【第二節 待ち望んだ日々】

 

 眩しい……窓から射しこむ朝の光で私は目を覚ました。ここは夫婦の寝室だが、一緒に眠っていたシェルフィアは既に起きていて、今日の支度を始めている。この前の授業参観から数日が経った今日は、ある『特別な日』だからだ。リルフィも母を手伝う為に珍しく早起きしている。私は顔を洗い、真紅の髪に櫛を通した。そして、寝巻きからゆったりした服に着替えて部屋を出た。

「おはよう」

 私は厨房を訪れ、忙しなく動きまわるシェルフィアとリルフィに朝の挨拶をする。

「おはよう!」

 少し眠そうな私の声を聞いた二人は、零れそうな笑顔で挨拶を返した。二人とも、とても楽しく嬉しそうだ。それもその筈、今日は月に一度の『家族水入らずの日』だからだ。この日だけは、私は『皇帝の仕事』、シェルフィアは『料理長の仕事』、リルフィは『学校』を休む。そうする事によって家族だけで過ごせる時間を作っている。たまには仕事の事など何も考えずに、唯家族で楽しめる時間も大事だと思ったからだ。また、この日は基本的に世界中の人々も休むように奨励している。

「ルナさん、ちょっと待ってね!すぐ朝食にするから!」

 二人は、朝早くから家族で出かける為のお弁当を作っていた。ほぼ完成のようだが、私が起きてきたので先に朝食にするようだ。

「ああ、私も手伝いたいのに」

 と私が言うと、最愛の妻は首を横に振る。シェルフィアは、私には決して料理を作らせようとしない。一緒に作るのもいいような気がするのだが、彼女は私の為に美味しい料理を作るのが生き甲斐らしい。その気持ちはとても嬉しいが、たまには私も料理というものに挑戦してみたいと思うのは贅沢だろうか。

「パパは座ってて!ママとわたしで準備するからね」

 可愛い娘にまでそう言われたら私はそうするしかないな。

 

 こうして、まずは一家三人で愛情の込められた朝食を摂った。その後、外出用の服に着替えて荷物の準備もした。そして初夏の晴天の日差しの中、城の屋上に上った。

「よし、出発しようか!」

 私がそう言うと、シェルフィアとリルフィは私の体に抱き付いた。神術『転送』で移動するからだ。

「はーい!」

 二人の声が重なった。転送で移動するのには二人とも慣れているから当然といえば当然か。私は精神を集中して転送の術式を頭の中で描いた。その瞬間、私達の体がフィグリルから消失する!そして、目の前の景色が変わった。

「本当にパパもママもミルドの丘が好きなのね。わたしも好きだけどね!」

 と、ミルドに着いた瞬間リルフィが微笑みながら言った。リルフィは、8歳にしては大人びた口調だ。それは、彼女は本が大好きで5歳の頃から一日に3冊ぐらい読んできている所為だろう。この間、3000冊読破したと言っていたのには驚いた。しかも、私と同じで覚えようと思えば忘れないらしい。彼女は、しっかりとエファロードの血を引き継ぎながらもフィーネとシェルフィアの心も持っている。

「リルフィ、ありがとう!この丘があったからママはパパと出会う事が出来たのよ。何度も言ったけどね」

 シェルフィアはリルフィの頭を撫でながらそう言った。そう言う彼女はとても幸せそうで、リルフィも頭を撫でられて喜んでいる。そんな光景が私には何よりも貴重な宝物だと心から思う。これを守る為ならば私は何だって出来るだろう。かつて、フィーネを救う為に獄界に行った時のように……

「ははは、さぁ丘に登ろう!」

 こうして、私達は丘の上へと歩く。私とシェルフィアの間にリルフィを挟んで3人で手を繋ぎながら。時折、私とシェルフィアが繋いだ手を上にするとリルフィは嬉しそうに真ん中でジャンプしていた。ちなみに、ミルドの丘やリウォルの湖などに私達家族が訪れる時は他の人間には遠慮してもらっている。勿論、それ以外の日は誰でも来れるようになっているが。私達の存在(エファロードや天界、天使、獄界、魔、その他様々な出来事)は、10年前の戦い以降人々に広く知られる事となった。その際に、ミルドの丘やリウォルの湖、フィーネの肉体が眠る輝水晶の遺跡がある島などは『聖地』とされるようになり、人々に丁重に扱われ保護されている。だが、私達の恋愛談が世界中に知れ渡るというのも何処か恥ずかしいものがある。

「さぁ、着いたわよ!」

 ここは、丘の上の大木の下。かつて、私が堕天した時に出来た穴に生えてきた大木の下だ。樹齢は200年を超えるんじゃないだろうか?この木の大きさが、私達の歴史の大きさを物語っているような気がする。

