お前はいつも私の事を理解し、私の希望を先読みするんだな。

「そうだな……、『永遠の心』を持ったフィーネの魂が消える筈が無い」

 私はフィーネに土を(かぶ)せ始めた。だが彼女の声が、温もりが蘇り手が進まない!

「ルナー……、ごめんね」

 リバレスの手が光る。私に神術を使っているのだ。何だ? 酷く……、眠い。これは、中級神術「催眠」。そうか、お前は私を苦しめない為に……。済まないな。

 

 私は夢を見た。フィーネと出会い、過ごしてきた楽しい日々の夢を。ミルドの丘で旅立ちを決意した事、レニーでの祝宴、ルトネックからの漂流、リウォルでお互いの気持ちを確かめ合った事、そして永遠を誓ったフィグリルでの夜。

 だが夢は悪夢に変わる。フィーネがジュディアによって、獄界に堕とされたのだ。

 真っ暗だ。夢は終わったのに何も見えない。この闇も夢なのだろうか?

 君は死んだ。私と関わったばかりに。私の非力さ故に! それでも君は、幸せだと言ってくれた。最後まで私に微笑んでくれた。

 いつまで私は悲しみに暮れている? フィーネに約束したじゃないか。迎えに行くと。彼女が普通に生を(まっと)うしたなら、彼女は人間界に転生していただろう。だが、彼女は獄界に堕ちた。このままでは人間界で彼女の転生を待ち、迎える事は不可能だ。だから私は、君が居る所へ迎えに行かなければならない。出来るだけ早く。

 君を迎えに行けば、恐らく私は死ぬだろう。それでも私は構わない。心が冷たくて痛くて……、どうしようも無いんだ。自分の死よりも、君の魂を「永遠」に失う事の方が辛い。だから私は行くよ。

 

 獄界へ、君の魂を取り戻しに。

 

 獄界で出会う者は全て敵。だけど私はもう決めた。このまま、君を思い出にして生きる事など有り得ないから。

 

 目に光が飛び込んで来る。ちっぽけな生命が何をしようと変わらない、不変の朝の光だ。

「半日以上眠ってたわよー」

 リバレスが私よりも早く起きている。これで十回目か。私は、目の前に作られた「大理石の墓」を見て、「ありがとう、リバレス」と呟いた。彼女は「うん」と言い、頷く。

「これからどうするのー?」

 彼女は私の肩に座った。伝えなければならない。私の覚悟を。

「……私は一人で獄界へ行く。獄界に乗り込んで、フィーネの魂を奪還するんだ」

「え、獄界! 幾ら何でも危険過ぎるわ。『魔』の支配する世界よ。ルナが強いからって、絶対に殺されるわよー」

 リバレスが、顔を真っ赤にして耳元で叫ぶ。当然の反応だ。獄界には、今まで戦ってきた魔よりも強大な者が幾らでも居る。神と並ぶ力を持つ「獄王」を筆頭に……。今の私の髪は銀色で、シェイドと戦った時と同等の力があるが、それでも命を捨てに行くようなものだ。光の翼も既に失われている。

「解ってる。でもな、フィーネは私を信じて死んだ。このまま人間界で過ごしているだけじゃ、彼女との約束は果たせない。それどころか、早く救いに行かないと彼女の魂は獄界で蹂躙(じゅうりん)されるだろう。そんな事は許せないし耐えられない! 私の人生にはフィーネが必要だ。だから、命を賭して獄界へ行く」

 リバレスが私の顔の正面に飛んで来た。私を睨みながら。

「それで奇跡が起きて、フィーネの魂を解放出来たとしても、転生したら記憶は失われる!永遠を心に刻んでいたって関係無い。それが現実なのよー! 甘い幻想を見るのはいい加減にして」

 幻想か、そうかも知れない。フィーネとの約束も甘い空言かも知れない。それでも私は、彼女の最後の言葉と微笑みを信じる。それにもし……

「記憶が無くなっても、フィーネはフィーネだ。例え、彼女が生まれ変わり私の事を何も憶えていなくても構わない。それが、私が彼女にしてあげられる唯一の事だから」

 リバレスは何かを考えるように、目を瞑った。数秒後、何かを決意したように目を開く。

「じゃあ、わたしが『自分の意思で』獄界に行くのも勝手よねー? わたしだって、フィーネを助けたい。それ以上にルナが心配なのよ」

「何でそうなるんだよ! 獄界は危険だ。大人しく、人間界で待っていてくれ」

 彼女は何の躊躇(ためら)いも無く首を振る。これじゃあ立場が逆だ。

「ルナー、勝手なのはお互い様よ。それに、何でも一人で出来ると思ったら大間違いよ。ね? 早くフィーネを助けに行きましょー!」

 目頭が熱い。リバレスは元気一杯に羽ばたいて、私の肩に乗った。

「……ありがとう。お前は、最高のパートナーだよ」

 聖石を使って島から出る前に、私はフィーネの墓に触れる。自然と涙が零れた。だが、彼女を救うまではもう泣かないと誓う。

 フィーネ、少しの間寂しいかも知れないけど、信じて待っていてくれ。リバレスも一緒に来てくれるから、必ず君を助けられる。次に会う時こそは、永遠の幸せを掴もうな。

 

