第十三節 欺瞞
「出ろ! お前の命運は尽きた」
親衛隊の声が牢獄に響き渡る。ニヤニヤと笑いながら、ルナを取り囲む彼等。彼等は楽しくて堪らない。一方的な暴力には甘美な悦びがあるからだ。
「私は、逃げも隠れもしませんよ」
ルナは、親衛隊を一人一人睨み付けた。その眼光は鋭く、彼等から笑みが消える。彼等はルナの足以外を拘束し、剣を首に突き付けた。首からは血が滴る。
「黙って歩け。無駄な言葉を発したら、首を落とす」
神官の手先で、力で全てを解決しようとするお前達には解らないだろう。強靭な意志は、暴力には支配されない事を。私は唯、前を見据えて歩く。
裁判所は、神殿の屋上にある。其処に辿り着くまでには、一階の大礼拝堂、二階の学校、三階と四階の居住区、五階の神官、司官の住宅を通過しなければならない。学校を通過した時に見た掛け時計は、午後八時四十分を指していた。私の裁判は、九時からなのだろう。
今は子供、学生、大人、誰もが束の間の自由時間だ。彼等は連行される私を遠巻きにして、囁く。「可哀想に」と。そして、一部の者は私を蔑む。私は彼等の視線をしっかりと受け止め、無言で私の決意を目で伝えた。「私は間違っていない。皆が立ち上がれば、この世界は変わる」と。
暗闇に、無数の光る砂が敷き詰められたような星空。其処にいる生物の、全ての温かみを奪い取るほどの冷気。そして、吹き荒ぶ風。裁判所の壁には一m間隔で燭台があり、いずれも風に揺られている。だが、私の心は無風だ。
「只今より、被告人ルナリートの裁判を行ないます! 善良なる皆様、起立し神に敬礼を」
ハーツの声を聞いた瞬間、目の奥がチリチリと燃えるような感覚に襲われた。一体? 奇妙な感覚を覚えつつも、私は被告席から立ち上がり、裁判所奥に聳え立つ、神を象った彫像に敬礼した。
「皆様、着席して下さい」
着席前に周りを見渡してみる。私の背後は傍聴席で、すり鉢状の階段に全ての天使、一万五千人が座っている。前には神官、隣にはリバレスが座り、右前方にはジュディア、セルファス、ノレッジが、左前方には親衛隊と四間の司官が居る。
「今回、被告には三人の弁護人がついています。学友のジュディア君、ノレッジ君、セルファス君です」
あれ程、馬鹿な真似は止めろと言ったのに! 被告である私に厳罰が下れば、お前達にも悪影響が及ぶんだぞ。だが、私は嬉しさを感じていた。最後まで友達でいてくれる事に。
「それでは、被告に対する罪状を読み上げます!」
私は唾を呑んだ。ハーツは、今朝の私の発言を此処で明言するだろう。それに対して、私は自分の考えを全ての天使に叫んでやる!
「被告は、『昨晩、午後十一時頃、封印の間で祈りを捧げる為、一人で外出をしました』。これは、重大な法律違反です! この違反を審議し、裁きます」
何だと? この裁判は、私の思想と発言を裁く為のものだろう! 外出も罪だが、私の罪はもっと重い筈だ。
「私は……!」
続きを叫ぼうとするが、口が開かない! これは……、拘束の神術。一体誰が? ハーツでは無い、とすると親衛隊か神術の司官か。上手く隠しているが、神術の司官、つまりジュディアの母が神術を発動させているのが見えた。何故だ?
「神官、ルナは……!」
私の所まで飛んで来ようとしたリバレスまで、拘束で地面に落下する。
「皆様、被告は、『言葉を発せない程』反省しております。そうですね、ルナリート君? 沈黙はイエスと取りますよ」
勝ち誇った笑みを向ける神官。私は首を振ったが、今度は全身が拘束された。
「この通りです。皆様! 弁護人、異議はありますか?」
「いいえ」
三人は声を揃えて答えた。私の発言を聞いたジュディアとセルファスまでもが、何の躊躇も無く。私は理解した。ハーツとジュディア達は何らかの取引をした。恐らくは、私を生かす為に。ハーツが、私の思想を此処で明言せず、私を生かす理由は、一つしか無い!
目の前が真っ赤だ。全身が震える!
「被告には、今後死ぬまで、牢獄で暮らす事を命ずる。但し、学校には出席する事。だが、教師以外との会話は一切認めない。また、学校卒業後は私の親衛隊として生きる事」
私は涙を流した。堪えきれない、怒りと絶望で。私は自分の考えを此処で皆に聞かせる事は愚か、今後誰かに話す事も出来ない。完全なる不自由。そして、嫌悪する神官の傍で一生を終えなければならないのだ。
……ふざけるな!