「今日は何を作ってくれたのか、とても楽しみだよ」

 木の下に撥水性の高い皮のシートを敷き、簡単ながらも準備が出来た。そう、ピクニックだ。

「はいっ、パパ!わたし、ママのお手伝い頑張ったのよ!」

「ルナさん、沢山食べてね!」

 満面の笑みと共に差し出されたもの、それは……

「サンドウィッチか!今日はまた一段と美味しそうだなぁ!」

 様々な具が彩り鮮やかに入っており、香りもいつもより一段と芳しい気がする。それは二人の愛情を料理から感じ取っているからかもしれないが、美味しそうだし早速食べてみよう。

「う……うまい!」

 私は、大袈裟かもしれないが、全身に染み渡るような美味しさを味わった。

「良かった!」

 そんな私の様子を見て、二人は手を取り合って喜んでいた。

 こうして、木漏れ日と柔らかな風に吹かれながらの一家団欒が始まった。

「昔から、ずっとこんな日々を夢見てたわ」

 3人で美味しい昼食を食べて、リルフィが周りで四つ葉のクローバーを探して始めると不意にシェルフィアが呟いた。

「そうだな、私達が恋人になった時からの夢……いや、フィーネが小さい頃からの夢かな?」

「ふふ……流石ルナさん、何でもお見通しね。ずっと憧れてた……フィーネもシェルフィアも生まれた時は平和な日常じゃなかったから……でも、今はこうして夢が叶ったの。大好きな人と一緒に見る、何処までも澄み渡る空……何者にも怯えなくていい日々……そして、ここにいてくれる私達の可愛いリルフィ。その成長を見守っていける掛け替えの無い幸せ」

 まだまだ言い足りないようだったが、シェルフィアは言葉を止めてニッコリと微笑んだ。

「シェルフィア」

 私は彼女が愛しくてしょうがなくなり、抱き締めようとした時だった。

「四葉のクローバー見つけたよっ!」

 私達は驚いて思わず仰け反ってしまった!そして、赤面する。

「リ……リルフィ良かったわね!」

「お……おめでとう、リルフィ!それは大切にするんだぞ!」

 いつもと違う私達の様子にリルフィは不思議そうな顔をした。

「パパ、ママ何かあったの?」

「いや、何でもないよ。さて、次はリウォルの湖に行こうか!」

 私はそう言って、リルフィを肩車した。すると、途端に彼女は嬉しそうに私の頭を両手で持つ。

「うんっ!」

 こうして、私達はリウォルの湖へと向かう事にした。

 

 200年以上前から変わらぬ景色……穏やかな風を受け細波を立てる水面、そして遥かなる山々の壮大な影。ここは、私とフィーネが愛を確認し……シェルフィアとして生まれ変わった後に生涯、いや永遠の伴侶として生きていく誓いを交わした場所だ。今は夕刻で、辺りは紅色に染まっているが直に月と星明りに包まれるようになるだろう。

「今日もいい風が吹いているわね。さぁ、暗くなる前に夕食の準備を済ませないとね!」

 今晩は湖の近くで夕食を摂る。大自然の中で、家族だけの時間を過ごし食事をするのは最高の贅沢だと思う。

「よし、私は焚き火と食事場所を作るよ!」

 私がそう言うと、リルフィも私と一緒に折りたたみのテーブルや椅子を組み立て始める。

「朝はママを手伝ったから、夜はパパを手伝うね!」

 と言っていたからだ。テーブルや椅子の配置が終わると、私はかまどを作った。そこに、リルフィが拾ってきた薪を入れて『焦熱』の神術で火を点けた。すると……

「パパ、それは神術『焦熱』って言ってたよね?パパもママもそんな不思議な力を使うけど、わたしは使っちゃダメなの?」

 そうリルフィが興味津々といった様子で私に尋ねた。

「うーん……リルフィは私達の子供だし、少し訓練すればすぐに使えるようになると思うよ。でもな、大きな力っていうものは使う必要がないのなら使わない方がいいんだ。この世界は平和で、誰とも争う事もない。それにもし、世界が誰か悪い奴に壊されるような事になれば戦うのはパパだからね」

 私はそう言って、少し遠い目をしながら愛娘の頭を撫でた。

「パパ!そんな事言って一人で抱え込んだりしたらダメよ」

「ははは、そうだな。それだけの事が言える8歳はそうそういないぞ。でもな……パパは、ママと結婚して平和の中でお前を授かるこの未来の為に、昔大きな戦いをした。その時に、凄く悲しい事や犠牲があって……今がある。そんな辛い事はリルフィには味わって欲しくないんだよ」

