第一章 天界

 

第一節 歪曲(わいきょく)

 

「判決を下す!」

 

 十二月三日。冬の始まりを告げる冷たい風が肌を刺す、午後九時。狂気染みた甲高い声が、広大な室内に響き渡った。

 此処(ここ)は、神が統括する「天界」の中枢、「神殿」の一階にある大礼拝堂。(ほこり)一つ無く磨かれた大理石の内壁、風に靡かない特殊な「神術(しんじゅつ)」を施された燭台(しょくだい)が特徴的である。神術とは、天使が精神エネルギーを用いて使うあらゆる術を指す。

 そして、声の主は、神官ハーツ。神が天使の前に姿を現さない現在、実質的にハーツが天界の最高権力者である。天使の寿命が平均一万年という現代、七千五百九十九歳という高齢でありながら、肌と声には張りがあり、衰えを感じさせない。

 自己に陶酔している、神官の歪んだ顔を一人の青年が睨み付けた。鋭さと温かみが並存した、端正な顔。コバルトブルーの大きな瞳。そして天界で唯一の、真紅に染まった滑らかな髪。一見すると、髪が少し短めの女性と見紛(みまが)う彼は、一万席ある観客席の最前列に座り、強く拳を握り締めている。

「(神官ハーツ……、お前はどれだけ罪深い裁判を行えば気が済むんだ)」

 彼は激しい怒りを噛み殺していた。そうしなければ、今にも立ち上がり、神官に剣を向けるだろう。自分の爪が掌に当たり、血が(にじ)み出る。自分の髪の色と同じ鮮紅。その時、神官が言葉を続けた。

「被告クロムは、聖歌隊の隊長という輝かしい身分でありながら、神への忠誠を忘れ、そればかりか神を冒涜(ぼうとく)した罪により、『魂砕断(こんさいだん)』に処す!」

 クロム。彼は青年の育ての親である。その親が今、理不尽な裁判により、魂を砕かれようとしているのだ。魂を砕かれた者は転生が出来ない。天使達は例え死んだとしても、魂がある限り、記憶は失うが何度でも生まれ変わる。転生は天使の権利であり、幸福であると考えられている。よってこの刑は死刑よりも重い刑で、「堕獄(だごく)」という魂を「獄界(ごくかい)」へ堕とす極刑の一歩手前の刑である。青年はこの言葉を聞いて我慢が出来ず、立ち上がった。

「待って下さい! クロムさんは、神への賛美歌の歌詞を『一言』間違えただけです!」

 青年の声で、神官の顔に戸惑いが浮かんだ。だが、それは()ぐに消え、冷徹な微笑が浮かぶ。ゆっくり、だが迷いの無い声で、神官は語りかける。

「ルナリート君、君は天界一優秀な生徒であるというのに、口答えとは感心しませんねぇ。君の頭脳なら、私の裁きが正しい事を瞬時に理解出来る(はず)ですが。まさか、君も死にたいのですか?」

 私を見据えて、ニヤッと笑う神官。頭に血が上り、私は無意識に剣の柄へ手を伸ばす。

「やめろ、ルナ! 俺に構うな」

 クロムさんの声が礼拝堂に響く。彼の目は、私に強く訴えかけていた。生きろ、と。

「ルナー、座って!」

 金色の、腰まである長髪を首の辺りでシルバーのバレッタで留め、蝶のような羽を震わせる、「天翼獣(てんよくじゅう)」のリバレス。彼女も、私の右肩の上で(いた)わりと強さを(たた)えた蒼い双眸(そうぼう)を見開きながら、私を落ち着かせようと声を上げた。

 言いたい事も言えない、束縛された世界なら神官に逆らって殺された方がましだ、と思う事もある。だが私は……、此処で殺される訳にはいかない。私には為すべき事があるからだ。悔しさに歯軋(はぎし)りしながら、私は席に座った。

「神官ハーツ様、天使ルナリートは、勿論貴方の教えを理解しています。その証拠に、彼は着席しました。どうぞ、裁判を継続して下さい!」

 透き通るような白い肌、上品にウェーブがかかった髪、そして誰もが羨望(せんぼう)する美しい顔のジュディアが、私に責任が及ぶのを恐れて裁判の続行を促した。

「そうですね。聡明なるルナリート君が、私に逆らう筈がありません。裁判を継続します!宜しいですね? ルナリート君」

 満足そうに、薄気味悪い笑みを浮かべ、こちらを見るハーツ。彼を止められる者は誰もいないのだ。私は涙を浮かべて、頷いた。

 

「善良なる天使の皆様、判決は即座に執行されます!」

 

 そう叫ぶや否や、白い甲冑(かっちゅう)を着た、神官の親衛隊八人が、クロムを透明な球形の拘束具に押し込めて、神術による封印を施した。

 クロムは拘束されながらもルナや、自分の家族に微笑んだ。自分がこれから消える事を恐れていない訳では無い。(ただ)、彼は自分の大切な人に笑って生きて居て欲しいだけなのだ。

 ルナは彼を直視出来なかった。身寄りの無かった彼を、三百年間育ててくれた彼の死を目の前で見る事に耐えられなかったからだ。

 そして、刹那(せつな)の間を置いて、ハーツが声を張り上げた。

「神よ……、この不浄なる者の魂を、『永遠に』滅します! 怒りを鎮めたまえ!」

 ハーツが、その言葉と共に、純金と宝石が散りばめられた豪奢(ごうしゃ)な杖を振り上げた。その瞬間、杖に凄まじい光熱が集まる。大礼拝堂そのものを焼き尽くせそうな程の。

 そしてハーツは、冷笑と共に杖を振り下ろした!

「うわあぁぁ……!」

 耳を塞いでも聞こえて来る、痛烈なクロムさんの最期の声。私は、彼の痛みを忘れない為に、顔を上げた。

 拘束具ごと、光熱の刃に裂かれ、少しずつ彼の体は蒸発していく……。その後には、破片も血液すらも残らない。彼の全てが爆音と共に消えた時、魂も消滅した事を知った。

 

「(クロムさん……、貴方を救えなくてごめんなさい。貴方の為に、今まで無念の中で殺された天使達の為に、私は誓います。勉強を積み、『神官』となり、この世界を変える事を!)」

 

 私は、流れる涙を拭う事も無く、クロムさんの最期を目に焼きつけ、誓った。自由を許されず、神官の気分一つで命が奪われる、誤った世界を正しく導く事を。

 処刑の余韻が消えた後、上機嫌のハーツが、高らかに叫ぶ。

「善良なる天使の皆様、罪人は葬られ、私達には再び安息が訪れました! 神への賛美の歌を歌いましょう!」

 その掛け声の直後、聖歌隊が一音の狂い無く歌い始める。だが、その声には一切の感情が()もらず、譜面通りの音を出しているだけだ。彼等の顔に浮かぶのは、(ただ)、恐怖。

「神を称えよ 神を崇めよ 我らが絶対なる神を

 神は光 神は全てを創られた

 我々には神を除いて何も必要ない

 全てを捨てて神に従え……」

 虚しく響く旋律と声。天界は奏でる。潔癖なまでに定められた法通りの日常を。そして、不変の明日を。


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