Prologue
見渡す限り、凍り付いた大地と廃屋。朽ち果てた木は深雪に埋もれ、吹き荒ぶブリザードが叫びを上げる他に物音は無い。この大地には最早、住む人間は居ない。
広く平坦な氷の上に、新雪よりも真っ白な石の一部が浮き出ている。氷の下には大地がある事から考えて、此処はかつて畑だったのであろう。
石の前には女が座っている。漆黒の瞳と髪を持つ女。瞳は大きく華があり、何処か儚さを醸し出している。髪には艶としなやかさがあり、彼女の背中まで届きそうだ。彼女は、保温性が高く、風を殆ど通さない防寒具を纏い、遥か遠方の地から此処に来た。この大陸までは航空機で、其処からはスノーモービルに乗って。やがて彼女は、深呼吸の後手袋を外し、純白の石に触れた。ブリザードが止み、辺りは静寂に包まれる。
「私との約束、二つとも守ってくれたんだね。ありがとう」
彼女の頬を透明な雫が伝う。手が悴(かじか)み涙が凍っても、彼女はその場から離れない。この瞬間に到達するまでの苦しみと、気が遠くなるような時間に比べれば、寒さなど彼女には他愛無いものだったからだ。
彼女は全てを理解したのだ。「彼」の想いを、生きた証を。
「今は、この世界に向日葵(ひまわり)は咲かない。でも……」
彼女は立ち上がり、ゆっくりと、愛おしむように周囲を見渡した。かつてこの場所にあった、向日葵畑が脳裏に浮かぶ。誇らしげに、東を見詰めて咲き誇る沢山の向日葵。
そして瞳を閉じれば、別の光景が思い浮かんだ。小高い丘の上で歌う少女。其処へ駆け付ける少年。鳥の囀(さえず)りも、彼の温もりもはっきりと憶えている。
「会いたいよ、ケイ、緋月(ひづき)」
彼女は涙を拭って空を見上げた。淡雪が、彼女を包み込む。