 私がそう言うと、俯いていた彼女は私の顔を見上げて強い眼差しで言った。

「パパがそう思うのと同じ事をわたしも思うよ。きっとママだって同じ。だから、誰も傷付かないのが一番よ!」

 確かにそうだ。現実はそう甘くはないが、それが一番に決まってる。

「あぁ、お前の言う通りだ。ずっと皆が平和で在り続けられるように頑張ろう!リルフィが大人になってもな」

「うんっ!パパ大好きっ!」

 そう言って無垢な笑顔を輝かせながら、リルフィはジャンプして抱き付いてきた。背中まで真っ直ぐ伸びる真紅の髪が大きく揺れる。

「ありがとう、パパもリルフィが大好きだよ。(リルフィには、誰からも愛されて……誰にでも優しく接する事が出来て……何より、人の痛みがわかる子になって欲しいと思っていたけど、何も心配いらないみたいだな。)」

 そんなやり取りを繰り返していると、シェルフィアの料理が完成して夕食が始まった。

 湖は月光を浴び、山々は星明りに照らされる。また、焚き火の赤が空まで立ち昇っているような感覚さえ覚えた。この場所は、静寂が支配しているが確かな生命の力強さも感じる。それは、かつてこの場所で永遠を誓い……今もこうして愛する人と、愛する娘と共にいられるからかもしれない。

「綺麗な景色」

 格別に美味しい夕食を食べ終わり、今は3人で焚き火の傍で景色を眺めている。初夏とは言え、森の中で湖の傍ともなると夜は冷え込む。だから火の傍でリルフィを包みこむようにシェルフィアが座り、そのシェルフィアを包むように私が座っているのだ。

「リルフィはこの景色が一番好きね。初めてリルフィをここに連れて来たのは、まだ言葉も喋れない時だったわ。どんなに泣いていても、ここに来たら泣き止んだ。だから、パパに頼んでよく連れてきてもらったの。ね、ルナさん」

「ああ、そうだよ。リルフィは昔はよく泣く子だったから、一日に何度もこの場所に来た事もある。それも楽しかったけどな」

 私はそう言って、シェルフィアとリルフィを少し強く包みこんだ。

「うーん……わたし覚えてないよ。でも昔から好きだったって事は解るわ」

「ふふ、覚えてなくてもそんな事があって今のリルフィがあるのよ。それは忘れないでね。これから先も色んな事があると思うけど、パパとママは変わらずあなたを想い続けるわ」

「ずっとずっとな」

 私とシェルフィアがそう言うと、リルフィは私達の方を振り返り……

「パパ、ママ……わたしもずっと想い続ける!……大好きだから何処にもいかないでね」

「大丈夫(だ)よ」

 私達がそう答えると、彼女は何も言わなくなった。これは……

「……眠ってるわ。今日は朝早くから張り切って動いてたからね。私と一緒にルナさんを喜ばせたいって嬉しそうに」

「そうか……こんなにいい子に育ってくれて、本当に嬉しいよ。心はシェルフィアに似たんだな」

「もう!またそんな事を言うでしょ?この子は、心も身体も私達を半分ずつ受け継いでるわ。本当に子供って不思議……二人から生まれて、一人なのに二人分を受け継いでる。それに、愛情を注げば注ぐ程大きくなって……いい子に育つ。ね?」

「そうだな。不思議だよ。日が経つ毎に愛しさが増して、自分自身も強くなれる気がする」

 私達はそう言って強く手を握り合った。そして、リルフィを起こさないようにそっとキスをした。湖から優しい風が吹く……その風が水面を揺らし、キラキラと月明かりを反射させている。

「ルナさん、ずっと家族で幸せに生きていこうね」

「あぁ、シェルフィアとリルフィと一緒にずっと……ずっとな。最近は何だか少し恥ずかしくて言う事が少なくなったけど、シェルフィア愛してるよ。昔と変わらず……いや、今の方がもっとな」

「ルナさん、私も愛してるわ!そう言われると本当に嬉しい……だからもっと言って」

「わかった」

 

 そうして、暫く空を見ていると数多の流星が流れた。

 例えどれだけの時が流れたとしても、積み重ねられる永遠の心は決して消えはしない。

 死も、魂の離別も……私達を引き裂く事は出来なかった。

 

 どんなに深い悲しみや苦しみが訪れても……私は愛する者を守る。

 その為ならば自分の生命などどうなっても構わない。

 

 だが……この考えは、二人も同じだろうな。

 私は一人じゃなくなったから。

 

 人を愛する事で私は強くなれた。

 これからも、大事に守り……そして愛し続けよう。

 遥かなる星々の中で奇蹟的に同じ星に生まれ……同じ時を生きられる喜びを噛み締めながら。

 

 大好きなシェルフィア、リルフィを……

 

 

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