第十節 格子

 

「ドンドンドン……!」

 乱暴にドアを叩く音。朝の静寂を打ち破るその音は、眠っているルナとリバレスを叩き起こした。時刻はまだ午前六時。格子窓から差し込む光は弱々しい。

「んー、何事ー?」

 寝惚(ねぼ)け眼のリバレスが呟いた。

「此処を開けろ!」

 暴力的な声が響き渡る。無視すれば、今にもドアを蹴破られそうだ。ルナは、十五秒で寝巻きから天使服に着替え、ドアの鍵を開いた。

「天使、ルナリートだな?」

 白い甲冑の軍団。ハーツの親衛隊だ! しかも全員揃っている。親衛隊は、剣術、徒手空拳、神術を極めた者達の集まりだ。下手に反抗すれば殺される。

「はい、私がそうです。何かご用でしょうか?」

「神官ハーツ様の命により、お前を連行する。いいな?」

 神官ハーツが何故私を? 思い当たるのは深夜の出来事だけだが、それに関しては不問となった筈。

 ルナは首を傾げていたが、有無を言わさず親衛隊の一人が、「拘束」の神術でルナの上半身を動けなくする。それとほぼ同時に、他の親衛隊がルナに剣を突きつけた。

「ちょっと待ってよー! ルナが何をしたっていうの?」

「黙れ、天翼獣! お前如きが親衛隊である我々に話しかけるな!」

 くっ……。全く上半身が動かない。何て力だ。そして、何と言う傲慢さだ。ハーツの意図は解らないが、怒りが込み上げて来る。

「さぁ、来てもらおうか?」

 私を連行するだけならいい。だが、リバレスを傷付けたら許さない。そう心に決めた。

「リバレス、部屋で待ってろ。これは何かの間違いだ!」

「嫌よー! ルナが心配だから付いて行く」

 リバレスは指輪に変化し、ルナの右手薬指に収まった。親衛隊は、天翼獣の挙動など気にはしない。天翼獣が何をしようが、即座に息の根を止められるからである。

 

 神殿の地下一階。其処には、千人を収容出来る巨大な牢獄がある。普段、地下への入り口は閉ざされており、神官と親衛隊以外が地下に下りる事は出来ない。入り口を開き、階段を下りると、「取調室」があり、取調室奥の扉を開くと、其処は広大な牢獄である。

 ルナは、親衛隊に囲まれ階段を下り、格子状の居住区を抜け、更に三階層の階段を下りた後、取調室に辿り着いた。

 取調室には大理石のテーブルを挟んで、椅子が二つ。広さは五m四方と言ったところだろう。壁には剣や(むち)などの武器、更には拷問(ごうもん)器具(きぐ)までもがある。それらの共通点は、「どれも使用した形跡があり、(おびただ)しい血液が付着している事」だ。

 薄暗く冷たい空気が流れる部屋で、ルナは背筋が凍る思いをしながら椅子に座った。向かいにはハーツが座り、二人を親衛隊が囲んでいる。

「さて、ルナリート君。君が此処に呼ばれた理由を知っていますか?」

 感情の読めない目。狂気染みた口元……。ハーツの真意は解らない。ならば、下手に答えるのは得策では無い。私は、神官の考えを探る事にした。

「いいえ。こんな朝早くに、このような場所に呼ばれる覚えはありません」

 その瞬間、ハーツは大きく目を見開いて、テーブルを「ドンッ!」と叩いた。

「嘘を……、()いてはいけませんねぇ。貴方は昨晩、「神の存在」と「神の教え」を否定した! そうでしょう?」

 一体誰が? 確かに私は昨日、それをセルファスとジュディアに打ち明けた。だが、二人が密告する事など考えられない。ハーツの血走った目は、私から目を逸らさない。彼が怒りに震えているのが解る。情報が少ない今、私は沈黙する事にした。ハーツの目を、誠意を込めて見返す。これが、現状私が実行出来る最善策だ。

 物音一つしない取調室。だが、張り詰めた空気は変わらず、息を吸うのも苦しい。額の汗が一滴、床に落ちた。その時、ハーツは突如(とつじょ)満面の笑みを浮かべて、立ち上がった。

「そういう事ですか! ルナリート君、『やはり君は』罪を犯していないのですね。私へ密告した者が、優秀な君を陥れる為に嘘を吐いたのでしょう!」

 ハーツの豹変(ひょうへん)振りは異常だが、密告者が裁かれて、私が釈放されるなら問題は無いだろう。沈黙は正解だったという事だ。

「密告者を此処へ連れて来なさい。牢獄へ入れ、今晩処刑します」

 親衛隊の一人が消えた。「転送」を用いて自分の肉体を密告者の所へ転送したのだろう。一体、誰が昨日の私を目撃したのだ?

「連れて参りました」

 親衛隊が連れて来た天使は……、まさか!

 非の打ち所の無い美しい容姿を持つ、完璧主義者の女天使……

「ジュディア! 何故だ……」

 私は、驚きと失望の余り眩暈(めまい)がした。辛うじて、机に伏せるのを(こら)える。

「貴方は間違ってる! 天界で最優秀な貴方が、天界に背いてどうするの? 貴方が『今の枠組み』さえ守れば、司官にだって、神官にだってなれるじゃない! だから、ハーツ様に指導して貰おうと思ったのよ!」

 紅涙(こうるい)と、悲痛な叫びが私の心を揺さぶる。私は……

「さて、ルナリート君。君はもう部屋に戻っていいのですよ。君は『何も言っていない』のですからねぇ。君を(おとしい)れようとした、ジュディア君の最期……。お楽しみに」

 ハーツ、そういう事か……。お前は、私がジュディアを見殺しに出来ない事を知っている。だから、私は自分の罪を認めるしか無いのだ! 昨日まで、お前は私を殺す気は無かった。だが、私の発言は最早(もはや)看過出来ないものと知り、殺す事にしたのだろう……

 もし、此処で彼女を犠牲にすれば、私は放免される。だが、私はもう二度と胸を張って生きる事など出来ない。そして、私は神官に監視され続けるだろう。深い罪を背負い続け、今以上に自由を奪われる。

 

 もう、「心」を否定されながら生きるのは嫌だ!

 

「神官ハーツ様! 私は、神の存在と『貴方の教え』を否定しました。それは、紛れも無い事実です」

「(ルナー、何を言ってるの!)」

 リバレスの声が脳裏に響く。だが、私はもう、真実に従うのみだ。迷いは消えた。最期の時まで、自由を叫び、戦ってやる!

 紅潮するハーツの顔。その顔が、私の言葉の信憑性の高さを裏付ける証拠だ。

「失望しましたよ……。天使ルナリート君。其処まで、君が毒されているとは。憎きハルメスの影響でしょうねぇ」

 ハルメス兄さん……! 私は怒りの余り、目の前が真紅の炎に包まれているような感覚に襲われた。

「貴様!」

 私は神官に掴みかかろうとしたが、「ドガッ!」という音と共に、親衛隊の「衝撃」の神術で、壁に叩きつけられただけだった。私は、神官を睨み立ち上がる。しかし、直ぐに親衛隊が私を拘束した。

「君の裁判は、今夜九時より行います。それまで、自分の愚かさを精々呪うがいい! 彼を牢へ」

 言葉にならない、ジュディアの絶叫を背後に聞きながら、私は鉄格子の中へ放り込まれる。だが私は、取調室の扉が閉じられても尚、睨むのを止めなかった。


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