【第十五節 一筋の光】

 

 一体……幾時間……いや、幾日過ぎた事か……
唯ここにあるのは、意識の混沌……

 そして、目覚める事のない愛する人……

 何も出来ない。俺は、ここから動くことも出来ずにいた。

 

 だが、時間の感覚も消えてしまいそうな中で声が聞こえて
きた。

「……ルナー!」

 聞き覚えのある声……その声が、意識の外側から響く……

「……ルナー!しっかりしてよー!」

「バシッ!」

 その声と共に、俺は頬を叩かれた。すると、意識が少し戻った。

「……リバレスか?」

 俺は、ゆっくりとリバレスの方を向いた。

「……ルナー!悲しいのはすごくよくわかるけど、いつまでも、ここにいたって始まらないわよー!」

 リバレスも泣いていたのだろう。瞼が腫れていた。

「……そう……だな。一体あれからどれぐらい時が流れたんだ?」

 俺は泣き叫んで枯れた声でそう訊いた。

「……あれから3日よー!」

 リバレスにそう言われて、俺は少し驚いた。そうか、3日か……フィーネが死んでしまって……

「……フィーネ!」

 俺は、意識が戻ると同時に悲しみも蘇ってきて、枯れたはずの涙が再び溢れ出た……

「ルナー!しっかりしてよー!」

 その後……涙が収まってから……俺は、フィーネの冷たい体を抱きかかえて、遺跡の階段を上っていった。

 遺跡の中も……外の世界も……とても寒かった。心も体も……生きる者は全て凍りつく……そんな冷たさだった。

 外に出ると……吹雪で前が見えなかった。

 私達が好きだった雪がフィーネの体に降り積もる。それが堪らなく悲しくて……私は必死に雪を手で掃い続ける。

「……ルナー、今からどうするのー?」

 俺の肩に乗り、吹雪が目に入るのを手で遮りながらリバレスが
不安そうに訊いてきた。

「……フィーネを……誰にも触れられないように」

 俺はそう言って、吹雪の中を歩いていく……今は、夕暮れ時だが目の前は真っ白だった。

 歩き続けて……俺は、この島の西にある断崖までやってきた。

 この島の遥か西の方角には、ミルドがあるから……君が育ち、俺達が出会った。

 俺は、断崖の先端付近に穴を掘り……フィーネの体をゆっくりと入れた。

 その瞬間、また涙が溢れ出て……俺も死んでしまいたいとさえ思った。

 しかし……『約束』がある。ここで、希望を捨ててはダメなんだ。

 その後、フィーネが何者にも触れられぬように……フィーネの周りに強力な結界を張る。人間すら触れられないような……

 そして……『フィーネ』の姿を見られる最後の時がやってきた。フィーネの体はどんどん雪で覆われていく……

 俺の心とは裏腹に……フィーネの顔は安らかだった。まるで……何も不安な事が無いかのように……

「ルナー、フィーネは、きっと最後までルナを信じてたのよー……それで、今も何処かでルナが来るのを待ってる」

 俺の心を見透かしたかのように、リバレスが呟いた。そんな風に俺を励ます彼女の目からも涙が流れ落ちていた。

「……そうだ……『永遠の心』を持った魂は消えはしない」

 俺はそう言って、フィーネに土を被せ始めた。永遠を信じていても……この瞬間が余りに悲し過ぎて手が進まない。

 涙で何も見えなくなるのを、歯を食い縛って耐えた。何故……未来を誓った女性を俺が葬らなければならないんだ!

 何故……誰よりも愛する人を!眠っているだけのように見えるのに!

「……ルナー、ごめんね」

 フィーネを直視する事も出来ない俺に、リバレスはそう囁いたと思うと、俺に『神術』を使った!

「……リバ……レス」

 中級神術『催眠』だった。3日以上眠っていない俺の意識は……暗闇の底に沈んでいく……

 リバレスは……俺をこれ以上……悲しませないように……

 

 

 俺は夢を見た。フィーネと過ごした楽しい日々の夢を……

 ミルドの丘……レニーの街での祝宴……ルトネックからの漂流……リウォルの街……初めて愛が触れ合ったリウォルの湖……

 そして……永遠を誓ったフィグリルでの夜……

 そんな、シーンが流れた後に……フィーネが獄界に堕とされる最悪の情景が現れた!

