14

 

 飛行機は東に飛び、北半球にある大国を経由して南下する。目的地の時差はマイナス十四時間で、季節は冬だ。だが冬と言っても赤道に近いので、平均気温は母国の十月と大差は無い。

 二十時間のフライトを経て、目的地には夕方に着いた。これだけ長時間飛行機に乗ったのにも関わらず、日付が変わっていない事に緋月は感慨を覚える。だが、空港に着いた瞬間から、緋月にはやるべき事があった。

 宿を探さないとな。この街には一週間程滞在する予定だから、出来るだけ安い宿を。それにしても、俺が想像していたよりも随分都会だな。高層建築は多く無いが、見渡す限り広い道と建物、車と人で埋め尽くされている。薄っすらと、東の方に山も見えるな。

 緋月は、出国前に考えていた通り、南東にある首都の中心地へ向かう事にする。中心地は宿泊費用が嵩むが、治安は良い。その中で出来るだけ安い宿を探すつもりだ。彼がタクシー乗り場に近付くと、数名の良く日焼けした現地人が近付いて来る。

 運転手か。都合が良いが、騙されないように気を付けないとな。この国の公用語は少し勉強したから、大丈夫だろう。

「タクシー、乗る?」

 驚いた。片言だが、俺の国の言葉を知ってるのか。

「市街地へ行きたいんだ」

 運転手達は顔を見合わせた後、全員が同時に「行こう」と言って、緋月の服を引っ張った。自国では有り得ない強引な客引きに気圧されて、緋月は一番真面目そうな男のタクシーに乗る事にした。

 緋月が助手席に座ると、車は急発進した。驚いた緋月が、運転手に「危ない」と言うと、運転手は笑って「大丈夫」と返した。平然と他の車の間に割り込み、交差点ではウィンカーすら出さない。何処に向かっているのかも解らなかった。そして、緋月はふと思い出す。この国では、料金は乗る前に交渉しなければならない事を。

「あの、料金は幾らになるんですか?」

 緋月が左に座る運転手に声を掛ける。だが、彼は首を傾げた。緋月は言葉が通じなかったのだろうと思い、この国の言葉で訊いた。すると、運転手は「大丈夫」と答えて、鼻歌を歌い出した。

 大丈夫じゃ無いだろ。まず、この車は本当に市街地に向かっているのか? 今窓から見える街は、華やかな感じがしない。寧ろ寂れた下町だ。どうにかしなければ。

 緋月は、この国の言葉で行き先を叫んだ。すると、運転手は緋月に謝り、道をUターンする。何も言わなければ何処に連れて行かれるか解らない。此処は異国なのだと、緋月は肝に銘じる。

 空港を出てから三十分程経って、ようやく市街地が見えた。何度もガイドブックで予習して脳裏に焼き付けていた街だ。緋月が安堵の溜息を吐き、「降りる」と言うと運転手は、料金を呈示して来た。ガイドブックに書かれていた料金の目安の五倍だった。

「高過ぎる!」

 緋月が大声を出して食って掛かるが、運転手は澄ました顔で首を振る。

「払えないなら、空港に戻る」

 男が不気味な笑みを浮かべてそう言ったので、緋月は怖くなり結局男の言い値を払って、タクシーを降りた。勉強代だと、自分に言い聞かせながら。

 

 入国した途端これか。俺はこんな国に二ヶ月も居られるのか? だが帰る訳にはいかない。俺は、何も見付けていないのだから。

 緋月は険しい顔をしながら、宿探しを始めた。警戒心を高め、毅然とした態度で複数の宿を回って交渉を繰り返す。日が落ち、街が茜色に染まっても緋月は満足の出来る宿を探し求めた。料金、安全面でようやく納得出来る宿を見付けた時には、空に無数の星が輝いていた。宿で食事を取った後、緋月は倒れるようにベッドに寝転がり、瞬く間に眠りに就いた。

 

 翌日から、緋月はこの街で興味をそそられる場所に、片っ端から出向いた。教会や地下墓地、広場や公園、ショッピングモールに至るまで。多くの現地人と話し仲良くなり、時には自国の人間と出会って食事を共にしたりする。例え言葉や国が違っても、全力でぶつかっていけば解り合えるものだと緋月は悟る。

 この街を去る頃には、緋月の顔は逞しい旅人の顔に変わっていた。

 

 此処では誰も俺の事を知らないし、俺から求めなければ何も得られない。弱みを見せれば付け込まれるが、強気で応対すれば悪意のある人間が寄って来る事は少ない。

 はっきり解った。俺は甘えてたんだ。家族に、真に、社会に。そして何より雪那に。少なくとも、この国で生きていく為には、何もかも自分で決めなければならない。しかもその決断の責任は全て自分が負う事になる。誰も俺を助けれはくれないのだ。

 これが生きると言う事だ。自分で考え、決断し、行動する。それが出来なければ、生きていく事は出来ない。惰性のままに生きる事など許されはしない。

 選択を誤れば、直ぐに危険に陥るこの街で俺は理解した。限り無い自由と責任を背負って、初めて解った。

 

 俺は生きている。そして、生きたいんだ。

目次 第二章-15