6雲一つ無く、手を伸ばせば直ぐ宇宙に触れられそうな程に透明な空から、光の雨が世界に降り注いでいる。三月末の平日、巨大な硝子窓から光の差し込む午前十時の空港は、さほど人で込み合っていないにも関わらず活気に溢れている。 淡い桜色をした薄手のコートを纏った風音は、国際線の到着出口に立ち、格子状の金属に様々な色の硝子が嵌めこまれたモニュメントに内包された時計を何度も眺める。紡樹は既にこの空港には到着している筈であり、入国手続きがスムーズに行けばもう直ぐ風音は彼に会えるだろう。彼女は短時間ながらも毎晩紡樹と電話をしていたが、実際に会えるという何物にも代え難い喜びと、久々の再会でどう接していいか分からないという緊張で幾度か身震いをした。 私は此処で紡樹を為す術も無く見送り、無力な自分を責めて泣いた。 私が貴方に渡せたのは願いを込めたラピス・ラズリのペンダントと、生きている温もりだけだった。私が貴方から貰った生きる喜びに比べれば酷くちっぽけだったけど、今日貴方は戻って来てくれる。貴方なら必ず光を取り戻してくれると信じていたけど、やっぱり貴方から電話が来るまでは不安だった。ううん、やっぱりまだ少し不安。私はまだ貴方と再会していないし、渡した温もりを返して貰っていない。 私はどんな表情で紡樹を迎えればいいんだろう? 風音がそう心中で呟いた直後、税関を抜けて歩いて来る日に焼けた長身の男に目を奪われた。そしてその男の顔を確認した刹那、彼女の双眸からは涙が溢れる。彼女は涙を拭おうともせず、出国時の弱さなど微塵も感じさせない逞しさを身に付けた紡樹の元へと走った。紡樹は風音が間近に迫るとスーツケースから手を離し、風音を受け入れる為に両手を広げた。風音は其処に速度を緩める事無く飛び込み、細い両腕で力一杯紡樹を抱き締める。紡樹もまた風音の長い髪越しに彼女の背中を抱いた。絶望に囚われ、出国時に抱き返す事が出来なかった分を取り戻すかのように強く、強く。 「紡樹……、お帰りなさい!」 「風音、ただいま!」 ああ、私は本当にこの瞬間をずっと待っていたんだ! 体と心が芯から喜びに震えて何も考える事が出来ない。会って伝えたい事が沢山あって、さっきまでそれを考えていたのに、もうそんな事はどうでも良くなった。紡樹が目の前にいて私を抱き締めてくれている。私の「お帰り」に「ただいま」で応えてくれる。それが私にとってどれほどの事なのか、「初めて」知った。心から愛しているだけでは足りない、貴方は私にとって生きる意味そのものなの。貴方さえいれば、私は他に何も要らない! 風音の涙が、紡樹の匂いが染み付いた服に吸い込まれる。そして、風音の髪にも雫が繰り返し落ちる。二人は言葉を交わす事無く、唯お互いの存在が両手で抱えられる範囲にある幸せを噛み締めている。 二人はお互いの涙が止まるまで抱き合い、それから手を繋いで歩き出した。 「風音、ありがとう」 「私の方こそありがとう」 ――私達のありがとうには、他の誰にも分かって貰えない程の強い想いが込められている。私と紡樹の心は「あの砂漠」で固く結ばれ、二人で支え合って生きる強さを得たのだと思う。以前の弱い私達はもう居ない、今日からは生まれ変わった心で一緒に歩む。 「紡樹、疲れてるとは思うんだけど、私今から行きたい場所があるの」 右手で風音の手を引き、左手でスーツケースを引きながら、紡樹は風音に微笑み大きく頷く。その笑顔を見て風音の顔も自然とほころぶ。微笑み返す、たったそれだけの事なのに彼等の心の中心に火が灯る。 「ああ、行こう。長い間待たせたし何処へでも」 「良かった! それじゃあ、天気も良いし久々に海辺のドライブウェイに行こ」 「って事は、一旦俺の家に車を取りに帰るって事?」 「ううん、私レンタカーを借りて空港まで来たの。今日は私が運転するから紡樹はゆっくり休んでくれていていいよ」 風音は、紡樹が帰って来たらまずあの灯台のある海辺へ行きたかったのだ。心が穏やかになる彼等の大好きな場所、そして二人がいつも大事な話をする時に行く場所。 「風音が運転! 大丈夫なのか?」 「失礼ね。仕事でたまに運転してるから大丈夫よ」 運転だけじゃないわ。 きっとこれからの私達も大丈夫。 | |
目次 | 第四章-7 |