 ルナとリバレスは、島からフィグリルの神殿に戻った。日は完全に落ち、世界には夜の(とばり)が下りている。雪の降る静かな夜。二人はハルメスに事の顛末(てんまつ)を話した。流石に、獄界へ行く事までは話せなかったが。ハルメスはルナを抱き締めた後、ポツリと呟く。

「お前も……、エファロードだったんだな」

「兄さんは、エファロードを知っているんですか? まさか、貴方もエファロード」

 言われて見れば、確かにハルメスさんの髪は最初から銀色だ。

「否、俺はエファロードの責務を捨てた男だ。だから、エファロードを名乗れない」

 遠い目、其処には微かに、懐かしさが含まれているような気がする。

「エファロードとは、何を指すのですか?」

「……いずれ解る。『第四段階』を制御出来るようになれば。それよりお前は、今からすべき事があるんじゃないのか?」

 第四段階、私が「私」に操られる段階の事か。「私」を私が制御出来れば、解るのだろう。今からすべき事、反対されるかも知れないが、話さなくては。

「私達は『獄界』に向かいます。フィーネの魂を救いに」

「……やはりか。俺がお前の立場なら、そうするだろうからな」

 兄さんは私の肩を叩く。そして、昔の事を少し語ってくれた。かつて、恋人であるティファニィさんが健在だった頃の話だ。

 兄さんは日々魔と戦っていたが、狡猾な魔がティファニィさんを人質に取った。兄さんは魔を撃破したが、彼女は瀕死の重傷を負った。其処で兄さんは、天使の指輪を外し彼女に与える。すると、指輪の力で彼女は蘇ったらしい。

 指輪を外した天使は、天使では無くなる。だが、彼はそんな事はどうでも良かったのだ。

「人間界は俺が守るから、行ってこい。獄界に!」

 兄さんの言葉で、勇気と力が溢れて来るのを感じる。貴方はやはり私の道標だ。

「はいっ! 後、もう一つ訊いてもいいですか?」

 ハルメス兄さんに、どうしても訊きたい事がある。否、正確には私を肯定して欲しい。

「構わないぜ。何でも訊いてくれ」

「ハルメスさんは、『永遠の心』は転生しても消えないと思いますか?」

 束の間の沈黙。だが兄さんは力強く微笑む。

「ああ、勿論だ。現に、ティファニィの心は俺の中にある。信じていれば叶わない事など無いさ」

 心が彼の中にある? 意味深な発言だが、これ以上は別の機会に訊く事にしよう。兄さん、お陰で私の覚悟が強まりました。ありがとうございます。

 

 私達は、兄さんに獄界への行き方を訊いた。獄界へは死者の口、即ち「冥界の塔」を下るしか無いらしい。人間界で見えている部分は、冥界の塔の屋上に当たる。塔は数千階建ての超高層建築で、獄界から上ってくる魔が充満している。話を聞いている間、身震いが止まらなかった。

「明日、日の出と共に俺がお前達を塔まで送ってやるぜ。塔は、要塞のような島の中心にある。転送で島の上空に移動後、お前達を俺が降下させる」

 塔に直接移動しないのは、移動直後魔の大群に囲まれる可能性があるからだ。だがどうやって降下させるんだ? 私達が首を傾げていると、兄さんは目を閉じた。数秒後、目を開けると瞳は真紅に変わっていた。そして、背中には光の翼!

「ルナとそっくりじゃないのー!」

 兄さんも『エファロード』なのだ。彼の姿を見て、私は素直にそう思えた。

「ルナ、リバレス君。今日はゆっくり休むんだぞ。明日からの重労働に備えてな!」

 元の姿に戻ったハルメスさんが微笑む。人間界で過ごす夜は暫く訪れない。焦る気持ちはあるが、今日はゆっくり休もう。

「はい、ハルメスさん。ありがとうございます!」

 私とハルメスさんはハイタッチを交わした。其処にリバレスも加わる。その後、三人で夕食を摂った。穏やかに夜が更けていく……

 

 部屋は暖炉の火で暖かく、窓は真っ白に曇っている。それを指で擦ると、煌く空の月が現れた。少し窓を開けると、冷たく澄んだ空気が流れ込んで来る。

 君は今何処で、何を見ているんだろう? 今は同じ景色を見る事は出来ないけど、必ず一緒にミルドの丘に行こうな。

 私は窓際を離れ、ぐっすり眠っているリバレスの頭を指でそっと撫でる。

「リバレス、ありがとう。明日からもっと辛いけど、私はお前を守るから、お前も私を助けてくれよ。頼りにしてる」

 リバレスは何だか嬉しそうに寝返りを打つ。こんなに小さいのに、大きな存在だ。

 私は静かに部屋を出た。どうしても、フィーネと永遠を誓った屋上を目に焼き付けておきたかったからだ。屋上への扉を開く。直ぐに凍て付く風が私を通り抜けた。

 雪を踏み締め、私は目を閉じる。君の事を、思い浮かべながら。




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