そんな人生に何の意味がある? 私は、自由の尊さを伝える為に此処に来たんだ! お前に利用される為じゃない。私は……、死ぬ覚悟は出来ている。この天界を、お前の呪縛から解放する為ならば! 私はお前を許さない。絶対に許さない!
その瞬間だった。ルナの体に異変が起こったのは。体全体が、光り輝く膜で覆われ、頭髪は銀色に、瞳は真紅に染まっている。
かけられた拘束の神術を弾き飛ばし、彼は立ち上がる。そしてゆっくりと、リバレスに近付き手を翳し、彼女の拘束も解いた。
「何をするのです? 裁判の途中ですよ!」
「黙れ、茶番はもう終わりだ」
「司官、親衛隊! 彼を止めるのです!」
神官の叫びで、四人の司官と八人の親衛隊が、一斉にルナに飛び掛る。だが……
「邪魔をするな!」
ルナは、両手を左右に突き出し、全員を裁判所の壁まで弾き飛ばした。初級神術「衝撃」によって。本来、衝撃は水の入ったコップを倒すぐらいの力しか無いが、今の彼が使う神術の威力は通常の数百倍にも及ぶ。
「後はお前一人だ。他人を塵のように扱い、天界を、天使を食い物にする重罪人」
「ルナリート、折角助けてやったのに何だ、その態度は?」
「私達は、『偽りの神』と『お前が造った教え』に縛られる、自分の意志を持たない人形なんかじゃないんだ! 全ての者は、生まれながらに自由に考え発言し、生きる権利がある」
長年、言いたくても言えなかった言葉が次々と、堰を切ったように出てくる。私はもう止まらない。神官、止められるものなら止めてみるがいい。溢れ出る力に満ちた私を。
「……お前はそれを踏み躙ってきた! 罪の無い者を何人殺したか解っているのか? 否、解らないだろうな。自己保身にしか興味の無いお前には」
傍聴席の天使達は、ルナの言葉に強く頷いている。「ハーツの恐怖政治は必要無い」。皆、気持ちは一つである。
「な……、何たる侮辱! 君はもう必要無い。死ぬがいい!」
ハーツは杖を振り上げ、灼熱の炎の球体を作り上げた。高等神術「滅炎」である。直径五m程もあるその熱球は、ルナへ猛スピードで飛ぶ! しかしルナは目を瞑り、対抗する神術を発動させた。
「高等神術、絶対零度」
厚い氷の壁が、滅炎を飲み込む! 滅炎は、完全に掻き消された。
「小癪な……。こんな屈辱は初めてだ。私の究極神術で、粉々にしてやる!」
ハーツは翼を開き飛び上がる。杖の宝石には凄まじい光熱。魂砕断!
「お前に殺された天使達は……、この世界を変えたかったんだ。何者にも怯える事無く、自由を享受出来る世界へ」
「黙れ! 厳格な掟こそが、無能な民を生かす事が出来るのだ」
「掟は必要だろう。だが、お前は『自分に都合が良い』掟を造るだけだ!」
ハーツの顔は、今にも血が噴き出しそうな程紅潮している。これがハーツの本気。傍聴席の天使達が逃げ惑うのが見える。ハーツ、お前には完全な敗北を味わわせてやる。
「死ねぇぇ!」
ハーツの杖から光の刃が放たれた! 無数の刃が私を完全に包囲する。
「パリーン!」
硝子が砕けるような甲高い音。そんな刃が届く筈が無い。私は、鉄壁の守りである究極神術「光膜」で自分を覆っているのだから。今の私は、どんな神術でも使う事が出来る。習得していない、究極神術、禁断神術さえも。それが何故かは解らないが、不思議と今の自分の力に違和感は無い。寧ろ、これが「本当の自分」という気さえする。
「そんな馬鹿な……」
ハーツは杖を落とし、呆然と宙を漂っている。
「神官ハーツ! 審判の時だ」
「うがぁぁ……!」
神官は墜落し、神を象った像に激突した。像と、ハーツの骨が砕ける音が響くのを聞いた後、私は裁判所に降り、ゆっくりと、動く事が出来ないハーツに歩み寄る。
「来るなぁ、許してくれぇ! 命だけは助けてくれぇ!」
惨めな姿だ。あれだけの命を奪いながら、自分の生に其処まで執着するとは。
「ルナー、止めて! 殺す必要は無いわー」
リバレス、それにセルファスとジュディアまでが、私の前に立ち塞がる。
「止めるな! この男が居なければ、天界は救われる!」
三人を払い除け、私は平伏すハーツに宣言する。
「ハーツ、お前には魂砕断では生温い。無に呑まれるがいい!」
禁断神術発動の為に、意識を集中する。その時だった。尋常ならざる声が響いたのは。
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