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 翌朝、舞苺はいつもより早く起きた。昨日、帰宅してから家政婦に頼んでいたので、朝食は既に用意されている。彼女は、毎日一人で朝食を食べる。

 父はいつも仕事で家を空けており、帰宅するのは月に一回あるか無いかで、母は仕事を終えると不倫相手の所に泊まりに行くので、殆ど家には居ない。二人の兄は海外留学中である。だから、家に居るのは舞苺と家政婦だけだった。

「あぁ、何で迎居君はメールを返してくれなかったんだろう。どんな男でも、私のメールには直ぐ返信をくれるのに」

 望んでないのに、男は寄って来る。私の容姿や財産を目当てにして。そんな奴らは大嫌いだ。どうでもいい男は、適当に冷たくあしらう。そうしないと自分の身を守れないから。頭も悪くて、絵も私より下手な男なんて要らない。けど迎居君は違った。私より絵が上手い。それに、私にメールを返して来ない。

 舞苺は、登校時に緋月に会う為に早起きしたのだ。会って話をしたかったから。だが彼女は、緋月に惹かれた本当の理由に気付いていない。絵の上手さも、メールを返さない事もその理由に比べれば些細な事だ。

 

 彼女は、緋月が放っている何処までも深い孤独感に惹かれたのだ。

 精神が破綻する、一歩手前で踏み止まっているかのような、狂気にも似た孤独感に。

 そして舞苺は知らない。その孤独感を、自分も宿している事を。

 

 舞苺は、昨日よりは少し控え目で可愛らしい服を着て家を出た。黒のフリルブラウスに白のプリーツスカート、ブーツは黒だ。

 緋月の家の場所は昨日聞いていたので、其処から学校への道の途中で待っていれば必ず緋月と会える。舞苺は、彼が通る推定時刻の三十分前には目的地に着いた。その目的地は、駅から学校に向かう途中にあるコンビニで、雑誌でも見ながら緋月を待つ事が出来る。

 本を見ている振りをしながら、硝子越しに道路を眺める。舞苺の予想通り、緋月はコンビニの前を通り過ぎた。後は偶然を装って話し掛けるだけだ。

「おはよう! 迎居君。コンビニに居たら、迎居君が通るのが見えたの」

 ばっちりだ。自然な笑顔と声を出せた。

「おはよう。いつもは講義ギリギリに来るのに、今日は早起きなんだな」

 思ったより鋭い。それより、今日の私の服を見て。可愛いでしょう?

「たまにはね。昨日、迎居君と話をしたら、絵に対する情熱が膨れ上がったから、早く大学に行きたくなったの」

「おぉ、それは良い心掛けだな」

 即興の言い訳にしては十分よね。はぁ……、彼は私の服を一瞥しただけで終わりだった。折角気合を入れて、迎居君が好きそうな服を選んだのに。でもこんな事でめげちゃ駄目だ。

「ところで、明日からゴールデンウィークだけど、迎居君は実家に帰るの?」

 帰らないと言って! そうじゃ無いと、私の計算が狂う。

「いや、遠いし帰らないよ」

 よし。此処からが本番だ。ああ、緊張する。

「明後日、空いてる?」

「……え? ああ、特に予定は無いけど」

 これで、迎居君に彼女が居ないのはほぼ確定だ。初めは彼女が居ると思っていた。左手にペアリングらしき指輪をしていたから。でも昨日話してる時に、左手の指輪と対になるもう一つの指輪が彼の首元に見えた。恐らく、別れた彼女の事を引き摺っているのだろう。それなら、私にチャンスがある。だからこそ私から積極的に誘うんだ。

 

 迎居君は、私が自分から初めて好きになった人だから。

 

 昨日、彼の絵を見た瞬間(とりこ)になった。彼の何処か人を寄せ付けない雰囲気も魅力的。そして実際に話をしてみたら、たまに言葉に(とげ)が混じるけど、優しい人だと解った。

 さて、後は迎居君なら必ず来る場所に誘うだけだ。

「美術館に行こうと思ってるんだけど、一緒に来てくれないかな?」

「もしかして、学校に掲示してあったやつ?」

 目を輝かせてる。迎居君の好きな絵は昨日大体把握した。ううん、把握したと言うよりは私と同じ。だから、彼が見に行きたい絵は手に取るように解るわ。

「そうよ。明日から始まる特別展」

「勿論行くよ。一人でも行こうと思ってた」

「良かったぁ」

 舞苺は、微笑みを浮かべながら穏やかにそう言ったが、彼女の心は舞い上がっていた。緋月は特に何も疑う事無く、朝から舞苺に絵について話をする。

 

 私は迎居君に一途よ。絶対に、お母さんみたいにはならない。

 

 舞苺は学校に着く直前、そう心中で呟いた。

目次 第二章-6