 それが消えた後……最後に俺は何も見えない闇に包まれる。

 

 俺が……俺が間違っていたんだろうか?俺の所為でフィーネは死んだ。消えない本当の幸せを知る事なく……それでも君は幸せだと言ってくれた。俺に、フィーネを守る力が初めからあれば!何て非力なんだ!いつも君は俺に微笑んでくれた。俺も最初から、もっと優しくすれば良かったな……ごめんな……もし……時が戻るなら、俺は絶対に君を離しはしないし……辛い目にも遭わせないのに!……いや……それは、単なる現実逃避に過ぎない。

 フィーネを救う……それには、たった一つだけ方法があるんだ。恐ろしくて踏み出せないだけで!でも、君は俺を信じて……『死』すら恐れずに最後まで微笑んでくれた。俺は、何を恐れる必要がある?……『永遠の心』……俺達は魂にそれを刻んだ。俺が、命をかけて君の魂を開放する。普通は、転生したら記憶も心も消えるけど、

 フィーネなら大丈夫だよな?100年……1000年……一生かけるって言ったけど、どうやら無理みたいだ。

 心が、冷たくて痛くてどうしようもないんだ。今すぐ迎えに行ける方法があるから、すぐに行くよ……どんな苦しみよりも……痛みよりも……そして死ぬ事よりも……君の魂と離別する事の方が辛いってわかったんだ。

 俺が……フィーネの魂を開放出来たら……代わりに俺が命を失うかもしれない。いや、その可能性の方が高い……

 それでも、俺は恐れない。もし、そうなってもフィーネが俺を見つけてくれるから!

 

 たった一つの方法……それは俺自身が『獄界へ乗り込む事』……

 

 天界と敵対する獄界……会う者は全て敵……たった一人の天使がそこで何を出来るかなんてわからない。

 普通に考えたら……殺されるに決まってる。いや、魂の破片すら残らないかもしれない。

 でも俺は、フィーネの為なら何でも出来る自信があるんだ。

 

 迎えに行くよ……獄界に!

 

〜新たな目覚め〜

 眩しい……俺は、強い光が瞼の向こうから射しこんで来る所為で目を覚ました。

「ルナー、半日以上眠ってたわよー」

 目覚めた俺の目の前には、心配そうに顔を曇らせたリバレスがいた。そして……フィーネの体が眠る地には、大理石の墓が出来ていた。

「……リバレス、これはお前が作ってくれたんだな?」

 俺がリバレスに訊くと、彼女は黙って頷いた。俺にあれ以上の悲しみを与えないようにしたんだ。

「……リバレス、すまない」

 俺は、リバレスの頭をそっと撫でた……そして、俺はフィーネの墓碑を見つめていた。

「……ルナー、これから、どうするのー?」

 遠い目をする俺に、リバレスは不安げに尋ねる。しかし、この時俺の行くべき道は決まっていた。

「……俺は、獄界へ行く。獄界に乗り込んで、フィーネの魂を解放させるんだ」

 俺は、夢の中で決めた意志を伝えた。すると……

「な!?獄界って!いくら何でも、危険過ぎるわよー!『魔』の支配する世界よー!ルナが強いからって……絶対に殺されるわよー!」

 リバレスは、顔を真っ赤にして叫んだ。当然の反応だ……もしも逆に、魔が天界に単身で乗り込んできたなら間違いなく始末される。本当に強い力を持つ者は、獄界にいくらでもいるだろう。リウォルタワーに現れた、シェイドのような力を持つ者……そして、それを操る『神』と同等とされる『獄王』……そんな強者から、『魂』を取り戻さなければならない今の俺の力……髪は銀色で目は真紅のままだが…… 光の翼は失われていた。この力では……シェイドレベルの魔が精一杯だ。でも、俺は、フィーネの為なら何でも出来る!

「わかってる。……でもな、フィーネは俺を信じて死んでいったんだ。俺は、約束したよ……何年かかっても絶対に見つけ出すって……でも、俺は待てないんだ!獄界でフィーネの魂が傷付けられるのも耐えられない。それ以上に、離れてしまった心が苦しいんだよ!俺には、フィーネが必要なんだ!……でも、お前には獄界へ来いなんて言えない。お前まで危険に晒したくないから」

 俺は正直な気持ちを叫んだ。リバレスは来なくていい……フィーネを助けるのは、俺の問題なんだ。

「……それで万が一、フィーネの魂を解放出来たって……永遠を心に刻んでいたって、転生したら記憶は失われる!それが、現実なのよー!甘い幻想を見るのは、いい加減にしてよー!」

 リバレスは、必死で俺を止めようと辛い現実を叩き付けた……そんな事は理性ではわかってるんだ!

