Epilogue

 二人が幾度も出逢い、心を通わせたのは偶然でも必然でも無い。唯、彼等がそれを望み、想いを「私」に刻み付けた結果だ。

 だが私の中に居て、私を認識出来る者は稀有である。私に想いを伝えられる者となると、尚少ない。私は全てであり、全ては私でもある。個の集まりが私なのだ。故に、個である人間が私を完全に知る事は出来ない。しかし、個であるからこそ私を実感する事が出来る。

 人間も、微細な個の集まりによって作られている。細胞の一つがその人間そのものを全て理解する事は出来ないが、その細胞には人間の構成要素が全て含まれている。

 私は不変では無く、流転である。

 私は如何なる時も、以前と同じ姿では無い。だが、以前の姿を構成していた要素は全て、今の私も有する。

 生物も非生物も、速度は異なるが絶えず変化し生まれ変わっているのだ。

 人は誕生を自らの意思で選ぶ事が出来ない代わりに、死までの間は心に従って生きる事が出来る。しかし生きる事が幸せかどうかは、生きている者の主観でしか判断出来ない。同時に、死が不幸かどうかも、死んだ者にしか理解出来ない。

 生と死は、生命にとって区切りではあるが、始まりでも終わりでも無いのだ。

 全ては私の中で邂逅と離別を繰り返し続ける。

 今日もこの星では、太陽が昇り生命を育む。皓月(こうげつ)は穏やかにこの星を見守るだろう。

 世界に、永久(とわ)の歌が響く。躍動する命の喜び、終焉の無い想いを伝える歌が。

 私は決して忘れない。

 刹那を生きる者達の事を。そして刻まれた想いを。

 想いの儘に駆け抜ければ良い。還る場所はいつも其処にあるのだから。

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