「……幻想だっていい!俺は『永遠の心』を約束したんだ!でも、もし……転生して、フィーネが全てを失っていたら……それでも構わない。それが……俺がフィーネにしてやれる唯一の事だから!」

 この言葉でリバレスを納得させられるとは思わなかった。それでも、俺は真剣な目で彼女を見つめた。

「……もー!また、ルナは勝手にそんな事を決めるでしょー!?……じゃー、わたしが自分の意思で獄界に行くのも勝手でしょー?わたしだって、フィーネを助けたい。それ以上に、ルナが心配なのー!……それに、わたしはルナがいないと生きていけないから」

 今度は、リバレスがそんな事を言ったので俺は驚いた!

「何で、そうなるんだよ!?獄界が危険なのはわかってるだろ!?大人しく、人間界で待ってるんだ!」

 俺は、必死でリバレスを制止する。これじゃあ、立場が逆だ……

「……ルナー、勝手なのはお互い様よー!ルナが、わたしを心配するように、わたしはルナを心配してるのー!何でも、一人で出来ると思ったら大間違いよー。ね?早く、フィーネを助けに行きましょー!」

 と、リバレスは微笑みながら言った。これじゃあ、まるで俺が子供だな。

「……ありがとう……お前は最高のパートナーだよ」

 こうして、俺達は『獄界』へ行く為にフィグリルへ戻る事にした。ハルメスさんに、神術を使って合図を送る。すると、夕暮れ頃に迎えの船が来た。船に乗って、島を離れる時……白い大地が夕陽に照らされ、温かい光を放っていた。その中で、断崖にポツンと立つフィーネの体の眠る標は……悲しそうに輝いている。俺は、それを見て再び涙が溢れるのを感じた……

 

 でも、フィーネを助け出すまでは、もう泣きはしないよ……そう誓った。

 少しの間、寂しいかもしれないけど、信じて待っていてくれ……すぐに行くよ……

 君の魂を助け出して……俺も無事だったら……今度こそ、永遠の幸せを掴むんだ。

 いや……絶対にそうしてみせる!永遠の心……お互いが信じている限り負けはしない!

 

 俺達は、悲しみの満ちた島を離れ……新たな旅の決意を固めた。

 日はすっかり暮れて、雪の降りしきるフィグリルの街を歩いた。街灯に照らされた雪が物悲しい……

 こんな景色を……再び君と歩く為に……俺は戦うんだ!

 俺とリバレスは、無言で神殿への道を歩いていった。リバレスは、指輪の姿に変化しているが……

「……ルナ!フィーネさんは!?」

 神殿に着き、赤い絨毯の上で体の雪を掃っていると、ハルメスさんが全速力で駆け寄ってきた。

「……フィーネは」

 俺は、事情を説明しようとしたが言葉に詰まってしまった。喉から声が出てこない。

「……お前のその髪……そして、その目……その力……それでも救えなかったのか」

 ハルメスさんは、全てを察したかのように俯いた。沈黙の時が流れる。

「……お前も……エファロードだったんだな」

 ハルメスさんがポツリと呟いた。お前も?

「……ハルメスさんはエファロードを知っているんですか!?まさか、ハルメスさんも!?」

 俺は驚いて、思わず叫んだ。

「……いや、俺はエファロードの責務を捨てた男だ。それにしても……お前は本当に、俺にそっくりだよ」

 彼は遠い目をして語った。意味が深すぎて理解出来ない。一体何を言いたいのだろう?

「……エファロードとは……何を指す名前なんですか?」

 俺は単刀直入にそう訊く。俺は自分が何者なのか知りたかったからだ。

「……いずれわかる。力の覚醒の第四段階に達したならな……それよりも、お前が今からすべき事があるんじゃないのか?」

 遠い目をしていたハルメスさんは、急に力強い目をして俺を見据えた。そうだ、今は思案を巡らせている場合じゃない。

「……俺達は……『獄界』に行きます。フィーネの魂を救いに!」

 深呼吸して、俺は彼に応えた。リバレスも元の姿に戻る。

「……獄界!?流石にそれは無謀だぞ!」

 俺の言葉に、ハルメスさんは驚愕の表情を見せた。そこまでは予想していなかったのだろう。

「構いません。無謀でも。もし……あなたの恋人の、ティファニィさんの魂が獄界にあるとしたらどうしますか?」

 俺は真剣な目をしてハルメスさんに問い返した。答はわかっていたが……

「……無論、命をかけて取り戻しに行くさ。そうだな。俺もそんな事があったんだ。ティファニィが『魔』に殺されかけた時が…… 俺はその時……『天使の指輪』の力を使って、あいつを蘇らせた。指輪は、一度外すと二度と天使には戻れないんだ。無論、天界にも戻れない。あいつを救う為なら、天使としての自分なんてどうでも良かったよ……命さえ惜しくなかった。……本当にお前は、余計な事まで真似してくれるな」

 そう言ったと思うと、間髪を入れずに彼は続ける。

 

「人間界は俺が守るから……行ってこい、獄界に!」

 

 過去の真実を語り、ハルメスさんは俺の肩を強く叩いた。勇気と力が溢れてくるのを感じる!

「はいっ!……あと、一つ聞いてもいいですか?」

 俺は、力強く返事した後にどうしても一つだけ質問したい事があった。

「……ルナー、あんまり昔の事を訊いたら失礼よー!」

 そこで、リバレスが俺を制止する。きっと、俺がハルメスさんの心の傷を掘り返すと思っての事だろう。

「構わないぜ。何でも聞いてくれ!」

 予想に反して、ハルメスさんは強気に笑いながら答えた。やはり、この人の広さにはまだまだ及ばないな……

「ハルメスさんは……『永遠の心』は転生しても消えないと思いますか?」

 これが聞きたかったんだ。この答が……例え気休めでも、肯定の言葉を。

「……ああ、勿論だ。現に……ティファニィの心は俺の中にある。信じていれば、叶わない事などないさ」

 言葉の意味は深かったが、俺はそれ以上聞かない事にした。だが、信じる心が更に強さを増したのは確かだ。

「あのー……ところで獄界に行く方法は?」

 そこで、リバレスが本題を切り出す。そうだ、その手段が無いと始まらない。

「それは、たった一つの方法しかない。獄界への道……死者の口を通る事だ。全ての魔は、そこを通って人間界に現れる」

 それが意味する事……それは、獄界から人間界に来る魔の全てと対峙しなければならないという事……俺は身震いした。

「……内部の構造はわかりますか?」

 俺は恐ろしさに唾を飲み込みながら、そう訊いた。人間界と獄界との接点はどんな構造なんだろうか?

「詳しくはわからないが……天界の書物によると巨大な塔のような構造らしい。数千階もの高さの……そう、天界と人間界をつなぐ贖罪の塔と同じ高さらしいが。何にせよ、苦しい戦いになる」

 ハルメスさんは深刻な顔をした。きっと、俺を心配しているんだろう。

「獄界への道にはどうやって行けば?」

 心配している彼に、更に質問をする。俺の心は焦っていた。こうしている間にも、フィーネの魂はどうなるかわからないのだから……

「……明日の日の出と共に、俺が獄界への道の入り口まで送ってやるぜ。要塞のような島だからな……俺がこの街を離れると、街の結界は消えるが……今はそれどころじゃない。他でも無い、ルナとフィーネさんの為だ」

 そう言うと、ハルメスさんは目を閉じた。数秒たって、目を開けると目は真紅に変わっていた!そして、背中に光の翼が生まれた!

「……ルナとそっくりーじゃないのー!?」

 リバレスが驚くのも無理はない!顔は違えど、感じる力や姿の変化は俺にそっくりだったからだ!

「ふぅ……ルナ、リバレス君、今日はゆっくり休むんだぞ……明日からの重労働に備えてな!」

 元の姿に戻ったハルメスさんが優しく言った。焦る気持ちは強いが……この夜が、人間界での最後の夜になるかもしれないんだ。

 俺は、自分の命にかえてもフィーネを救う気だ。

「はい、ハルメスさん、俺は貴方に、感謝しています。心から」

 俺は、深く礼をしてから部屋への道に就いた。貴方に会えて、俺は強くなれました。

 

 明日は獄界に向かう……俺の事を理解する、最高のパートナーと共に……

 部屋は暖炉の火に暖められて、窓は曇って真っ白だった。それを、指で擦ると美しい空の月が現れた。

 少し窓を開けると……雪は止み……澄んだ空気と……肌を刺すような冷たさを感じた……

 君は今何処で何を見ているんだろう。今は、同じ景色を見る事は出来ないけど、必ず、ミルドの丘に行こうな……

 俺は、窓際を離れて、ベッドに戻った。そして、疲れたのかぐっすり眠っているリバレスの頭を優しく撫でる。

 

「リバレス、ありがとうな。明日からもっと辛いけど、俺はお前を守るから……お前も俺を助けてくれよ。頼りにしてるぞ」

 

 そう言うと、リバレスは眠りながら笑顔を見せた。俺には守る物が多いな……そう思うと、照れくさかったが心強かった。

 今日はもう休もう……俺は、人間界に堕ちてからの日々を思い返して眠りの世界へと吸い込まれていった。

 

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